【音楽小説】ベートーベンとミストレス  ~僕は聞こえない。彼女は見えない~ #03【出会い】補聴器

「『日常』失って初めて、私はその重大さに気付いた」
~ある愚者の言葉~

3、『補聴器』

 

初老の医者は目の前で、口を動かした。

『××××、――×××で×』

『×××××××××。××、××××××××××××』

目の前で、

一文字一文字はっきりと口の輪郭を運動させている。

きっと、大きな声で話しているのだ。

けれど俺には、何を言っているのか良くわからなかった。

頭がぼんやりとして、言葉が認識できないという意味ではない。

本当に、聞こえない。

聞こえないのである。

これ以上に恐ろしい事があるだろうか。

事故の後、三日間の昏睡から覚めた俺は、奇跡的に外傷がなかった。

なんだ、ビビって損した。少年が助かって良かったと喜んだのは一瞬。

異常は、すぐに自覚した。

両親が持ってきた、ポータブルCDプレイヤーで演奏会の音源を聞こうとした。
繋いだイヤホンから聞こえてきたのは、当日の演奏ではなく、『ボォー』という、出向前の船が鳴らす汽笛の様な耳鳴りだった。

(……耳がおかしくなったかもしれない)

その可能性に思い至ったその時、俺は血の気が引いた。こめかみから何かジェル状の何かがにじみ出るような……、冬なのに嫌な汗がでて止まらない。鏡を見れば、真っ青だ。

心臓の鼓動が、バクバクとうるさいほどに脈打っている。

静まれ、何かの間違いだ、嘘であってくれ。

すぐにナースコールを押して、異常を伝えたところ、主治医が飛んできた。

一日を掛け、精密検査を受けた。一週間後、俺にはある診断が下された。

『事故原因による両耳突発性難聴の後遺症』

補聴器を付ければ、日常生活には差し支えがないものの、両耳の聴力は著しく低下しており、今後それが回復するか不明であるという事が分かった。

この世は、才能が全てだ。

耳が聞こえない指揮者。

耳が聞こえない声楽家。

耳が聞こえない弾き手

耳が聞こえない音楽家。

はは、

そんな事は見た事も聞いた事もない。

指揮者にとって耳は命だ。言うまでもない。

その器官が失われると言う事は、音楽家にとって死を意味する。

診断を受けた時、俺は目の前が真っ暗になった。

母親に支えられるようにして病室に戻った俺は、恐怖でベッドの上で震えた。

奇跡的に病状が回復することを毎日祈り、あるいは、次に目が覚めたとき、これら全てが夢で、都合の良い現実に戻ることを願った。

そして、

入院して三週間後。俺は退院した。

入院中、脳圧が下がり多少の耳鳴りは改善された。

しかし、失った、ほとんどの聴力は結局戻らなかった。

それはつまり、指揮者として、音楽家として、

柊卓人が終わった事を意味する。

「いかがですか?」

「あ、聞こえます」

「左様でございますか。聞こえが大きすぎるなどはございませんか?」

「えっと、あーあーあー……」

自分でも声を出して確認してみる。

うん。

良い感じだ。もちろん、以前と同じようにはいかない。しかし、ほとんど聞こえなかった今までよりはずっと良い状態である。

「大丈夫です」

「ありがとうございます。初めての装着ですので、初めは違和感があるかも知れません。なにかありましたらこちらへ……」

「はい」

試着後、補聴器店の店員より細やかな説明を受ける。

精密機械の為、水場や睡眠時など、様々な制約があったが、高額な機械だ。ある程度は仕方がない。

「ありがとうございます、またご利用くださいませ」

補聴器店を出て、ファーストフード店に入る。

頭上から、流行りの音楽が流れていることを感じた。

何気ない音楽が、ちゃんと聞こえてくる。。

「いらっしゃいませー、ご注文はいかがですか?」

フィッシュバーガーのセットを注文する。

「お会計六四〇円になります。どうぞ、左に進んでお待ちください」

注文が無事に済み、安堵する。

耳に何かを詰めている違和感はあるが、『補聴器があれば、日常生活に難はない』という医者の言葉は本当だったようだ。

窓際でコーラをチューチュー飲んでいると、ポケットの中の携帯が振動していた。見れば、聖からのメールである。

そういえば、治療が落ち着いたら連絡するように言われていたのだ。

聖には、聴力が衰えていることをすでに伝えている。

通話履歴から聖の番号を選び出し、コールした。

 

#4に つづく

#02いっこまえ

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