親友を失ってみて気づいたこと

今年は、数十年もの長い付き合いの親友を失くして、新しい人との出会いを数十人増やした、何とも不思議な年です。

これまで私は、仕事さえ安定していれば、自分は生きていけるんじゃないか、と思ってました。

親とも決してうまくやっていたわけではなく、色々辛いことが多かった実家暮らし。

学生時代のイジメ、人間関係、クラスからの孤立、退職と転職の繰り返し、そんな30年余りの年月、仕事より学校より何より、全てにおいて支えてくれたのは、家族ではなく友達でした。

いつでもどこでも、親友達だけは、ギリギリに追い詰められた私の手を離さなかった。

だから、親友に恵まれた私は、自分の人生で最高に素晴らしい出来事は、親友が複数人いることだと思ってました。

だから、仕事さえ、あと手に入れば、幸せでした。

現在、良い職場関係とか、やりたい仕事とか、多くのものに恵まれた私。

とても幸せ、のハズでした。

でもここには、もう親友はいないんです。

全て失った訳じゃない。

でも、決して大人数ではない自分の信頼出来る親友で、1番接する機会が多かった2人を失くしたダメージの吐け口は、どこにもありません。

やりたい仕事の為にも、縁を切らざるをえないのかもしれないとか、色々考えたりはしているけど、

この『あの親友が、もう自分が信頼していない所にいる。何かあった時に頼ることも連絡する事もないんだ』って、解った時の絶望感とか悲しみとか、こみ上げる負の感情は抑えきれませんでした。

このブログで1つ最高に残念なことは、オチがないことと、それで〜して乗り切りました、みたいな改善策はないってとこです。

なんせつい最近の出来事も入ってるので(笑)

人はいつまでも同じ感情を保つことは出来ないから、きっとこの感情も変わるんだと思います。

縁があればこっちかあっちが許すのかもしれない。

『子供だったね〜』と笑える日が来るかもしれない。

でも今、その可能性は全く感じません。

自分が追い詰められた時に頼る綱がないって、初めてで。

こんな怖い事って今までなくて。

親友の作り方が分からないって中で私はバカみたいに幸せ者だったんだろうなって思う。

本当に全く頼れない訳じゃない。

でも結婚した子も増えてきて頼りにくくなったり、本音を話しにくくなった人も多い。

邪魔するような、悪い感じ。

相手には相手の人生があって、私の負のスパイラルなんかで邪魔したくないし、ここまで来るとなんて言ったら良いかなんて表現したらいいか分からない。

今までなんて言ったらいいのか分からないけど相談出来た人がこんなにいたんだ、と。

失ってから実感。

後悔はないんだけどね。

縁を切るって事も、自分が決めた事だから。

今の自分に、この縁が絶対良くないと思うから。

前向きになるにあたり、必ず邪魔になると知ってしまったから。

この先どうなるのか、私にも全くわからないの。

関係が続いても切れても回復しても、なんでもどうでも良くて。

今はっきりしていることは事実として自覚しているから、理解している。

自分の行動に責任を持ち、後悔しない、振り返らない事。

独りになる事を恐れない事。

辛くてもやらなきゃいけない事ってある。

誰のためでもなく、自分の為に。

行動しなきゃ、今の自分は幸せになれないから。

救えないから。

私の人生は私だけのもの。

私は幸せになる為に生まれてきたはずだから、無理に不幸せな方向に行く必要はないんだって事。

自分、負けないでほしい。

親友を失って、仕事重視の考えがら『親友』って土台あってのものだと知った。

これからは、その土台がない。

常にグラグラ、不安定になるかもしれない。

でもそれは、結局『自立』じゃない。

自分で立ってないじゃないかって思った。

自分の力で立て。

大丈夫だからって、きっとちゃんと立てるって自分を信じたい。

失った親友もいれば、新しく出会った人達もいるの。

それも忘れずに生きていかないと。

それをありがたいって、新しい世界から必要とされてる事実も忘れたくない。

今どんなに喪失感に支配されてても、それを忘れたくない。

仲良くしながら悪口言うなんて1番自分が嫌いな事を実はしているって薄々気付いてた。

本当はもっと前から、違和感もっとあって、自分がその場所で異端だって思ってて、疲れるなとか気を使うなとか、なんかちょっとそれどーなの?とか、今の〜ちゃんは好きじゃない、とか色々思ってた。

むしろ本人と話し合う余地がない事を最近思い知って、『あぁ、もうダメなのかな?そりゃないわ。』って悟った。

誰が悪いとかそうじゃない。

『合わなくなった。変わったんだ。』そんな風に思う。

変化していく姿を許容できない、私もまだまだ子供なのかもしれないな。

恨みも怒りもない世界は、どんなに素晴らしいんだろうって思う。

ここ10カ月抱えてきた憎しみを、 早く手放したくてしょーがないのに、事あるごとに強まって何か事件を起こす引き金になっている事も薄々気づいてた。

全てを、そろそろ終わらせなきゃいけない。

何かしら決断しなきゃいけない。

自分の選択に自信を持つこと。

揺るがない事。

自分もまた、変わること。

それを忘れないようにして、これからも生きていきたい。

今はまだまだその途中。

強く生きるって、本当に難しいな。

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コメント一覧

全7件
  1. schedule2021.05.03

    ohana

    フジイさん

    初めまして、コメントありがとうございます^_^
    このブログを書いてから6年近く経つことに自身でビックリしたことと、改めて読んでみて色々に気付きました。
    今回このようなキッカケをくださったことに心から感謝させてください。ありがとうございます。

    今も、親友達が夢に出てくることが年に数回あります。親が親同士で年賀状のやり取りをしているので、結婚式だの子供が産まれただの2人目だのの話も未だに入ってきて、正直本音で言うと不快な気持ちにもなります。
    もしどこかで出会うことがあっても、再度縁を紡ぐ気持ちが、この時も今も私にはありません。

    が、ここに書いてないことで、ひとつだけ守っていることがあります。
    この親友の1人の交わした約束です。
    「もし何かしらで縁が切れること、関わらなくなっても、この世界のどこかで幸せを願うよ」と話した約束を、私は未だに律儀に守り続けています。
    義理ではなく、私が「もうあの子は信用出来ないけれど、自分があの時あの瞬間信頼していたことは紛れもない事実なので、この約束は守り通したい」と思っているからです。
    親友のことを思い出したり情報を見るのは嫌なのですが、この約束を思い出すとひどく温かい気持ちを覚えます。
    不思議です。

    フジイさんに、感謝の気持ちが残っていること自体、とても素敵なことなのではないかと思います。
    誰かへ感謝の気持ちが湧くこと自体が、既に生きててなにかを学んで残せているという証拠なのではないか?と。

    生きることで充分なのではないでしょうか?
    このブログから6年経った今、私は世間で言う幸せの象徴のようなものや、やりたいことややり甲斐みたいなものは未だに見つけられていません。「負け組」みたいな部類のような気もしますが、「生きてる姿」ってそれだけでも周りは勇気が出ます。
    成長してるなんて、私も分からないけれど、自身でダイレクトに成長を感じてる人って、実際あまりお目にかかりません苦笑

    フジイさんは、今のフジイさんで、今のままでも、充分なような気がしています。
    親友のような存在を失う悲しみを、乗り越えていなくても、それを背負ったままでも生きていて立派なんじゃなかろうかと思います。
    お疲れ様でした。よく耐えたなぁと、讃えたい気持ちです。私は、耐えられないくらいつらくて。今も自分の不幸ランキング2位です、この件は苦笑

    辛さは残るけど、どんどん過去になってしまって、成長なのか意味があるのか分からなくても、それはそれで良いのだと思います。全てを綺麗に精算したり、糧に出来るほど人生は嫌いじゃないんだな、と最近感じました。

    返信長くなり、また偉そうなことを言っていたらすみません。
    自分のブログなのに、6年も経つと、なんだか新鮮で、なんだか衝撃でした苦笑
    コメント、本当にありがとうございました。

  2. schedule2018.03.11

    ohana

    ruyamaさん☆
    こちらこそ初めまして。
    コメントありがとうございます(^^)
    そうなのですか…ruyamaさんも色々あったのですね…。
    なんか私、『数十年の付き合いで…』みたいな関係に憧れを抱いていたのかもしれません。そんなものを持っているというステイタスが、ある種の自信だったんだと思います。
    いつだったか、最近何かで見かけた言葉なのですが、『〜年の付き合いで〜』みたいなものは、結果論でしかないらしいです。いつのまにか、そうなっていた。
    ただそれだけのことだと。

    流動的なのが、本来普通で、ずっと同じ人と…というの稀なのかもしれませんね。
    偶然同じように変化して行った仲なのか、はたまたその変化は間柄を変えるほどのものではなかったのか、包容力の問題なのか…。
    詳しくは分からないけれど、変わっていくことって当たり前なので、それを否定せずに、『ご縁』だと信じて。
    ruyamaさんが仰る通り、希望を捨てず期待し過ぎず、今あるものを大事にしていくことが、1番大切なんだと思いました。

  3. schedule2018.03.11

    ruyama

    初めまして。ブログ読ませていただきました。
    私も最近、学生時代の親友とあまりうまくいかなくなってきたので共感できました。人間関係は固定されたものではなく、流動的なものなんだと最近思っています。
    学生時代はお互い仲間意識があったけれど、進学、就職、結婚などを経て環境だけじゃなく周囲の人間関係も変わっていくものなので、最近は「去る者は追わず」というスタンスでいます。
    でも、友達が去っていくのは本当に辛いですよね。とはいえ、人間関係は固定されたものではなく「流動的」なので、いつかまた彼ら・彼女らとの関係も何かのきっかけで変わっていくかもしれません。
    期待し過ぎず微かな希望だけ持って、とりあえず今そばにいてくれる人のことを大切にしたいと思っています。

  4. schedule2015.11.21

    ohana

    なつめさん☆
    あら!!嬉しい!!*・゜゚・*:.。..。.:*・'(*゚▽゚*)’・*:.。. .。.:*・゜゚・*パジャマパーティだなんて、何だかなつめさんとパジャマパーティとか凄く楽しそう!!♪ではお言葉に甘えさせてもらって…楽しみにしてます♡

  5. schedule2015.11.21

    なつめ

    お役に立ててたらうれしいです(*´ー`*)こちらこそありがとうございます!
    大丈夫ですよ~聞きますよ~次回はパジャマパーティーで語り明かしますかね 笑

  6. schedule2015.11.21

    ohana

    なつめさん☆
    なつめさーん、ありがとう、リアルに涙が出そうです。詳細は、話すと1、2時間ブログだと10,000字とかになるかもしれません。なんせ10年間の出来事なので…苦笑機会があって余力があってタイミングが合えば、話してみたいな。なつめさんが大丈夫なら(笑)
    いつも本当に本当にありがとうございます。暗いまま抜け出せないまま話が終わって単なる愚痴ブログでゴメンナサイ。

    自分では信じられない幸せを、なつめさんが信じてくれている事実が私にとってはとても暖かくて幸せです♡
    本当ありがとう♡

  7. schedule2015.11.21

    なつめ

    オハナさーん

    オチのない貴女のブログは感情がリアルで素敵です(´ー`)
    何があったか詳細は存じませんが、ぜーんぶ経験値だし、オハナさんは幸せになる能力のある人だからオハナさんが幸せになる道しか残されてないって信じてます!

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