悲しみにさよならする

先月読んだ池上彰さんの本(『子どもの貧困』)の中に、「施設が変わったり家庭が不安定で幼少期に生活の場所を何度も変えなければならなかった子どもたちが、身近な人との別れをきちんと悲しむのが大切」と書いてあり、悲しまないと悲しみとさよならできないのかもしれないと思いました。

 

私の悲しみに向き合ってみます。

 

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いつからか、子ども三人は多いなぁと思ってたのです。両親は二人なのに子どもは三人、或いは、母の腕は二本なのに子どもは三人。真ん中の私は一番いらない子、だって私には居場所がなかった。

 

姉は長女だから目をかけてもらえる、妹は末っ子だから手をかけてもらえる。

 

小学生のときに私が入院したのは、かぜをこじらせたのは、構ってほしかったからだと、大学で教育とか心理を学ぶ中でわかりました。幼い自分を理解できるのは、おもしろかったけどしんどかった。

 

私は虐待されていたんだなとか。

うちは機能不全家族なんだなとか。

私はアダルトチルドレンなんだなとか。

両親は共依存なんだと。

知りたかったけど知りたくなかった現実。

 

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勉強するのも

お皿洗ったり家の中片付けたりするのも

全部母に好かれるためだった。

母に好かれれば連れていってもらえると思ってた。母は善で父は悪なんだと刷り込まれていた。

 

母の味方でいれば母に味方でいてもらえると思ってた。

 

でも違った。

 

離婚してほしかったんです。安心できる家がほしかった。団らんがほしかった。毎晩父の帰りを脅えるのは幼心にストレスだった。あの男の人と同じ家で生活するのがとてもとても嫌だった。

 

離婚したいと母も言っていて、(そんなこと年端もいかない子どもに言う時点で母親としての底の浅さが知れてるけど)それを信じて、私の受験が終わったらという言葉を信じて、結果的にAOで秋には決まったんです。やっとこれで穏やかな生活が手に入る、と思ってたんです。

 

でも母の口から出たのは「嫌ならあんたが出ていきなさい」。

 

なんでなんでなんでやっと解放されると思ったのに。離婚もしない。別居もしない。私が出ていくなんてできないって知ってるくせに。

 

父は悪で母は善だと思っていたのです。でも違った。

 

こいつらどっちも悪じゃん。

 

そんなことが、ありました。いくつか経験した悲しみの中でもけっこうパンチのあるものです。

 

だから人を信じることがこわくなったり人を頼れなくなったり、した結果が、うつになったんだとか後からなら何とでも言える。

 

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全ては家庭環境に帰結する。

 

でももう私は悲しい子どもではないのです。少なくとも経済力によって選択肢を得た大人なのです。

 

悲しみというビー玉を胸の中から取り出して手のひらの上に置いて「あー、悲しかったねー」って思えるくらいには、もう過去だし距離のある思い出。

 

そして誰かを、特に肉親を、恨んだり憎んだりして生きるのはいやだと気づいたから、やっとここ数年家族との関係も安定してわるくないです。姪っ子も生まれたことだし。

 

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悲しみにすらさよならする必要なんてないのかもしれない。と、書いてて思いました。

 

 

悩んだり傷を負ったりしても全部糧にして、きっとこれからも生きていく。何も無駄じゃないし無駄になんてさせない。

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コメント一覧

全8件
  1. schedule2015.11.11

    なつめ

    健さん

    ありがとうございます;;救う事で救われてます。昇華させたいです。

  2. schedule2015.11.11

    なつめさんの辛い過去の経験があったからこそ、救える相談者様の心があると思います。だからきっと無駄じゃないですよ!無駄になんてなりませんよ!

  3. schedule2015.11.09

    なつめ

    ぬいさん

    コメントありがとうございます!
    子どもが1才なら親も1才。
    親子ってたまたま親子関係になった赤の他人だと思っているので、あとは自分の人生に責任持って生きるのみですね♪

  4. schedule2015.11.09

    ぬい

    親が親になった時点で完璧な大人なのか
    それはないことだと私は思います
    けれど不完全な親はなにかしら子どもに傷を負わせてしまうのかもしれません
    その傷がその人生を左右するわけで
    けれど、その傷を乗り越えることに意味があるのかなと私は思ってます
    親のおかげで大きくなれた
    その反面、親のせいで傷を背負った
    半分半分なところが正直なのかなと私はおもいます

  5. schedule2015.11.09

    なつめ

    まるまさん

    しっかりしたところが仇になることもあるんですけどね( ´△`)
    良かっただなんてメンバー冥利につきます☆ありがとうございます!

  6. schedule2015.11.09

    まるま

    何となく、家庭環境が自分と似ているような気がして、ついコメントしてしまいました。

    なつめさんはすごくしっかりとした方だなと思いました。

    全てを糧にして生きていくこと、言葉にすると簡単に聞こえますが、実際はとても難しいことだと思っています。

    自分の中での葛藤を抱えながら、少しづつ消化して、大人になっていこうと思っていますが、なかなか思うように行かないのが私の現状だったりします。

    そんな中で、なつめさんの日記を読み、少し自分の中で消化方法を変える必要もあるのかなと思いました。というより、わざわざ消化する必要もないのかなと…

    意味がわからない文章になってしまい、申し訳ありません。

    ただ、一つ言えることは、この日記を読むことができて良かったということです。

    もし機会がありましたら、なつめさんのお話を聞かせていただけたら嬉しく思います。

  7. schedule2015.11.09

    なつめ

    ゆきえさん

    救うなんておこがましいですが…一つのサンプルになれば本望です。

    のんびりまったり!いいですね^^

  8. schedule2015.11.08

    ゆきえ

    なつめさん、お話してくれてどうもありがとうございます。
    このすなおな言葉のおかげで、たくさんの人が救われていると思うなぁ。
     
    わたしも、のんびりまったり進んだり戻ったりしてみようと思えました。

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