「思いやり」と「余計なお世話」の違いとは?

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思いやり。余計なお世話。親切心。おせっかい。配慮。ありがた迷惑。
よく似た言葉ですね。

皆さんこんにちは、鷹れんです。

「思いやり」と「余計なお世話」。
どちらも表面的には相手を慮っている気持ち・行動のはずなのに、この二つには月とスッポンくらいの差があります。
でも、この二つの違いって説明できますか?
・・・明確な違いなんてないんじゃないのかなぁ。でも、確実に違う。なんだか難しそうですね。

今日は、鷹れんなりにこの二つの違いを考えてみようと思います。

思いやりと余計なお世話の違い

余計なお世話をする・・・いわゆる「おせっかいさん」だって、別に「余計なお世話しってや~ろぉ~♪」なんて考えているわけではありません。笑
だから、「思いやり」との決定的な違いはたったひとつだと思うんです。

それは“相手から「迷惑なんだよ!」と言われた後の感情”

思いやりって、相手がいてこそ成立するものだと思うんですよね。
グラスが空いたらさりげなく飲み物を注いだり、お客様が帰るときには靴の向きを揃えておいたり、服の袖が料理につきそうになったらそれとなく声をかけたりカバーしたり。
相手が少しでも笑顔でいられるように、相手が少しでも幸せでいられるように・・・なんて言ったら大袈裟かもしれませんが、「相手が気を遣わないように少しだけ気遣っておく」というのが、思いやりの行動かな、なんて思っています。

そして相手がいるということは、失敗もありえるということ。
もう飲み物はいらないかもしれないし、うまくいかないことだってたくさんあります。

もしかしたら「迷惑なんだよ!」「ありがた迷惑なの」「それやめて」なんて言われてしまうかもしれません。そんなのは、余計なお世話かどうかじゃなくて、受け手の感じ方しだい。

けれど、その言葉をどう受け取るかは、こちらの問題です。それを受けて手のせいにしてはいけません。
「思いやり」か「余計なお世話」かは、この後の感情で分かる気がします。

あぁ、私の行動は間違っていたのかもしれないな。この人はこれが嫌だから気をつけよう。迷惑なことしちゃって、申し訳なかったな。

私は相手のためを思ってやってあげたのに! それをありがた迷惑だなんて、相手がおかしい! ひどいやつだ! もう優しくなんてするもんか!

・・・もう、お分かりですよね。
上は極端な表現ですが、きっと「思いやり」として行動した人は、自分の行動を省みると思うんです。「あのタイミングでやっちゃダメだったかも」とか、「相手の気持ち考えていたかなぁ」とか、「もっとこういう言葉だったらよかったかな」とか。どう思うかは人それぞれですが、ベクトルは自分なんですよね
それに対して「余計なお世話」の人は、相手の行動について考えるんです。「相手の感じ方が悪い」とか、「相手が正しくこちらの配慮を受け取らないのが悪い」とか、「そもそも相手がこんな行動をとったのが悪い」とか。こちらも考える内容は人それぞれだと思いますが、ベクトルは相手なんです

自分の行動を省みているかどうか。相手を責めてしまっていないかどうか。
その2つが、「思いやり」と「余計なお世話」の判断基準だと思います。

ありがた迷惑だと言われたときに「そんなことを言うなんて!」と思ったら、自分が本当に思いやりで行動したのかを一度内省してみるといいかもしれませんね。

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私が「思いやり」の行動をするときに気をつけていること

私・鷹れんはこれまで、およそ2年の間相談活動をおこなってきました。
それ以外にも、人を「気遣う」場面は数多くありました。

それを「思いやり」と形容していいのか、いささか自信がありませんが・・・(笑)、
「思いやり」の行動をするときには、必ず気をつけていることがあります。

それは「自己満足でしかないのを忘れてはいけない」ということです。

どんな思いやりも、どんな行動であろうと、どんな気持ちが込められていようと、人が行動するのは自分に利益があるからだと思っています。

「利益」なんていうといやらしく聞こえてしまうかもしれませんが、「思いやり」だって同じことだと思うんです。

どんなに無償の愛に溢れている人だろうと、それはその人が「愛情を与える」ことによって得るものがあるから。
例えば相手からの感謝であったり、まわりからの賞賛であったり、自分の中にうまれるあたたかい気持ちであったりがあるからこそ、その人は無償の愛を溢れさせることができるのではないでしょうか。

私が「相手が気を遣わないように少しだけ気遣っておく」のは、相手に気を遣わせるのが落ち着かないというだけです。
相談活動を続けているのは、その中で生まれたたくさんの繋がりに多くのことを学んだから。人の人生を聴かせていただく、人の悩みを聴かせていただくということの貴重さを知っているからです。

だから、いい意味で相手に期待をしていません相手への期待ゆえの我慢もしません

「ありがとう」の言葉を目的に行動することはありません。言われたら嬉しいけれどね。
私が行動するのは、あくまで私に利益があるとき。
「損得勘定のない付き合い」なんて言うけれど、あれは「損得勘定がない」わけじゃなくて「相手が笑顔になる、相手が今より少しでもよくなるというだけで自分が幸福を感じられる」だけだと思うんです
相手が笑顔になる。それだけで自分は幸せになれる。その幸せは、ここで言う「利益」に充分なりえるんです。
そうしたら、いちいち「行動する意味」なんて考えません。あの人が困っているから。行動する理由はそれだけです。

そこまで超越した間柄の人はなかなかいないけれど・・・「自己満足であること」を忘れてはいけません。

これを忘れがちな人、多いと思うんです。
忘れてしまっているからこそ「相手のために行動したのに迷惑だって言われた」という言葉が出てくるんです。相手を責める感情が湧いてくるんです。

あくまで自己満足。迷惑に感じたら、ごめんなさい。けれど私はこの行動をとることで幸せになるので、とりあえずやってみます。もしその行動であなたの気遣いが減ったら、それも私は嬉しいです。

そのくらい。
そのくらいの気持ちで動くと、意外と楽になりますよ。

相手への期待をやめると、ぐんと生きやすくなる気がします。少なくとも私はそうでした。

相手への期待をどうしてもしまうときや、どうしても相手に「感謝の言葉」を求めてしまうとき、それは自分の心に余裕がないときではないでしょうか。
心に余裕がないのに我慢して私はあなたに奉仕している。だから感謝しなさい、というような。

心に余裕がないときには、自分への思いやりだけで充分なんです。
自分にありがとうと言うだけで充分。それで大丈夫なんです。

「思いやり」というのは、心の余裕の分だけ、相手にわけるということ。自分の心に隙間がなきゃ、思いやりなんてできません。
そういうときは潔く諦めて自分を思いやりましょう。
それで、また余裕がうまれてきたら、その分、まわりを思いやればいいんです。

疲れきった帰りの電車で席を譲ることなんてできません。それとおんなじ。
疲れたときには、おとなしくうたた寝しながら帰りましょう。そんなもんなんです。

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たかれん
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大学休学中の20歳。 小学校2年生、はじめていじめを受けました。 中学生になってからもいじめられて、はじめて不登校になりました。 不登校になってから、家にも居場所を失いました。 「助けて」と言えなくて、いっぱい...

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全2件のコメント

  1. ひまじん 2016/12/28 22:28

    はじめまして。
    思いやりと余計なお世話。文章の内容よりも貴方の人柄がにじみ出てくるような文章に引き込まれてる自分がいました。

    自分は周りに影響されやすい人間です。
    言葉、雰囲気、そういうのに流されることが多いです。なので自分の絶対的な考えなんて正直持ち合わせていないです。なので、この文章を読んだ時すぐ影響されました。
    自分の考えを、思いを持っている人。

    私は「人はそれぞれ違って、あまりにも違いすぎて理解できないもの」と思っています。
    それぐらいです。正直他人にそこまで興味もないし、自分にもそこまで興味がない。
    環境や人によって変わる正義にも、ましてや思いやりなんて気持ちもない。

    でも、ちょっとだけ…自分の自己満足でもいいというのなら、そう思いました。

    支離滅裂な長文失礼いたしました。
    ありがとうございました。

  2. まいん 2016/01/27 11:36

    AとBの違いシリーズ、鷹れんのマイブーム?笑

    ただ、私の考えは(珍しく?)鷹れんと違って。
    「思いやり」と「余計なお世話」の判断は、「言葉や行動を提供した側」が判断できることじゃないのでは?と。
    その判断はその言動を受け取った側に全てゆだねられているんじゃないかと。受け取った側の価値観や状態、その場の空気や環境、その人の心の余裕、意外性とかそういう相手の細かい条件を全部満たして初めて「思いやり!ありがたい!」と相手が判断するんじゃないかなと。
    自分の言動を反省することは勿論大事なことだけど
    言動を行った側が「今のは思いやりだった・余計なお世話だった」って判断するのは少し上から目線感を受けないこともない。。。かなと。

    ただ、「あくまで自己満足でしかない」というとこにはすごく共感を覚えました。
    やりたかったらやればいいし、できないときはしなくていいんじゃないか。他人のウケを気にしすぎて疲れている人に届くといいな、とも。
    誠実で丁寧に生きていれば、その言動がどう判断されようと、少なくとも部分的には分かってくれる人間はいると私は信じて生きています。

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