悲しみにさよならする
edit2015.11.08 1,438
先月読んだ池上彰さんの本(『子どもの貧困』)の中に、「施設が変わったり家庭が不安定で幼少期に生活の場所を何度も変えなければならなかった子どもたちが、身近な人との別れをきちんと悲しむのが大切」と書いてあり、悲しまないと悲しみとさよならできないのかもしれないと思いました。
私の悲しみに向き合ってみます。
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いつからか、子ども三人は多いなぁと思ってたのです。両親は二人なのに子どもは三人、或いは、母の腕は二本なのに子どもは三人。真ん中の私は一番いらない子、だって私には居場所がなかった。
姉は長女だから目をかけてもらえる、妹は末っ子だから手をかけてもらえる。
小学生のときに私が入院したのは、かぜをこじらせたのは、構ってほしかったからだと、大学で教育とか心理を学ぶ中でわかりました。幼い自分を理解できるのは、おもしろかったけどしんどかった。
私は虐待されていたんだなとか。
うちは機能不全家族なんだなとか。
私はアダルトチルドレンなんだなとか。
両親は共依存なんだと。
知りたかったけど知りたくなかった現実。
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勉強するのも
お皿洗ったり家の中片付けたりするのも
全部母に好かれるためだった。
母に好かれれば連れていってもらえると思ってた。母は善で父は悪なんだと刷り込まれていた。
母の味方でいれば母に味方でいてもらえると思ってた。
でも違った。
離婚してほしかったんです。安心できる家がほしかった。団らんがほしかった。毎晩父の帰りを脅えるのは幼心にストレスだった。あの男の人と同じ家で生活するのがとてもとても嫌だった。
離婚したいと母も言っていて、(そんなこと年端もいかない子どもに言う時点で母親としての底の浅さが知れてるけど)それを信じて、私の受験が終わったらという言葉を信じて、結果的にAOで秋には決まったんです。やっとこれで穏やかな生活が手に入る、と思ってたんです。
でも母の口から出たのは「嫌ならあんたが出ていきなさい」。
なんでなんでなんでやっと解放されると思ったのに。離婚もしない。別居もしない。私が出ていくなんてできないって知ってるくせに。
父は悪で母は善だと思っていたのです。でも違った。
こいつらどっちも悪じゃん。
そんなことが、ありました。いくつか経験した悲しみの中でもけっこうパンチのあるものです。
だから人を信じることがこわくなったり人を頼れなくなったり、した結果が、うつになったんだとか後からなら何とでも言える。
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全ては家庭環境に帰結する。
でももう私は悲しい子どもではないのです。少なくとも経済力によって選択肢を得た大人なのです。
悲しみというビー玉を胸の中から取り出して手のひらの上に置いて「あー、悲しかったねー」って思えるくらいには、もう過去だし距離のある思い出。
そして誰かを、特に肉親を、恨んだり憎んだりして生きるのはいやだと気づいたから、やっとここ数年家族との関係も安定してわるくないです。姪っ子も生まれたことだし。
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悲しみにすらさよならする必要なんてないのかもしれない。と、書いてて思いました。
悩んだり傷を負ったりしても全部糧にして、きっとこれからも生きていく。何も無駄じゃないし無駄になんてさせない。
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