最期の言葉
edit2016.03.25 1,139
人は死が近づくと、次に何を思うのだろう?
そんな風に最近感じるようになりました。
私は二年前まで身近な人が死ぬという経験をしたことがありませんでした。祖父母はずっと健在で、親戚や曾祖父母は私が物心つく前に亡くなっていて、お葬式に出た経験も人が死ぬ経験もしたことがなく、生きてきました。
それが幸せなことだと感じるようになったのは、本当に最近のこと、二年前に祖父を亡くしてから初めて感じた想いです。
介護職として経験した「死」
祖父をなくす前から、私は介護職として施設で働いていました。
保育園や病院などとは違い、どんどん元気になって退去していく、というよりは弱っていって病院に行って戻ってこれなくなる、施設でターミナル(最期)を迎える、というのがほとんどで、いつ誰が亡くなるか分からない状態での介護をすることが多かったように思います。
それは現在でも変わりませんが、私が介護職を希望し、就職を決めたとき、両親、祖父母、親戚はそろって心配事を口にしていました。
私のメンタルが弱いのは事実だし、人の死に直面して、私が精神を保てるかが分からなかった、というのが大きかったのでしょう。私も正直言って、人が亡くなることの怖さが分からない分、分からない怖さに怯えていたし、無理なのはわかっていても、毎日毎日誰かいなくなってしまわないように願いながら仕事をしていました。
初めて入居者様の死に直面したのは、介護職を始めて一か月も経たない頃。
朝、私が出勤していくと、上司たちがバタバタしていて、その入居者様のご家族がもう見えていました。何かがおかしい、と思いながらも、私がパニックになるわけにもいかず、着替えをすませ、事務所に行くと、施設長から、入居者様が亡くなったことを告げられました。
動揺、していました。でも、これから私は他の方の介護をしなくてはいけない、という思いが強くあり、冷静に話を受け入れました。
午後、ご家族が手続きに出られた頃、もうこれで会うのは最期だから、と職員全員、その入居者様の部屋に呼ばれました。午前中は、普通の職員は入るのを禁止されていました。
部屋に入り、入居者様の顔を見た瞬間、胸に詰まるものを感じました。
周りには涙をこらえている人もいましたが、私は入居者様の穏やかな顔を見て、「安らかに眠ったんだ」と言い聞かせ、深く合掌しました。
その後、違う仕事に追われている間に入居者様は葬儀場に運ばれていきました。
これが、私が直面した最初の「死」でした。
あっさりとしているように感じたかもしれません。
でも、私は泣くわけにはいかなかった。
私は誰よりもその人との関わりが短く、最初の死をきちんと受け止めなければならない時期だったこと。
涙が出ない自分は冷酷なのだろうか、と当時は悩みましたが、今なら言えます。
泣かないように、受け入れられるように、自分の中で防御していたこと。
それから、介護職として多くの方の「死」に直面することが増えました。
以前よりも関わりが長い方との死も直面し、その時は心の中で「今は泣くべきときではない」と心を制御するのですが、家に帰ったとき、ふとしたときに、「あ、もう明日施設に行ってもあの人はいないんだ」とふっと悲しさがこみあげてくるときもありますが、介護職が泣いて仕事にならないんじゃ他の入居者様に申し訳が立たない、と仕事中は笑顔でいるように努めていました。
祖父の言葉と最期の意味
介護職として落ち着いてきた頃、山口県にいる祖父が入院しました。
元々、リウマチや気管支炎など患っており、好き嫌いが多く、噛む力もあまりない祖父はどんどんと弱っていき、元々痩せていた体はもっと痩せこけ、自分の力で何かをすることができなくなりました。
幸い、祖父は頭だけはしっかりしていて、口だけは達者でした。
お見舞いに来た祖母や叔母、母や私を見ても、「忙しいんやろ、帰れ帰れ」と言っていました。
口は達者だけど、あまり我が儘を言わない祖父。
ところが、年末、母に「今年わしが餅をつけんから、早く帰ってきてくれんか」と、申し出るようになりました。
年末年始は私は仕事が休めないため、年末は母だけが行くことになったのですが、12月の半ばに見た祖父は弱り切っていました。
私が行ったときは丁度食事のとき。看護師さんがベッドにスライドできるテーブルを設置し、ご飯をのせるだけのせて去っていきました。
ベッドは90度体を起こすことができる作りになっていましたが、枕が高すぎて、ベッドで体を起き上がらせただけでは体が真っ直ぐにならずに、喉に詰まらせてしまうかもしれない状況にありました。
私はこの枕では高すぎると言い、バスタオルを祖父の頭の下に挟み、何の味もしないおかゆの上に梅干を切ってのせて混ぜて食べてもらうことをすすめました。
祖父側の家に住んでいた叔母(母の姉)は毎日のように祖父の様子を見に来てくれていたけれど、介護の知識がないから、どうしていいのか分からなかったようで、「今日は葉音ちゃんが来てくれたおかげで、じいちゃん今まで一番ごはん食べてるよ。ありがとうね」と言ってくれました。
私はその言葉を聞いて、複雑な気持ちになりました。
私がもう少し早く来て、祖父の面倒を見てあげていれば?近くに住んでいれば?頻繁に顔を出せてあげられていたら?そんな思いがふつふつとわきました。
それから年末年始、私は夜勤ばかりだったのですが、年始の夜勤中に、携帯にメールがありました。
その日は母が祖父のところから帰ってくる日。
普段は仕事中に携帯は見ないのですが、何だか胸騒ぎがして、先輩に許可を得て、メールを確認しました。
最初の二通は、母と姉からで、「母がこっちに戻ってきている途中から、祖父の容体が悪化したと叔母から連絡があった。今、母と父が山口に向かっている。覚悟をしておくように」ということ。
最後の一通は、姉から「祖父が亡くなりました。お母さんたちは最期に間に合わなかった」と。
上司にすぐ報告し、夜遅いということもあり、次の日の朝一時間だけ早く仕事を上がらせてもらって、山口に行くことになりました。
次の日の夜にはもうお通夜、また次の日にはもう葬式、と怒涛でした。
お通夜、葬式の間、私は母とずっと一緒に泣いていた。
いつもは優しくて強い母。でも、私とずっと一緒に泣いていました。
姉と兄も泣きたかっただろうと思いますが、母と私が泣いている以上、自分たちは泣けない、と葬式の最後、焼き場に向う前に祖父の顔を見て涙しただけで、あとは気丈にふるまっていました。
姉と兄がすごいなぁと思う反面、私は色んな出来事がフラッシュバックしていきました。
祖父と最後に会い、食事を食べさせてあげたこと。
「また来るからね」と言ったら、「楽しみに待っている」と笑顔で言ってくれたこと。
「ありがとう」と言ってくれたこと。
母に最後に我が儘を言い、年末年始来てもらい、母が帰るまで元気な姿を見せていた祖父。
母の名前を呼び、「ありがとう」と言った祖父。
祖父は、きっと分かっていたのでしょう。
自分の最期のときを。
だからこそ、祖母が困らないように母に年末年始来てもらったこと。餅をついてもらったこと。でも、心配させるのは嫌で、頑固な祖父らしく、気丈に振る舞っていたこと。母が帰るまで、元気でいよう、と自分を保っていたのだということ。
「最期」って本当にあっけなく、終わってしまうもの。
人生の終わりなんて、とても簡単に思えてしまいます。
でも、それは、当事者じゃないから、突然のように感じてしまうのだと思うようになりました。
だって、確かに祖父は最期の言葉を遺していたのだから。
「ありがとう」
残された私たちは何を思う?
私は二年経った今でも、祖父が亡くなった、という実感がありません。一周忌や一回忌はやっているのに…何だか現実感がまだないのです。
母や叔母はいまだに涙ぐむ様子が見られます。でも、私もまだ消化しきれていないのに、涙が出てこない。
何度も言いますが、本当に実感がないんです。
明日山口に行ったらひょこっと祖父が出てくるような、そんな気さえしてしまうのです。
「葉音ちゃん、買い物行くか?海行くか?」って。
従姉が去年、女の子を出産しました。祖父にとっては、曾孫です。祖父が見たら、すごく喜んで可愛がるんだろうなって、今でも馬鹿みたいに想像してしまうんです。
消化すること、思い出を思い出として心にしまうこと、それは、とても簡単なようで、難しいことです。だからこそ、忘れないでいること、そして後悔しない生き方をすることが大切なのだと思いました。
先日、今度は父方の祖母の具合が悪いと連絡を受け、急きょ会いに行くことになりました。
実は、祖母はこれまでにも入退院を繰り返していて、入院中の自分を見られることをすごく嫌がり、「来るな」という人なのですが、そんな祖母から、私に会いたいという言葉が出たと父に聞きました。
祖母は、ここ最近、私の夢を見るようです。
弱っている自分を見られたくなかった、祖母の本心が夢に出てくるのかもしれません。
でも、そんな祖母の最期を迎えさせない。
覚悟はしなくちゃいけない…それは父や母から何千回と言われているし、介護職だから、ある程度の病気は分かります。
だからこそ、辛い部分も沢山あるし、知っていることで怖く思うこともあります。
でも、私が行く意味は祖母を満たすためではありません。後悔のないようにするためじゃありません。
祖母にとって、今何を望んでいて、これからどうしていきたいのか、一緒に考えたいだけなのです。
「来てくれてありがとう」なんて言わせたくない。
「退院してまた会おう」くらい言ってもらわないと!と思っています。
これは、私の一族の血縁なのかもしれませんね。
山口の祖父も、大阪の祖母も、そして私も頑固で気丈。
自分に今何ができるのか?を考え、その日できることを最大限やっていきたいと思います。
葉音
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