うつ病に負けない!希望と絶望の先には何がある?

 

葉音です。

今回は、『セクマイ』の話ではなく、自分が戦い続けている病気の話をしようと思います。

大学二年生の夏、私はうつ病になりました。当時、18歳。今25歳なので、もう7年間うつ病と戦い続けていることになります。私の手には傷が一切ありません     。薬も処方されたとおり、飲んでいます。仕事もして、旦那もいて…

家族もみんな大学出、仕事をしていました。私も大学一年生の時に頑張ったおかげで、特待生になることができていました。

全てがうまくいっているように、他の人の目には映っていたかもしれません。何にも不満に思うこともないでしょ?って。甘えるなって。

 

でも、私は今も薬を飲まなきゃ出掛けることができない、眠ることができない、「生きることができない」、薬はちっとも減らずに増えていくばかり。飲むことをやめれば、薬の離脱症状で体全体が脈打ちはじめ、動くことができなくなる。

7年間闘病しても変わらない現状がいやになってしにたくなることもあるけれど、私の心は7年間で思ったよりも強く、たくましくなっている。私の7年間は決して無駄じゃないって思いたいし、誰かにも思ってほしいから、私は「うつ病」のことを書くことにしました。

崩れ始めていた心

うつ病が発覚したのは大学二年生の時でした。正確に言えば、病院にかかったのが二年生の時だっただけで、本当はもっと前から心は崩れ始めていました。

①私はいらない子?五人家族の苦悩

私は姉と兄、両親の五人家族の末っ子でした。末っ子は甘やかされる、なんてこともよく言われますが、甘えることはできていたかもしれないけれど、それ以上に劣等感がありました。

姉と兄は小学校の時から優秀でした。姉ははきはきしていて、しっかりもの。中学の時には生徒会長もつとめていたし、勉強もトップクラス。親のいうこともちゃんと聞く、良い長女でした。もちろん、姉も苦労したんだろうと今では思いますが、比べられることが多かった私は、姉が立派すぎて萎縮していました。兄は兄で、口数は少ないですが、所謂天才肌で、塾でも学校でも優秀。

学校の先生や知り合いから、姉や兄を褒められることは、私には苦痛でしかなかった。

姉や兄が優秀な分、プレッシャーもあるし、期待もされていました。私にはたいした能力もないのに、なにもできないのに、ハードルだけがあげられていく。私が頑張って結果を残しても、「やっぱり○○さん家は優秀ね~」と、誰も私の努力を認めてくれることはなく、私は別にいなくてもいいんじゃないかな?と思っていました。

四人家族ならきりがいいし、四人分セットのものも多い。私はいつもお誕生日席。おまけ。

強く思っていたわけではないけど、「自分はいてもいなくても同じ」くらいには意識の中にありました。

②『セクマイ』と祖母の言葉

『セクマイ』だと自覚する前からも、自分は普通の人と違う、違和感のようなものから自分否定がありました。祖母から「女の子らしくいなさい」「可愛い葉音が見たい」という言葉から、祖母のいう通りになれない自分は一体なんだろう、と思いましたし、女の子っぽくない自分を否定されることは、自分の全てを否定されているような気がしました。祖母ははっきりとした性格の人でした(でした、と書きましたが今も健在ですよ)。悪気があっていっている、もしくは私を傷つけるためにいっているのではないと分かっていたのですが、心は傷ついてしまうもの。

『セクマイ』を自覚してからも、うつ病を発症してからも、祖母には心配かけないようにと教育されてきたので、ちょっとした反抗などはしましたが、祖母に言いたいことを言えない自分、それは自分自身をさらけ出せないことでもあり、言えないことが沢山あることが苦しかったです。

 

私が祖母に言われたことで傷ついて泣いているとき、母親だけは優しく聞いてくれていたのが救いでした。これは後から分かったことですが、母親も祖母から悪気のないきつい言葉をかけられたり、結婚当時に同居していたときにあった出来事など、今でも忘れられない傷になっていることが分かりました。

そこで、祖母を嫌ったり、憎んだりして、ぶつかることができれば、自分自身の心はもしかしたら保てていたかもしれません。

ですが、良い子ちゃんに育った私には肉親を憎むことが今でもできないし、祖父母、両親を悲しませたり、心配させることはできなくて、自分をせめてばかりいました。

 

そうした心の傷が、いつしか大きくなり、崩れ落ちた結果、うつ病の発症に至ったのだと思います。

 

うつ病?そううつ病?うつ病が悪化した理由

心の崩壊は小さい頃から既に始まっていて、結果的に大学生のときに発症するわけなんですが、病院で初めて診断をうけたとき、私は「躁鬱病」と言われました。

私自身もこの診断に「?」という感じだったのですが、付き添いしてくれていた母親も疑問に思ったようです。何故なら、私の当時の症状は「自己否定、だるさ、過眠と不眠症、やる気の低下、体が動かない、食欲不振…」など、明らかに躁の要素がなかったからです。

でも、医師の判断だからと、薬物治療を始めるのですが…躁鬱病と診断されたことで、「高まった気持ちを抑える」薬を処方されていました。

 

 

察しの良いかたはここで気づかれるかと思いますが、薬物治療をしているのに、私の気持ちは落ちていくばかりでうつ病が悪化してしまいました。

しつこいようですが、私に躁の要素はなかったのに、「ハイテンションになりすぎる気持ちを落とす」薬を処方されていたのです。

 

…そりゃ、気分も落ちますし、体も重くなるばかりですよね。

 

「その診断はおかしい」と母親と友人に言われ、病院を変えた結果、ようやく「うつ病」と診断されました。

躁鬱病の薬を飲みはじめて半年経ったときのことです

適切な治療を早めに受けていれば、もっと症状も軽くなっていたかもしれないし、もしかしたら薬をやめて生活できたかもしれません。

ですが、一度強い薬を飲んでいると、体が薬をほっするようになり、完全に薬を絶つには時間がかかります。言ってしまえば、それはアルコールやたばこのようなもので中毒性があり、薬を突然やめれば、その分薬を求める体の反応が大きくなり、「薬の離脱症状」が強くなってしまうのです。

ですから一度強い薬を飲んでいた分、薬がなくても大丈夫な体の状態にもっていくには時間がかかるのです。

 

そして、私の場合、減薬して徐々に良くなる方向にもっていきたかったのですが、自分をきちんと休ませて病気を治療する時間が持てなかったため、薬を使ってだましだまし毎日を送るのが精いっぱいで、減薬するとすぐに体調が悪くなるため、最初に処方された薬の量よりも今の薬の量の方が多いですし、薬を飲まずに生活を送るにはまだまだ時間がかかるのです。

 

幸い、薬を飲みながらでも、自分の体調や感情を管理、コントロールできるようになったので、社会人として仕事に就くこともできますし、自分の心を穏やかに保つことができるようにはなったので、こうして体験をブログに書いたり、色んな方のお話を聞いたりすることができるようになれたわけです。

この点において、7年間、自分よく頑張ったね!と褒めてあげたい部分もあります。

 

しかし、こうなるまでに7年間かかったのも事実であり、こうして良い方向へと向かうことは、自分一人の力ではなれなかったでしょう。

 

うつ病発覚当時、起き上がれずに寝ている私に対して、父親から「日の光を浴びないからこうなるんだ。もっとシャキッとせい!」と言われました。

やりたくてもできないから、こうして寝ている私に対しての言葉。このとき、思いました。例え、肉親であっても、どんなに知識をもっていても、「きちんとした理解」を持って接してくれる人は少ないということ。

父親なりにうつ病に関して調べたりしていたようなのですが、この言葉を聞いた瞬間、私は「父親への本当の意味での信頼」をなくしました。結局、うつ病の知識を得ていても「私自身の本当の気持ちを分かってくれないこと」を体現されてしまったからです。

母親は私の一番近くにいた存在でもあり、一番の理解者だったということもあり、私の様子を見ながら、「今日は天気が良いから、一緒に公園に散歩に行ってみようか」「今日は葉音が頑張ったから、葉音の好きなものを作ってあげるね」など、声をかけてくれました。

母親はきちんと、私を見てくれていました。そして、「一緒に」うつ病と戦ってくれたのです。

 

私は今でも母親に頭が上がりません。父親のことは決して嫌いにはならないし、父親なりに私のことを考えてくれたのだろうと思いますが、当時の経験は私の中で大きく残り、父親の言葉から受けた傷は一生忘れないものとなりました。

 

うつ病の自分と向き合うこと

 

私は一概に、誰のどの対応が良かった、悪かった、どんな方法が良かった、悪かった、などというわけではありません。

 

祖母、父親、母親、友人、そして今一緒にいてくれる旦那、全ての人のことが私は好きだし、これからも向き合っていきたいと考えています。それは「過去」に捉われすぎないようにしようと自分自身で考えたことと、「うつ病」になったことは決してマイナスではないと考えているからです。

 

『セクマイ』に関しても同じですが、「うつ病」にならなければ知らなかった世界、考え方、出会えなかった人がいます。一期一会と言いますが、私は「うつ病」になったからこそ、この人生を歩み、今生活しているのだと思いますし、色んな価値観を持てたのだと思います。

「うつ病」になってから、色んな出来事が本当にありました。

ここに書くには一つの本みたいになってしまいそうなので割愛しますが、たくさん傷ついたし、諦めたこともあるし、死にたいと何度も願いました。人間不信にもなりましたし、もう全部どうでもよいやと思ったこともあります。

 

ですが、私はそれでも生きることを選び、「うつ病」と向き合うことを選んだのは、周りの人の支えがあったからですし、私は人と関わり、話すことが本当に好きなんだと気付いたからです。

 

何より、「うつ病」になっていなければ、今の旦那に出会えなかったですし、一生を添い遂げようと思えなかったと思います。旦那との出会いについては長くなるのでまた別の機会に書こうと思います。

苦しんだこと、経験したこと全てが「今の自分」を作り出していて、そんな私を好きだと言ってくれる人がいる、関わりたいと思ってくれる人がいる、それってすごくうれしいことだし、私の誇りで、「生きがい」なんです。

 

今、私のブログを読んでくれているあなたへ。

今、苦しんでいるあなたへ。

私と関わりたいと思ってくれているあなたへ。

 

 

私は、自分と「うつ病」と向き合って、これからも生きていこうと思います。

 

だから、あなたももし望むなら、私と「一緒に」悩んでいきましょう?

それで、最後にあなたが笑ってくれたら、私は幸せです。

 

葉音

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コメント一覧

全6件
  1. schedule2016.03.06

    葉音

    >ぬいさん

    いつもコメントありがとうございます。

    なるほど。確かにそういう考えもありますね!

    私はうつ病になって、ずいぶん苦しみましたし、悩みもしましたので、私にとっては、うつ病や症状と「戦う」ものでもあり、自分の一部なんだと思っています。

    だから、自分らしさがうつ状態で全てをしめるものではなく、向き合っていく必要があるので、「負けない」し、「戦う」という表現にしてみました。

    コメントありがとうございました!

  2. schedule2016.03.05

    ぬい

    うつと戦う
    戦って勝てる相手なのかなって私は思います
    どんだけ戦っても戦っても
    一向に消えてくれない
    そんな相手のようなかんじがします
    戦う相手というよりは
    なんとなく自分の心に溜まっていたウミのような
    そのうつも自分の一部だったものだったような
    そんなかんじがします
    膿んだ傷が癒えるのに時間がかかるように
    急がず焦らず元気になるまでじっくり待つ
    それが大切なんじゃないかなと私は思います
    いつになったら元気なるかなんて自分自身にも誰にもわからないので
    自分が前を向けるようになるまで
    できたら周りの人にはそっと見守っていてほしいなって私は思いました

  3. schedule2016.03.05

    葉音

    >まいんさん

    以前一度コメント頂きましたよ(*^^*)今回もありがとうございます。

    私はきっと本当は弱いんだと思います。強がっているだけというか、強くありたいと願った結果なのかな、と思います。

    そう言って頂けると、とても励みになります。
    自分の体験で少しでも救われる人がいるならば、私はそれで幸せです。

    本当にありがとうございました。

  4. schedule2016.03.05

    まいん

    初めましてな気がします。
    うつ病のスパイラルに陥ると生活の何もかもが上手く回らなくなりがちでそれに悩む方は多いのでしょうが、過去に囚われずマイナスに捉えず、強くしなやかに生きてこられたのだなあと思いました。
    うつ病以外にセクマイでもご苦労されたのでしょうが、良き旦那様に恵まれてお仕事もなさっているとのこと、他のうつ病の患者さんも勇気づけられるんじゃないかなあと。
    投薬量が多いというお話もありましたが、くれぐれも無理せず体調に気を配ってくださいね。

  5. schedule2016.03.05

    葉音

    >UUhさん

    コメントありがとうございます。

    そうですね…まだまだ誤解も多く、医師ですら診断を間違えるほど、線引きが難しい病気であると思います。
    私は、まだまだ人間として未熟ですが、一人でも苦しんでいる方が減ったら良いなと思って、書かせていただきました。

    本当にありがとうございます。
    UUhさんのコメント、とても嬉しかったです。

  6. schedule2016.03.05

    UUh

    うつ病はだいぶ知られてきた病気だと思いますが
    無理解や誤解されることもまだ多いと思います。
    また、病名の確定自体難しく
    試行錯誤でもどかしくもなります。
    まだお若いこともあるでしょうが
    それでも学業、仕事、ご結婚と確実になされてること
    立派だと思います。
    ご自愛ください。

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