寂しさにさよならした日①

ご無沙汰のブログ更新です いかがお過ごしでしょうか

なんだか 梅雨がもうそろそろって感じですね

ジメジメした梅雨はひたすら嫌な気持ちになるものですけれど
真夏用の水源確保に必要な時期 なんて思うと それはそれで納得
その先にある安心の為にほんの少しの間辛抱 そう考えてやり過ごしたいです

さて今回から初の内容に挑戦していこうかなと思います
それは私なりの哲学。。自分の心や存在する世界の捉え方の学びのお話

さらっとヒマつぶし程度の読み物としていただければ幸いです

哲学っていうと難しいイメージがある?

でしょうけれど そんなことないんですよ

考えがグルグルとループしてしまう時に
ふわっと違う方向性をもたらしてくれたり

モヤモヤして言葉に出来ない多くの思いを
まとめてすっきりさせてくれたり

楽にしてくれるもの それが哲学 なんて私は思っております

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身近な哲学の代表格 「自由」

この言葉 あまりにもありふれてるのに 正体不明なんですよね
自由ってナニ?とか 自由とは?って普遍的疑問ですよね

日本では 自分勝手とか気まま って意味で用いられてて残念
どうやら中国での解釈を そのまま取り入れちゃったかららしいけど

東洋と発祥元の西洋では ぜんぜん意味合いが違い

本来は

自・・・自分 私
由・・・わけ いわれ そこからでてくる

誰に強いられるでもなく 自分が選び行動したこととし
その結果や影響も代償としてすべて受け入れる という意味

けっして 他者の迷惑や不快を省みずに 振る舞う事を指す言葉ではなく
むしろ ストイックな自己管理上に成り立つ生き方の一つ とも言えるかと

誰にも邪魔されず指図されずに自由に生きる って決めたら
それ相応の覚悟と行動も必要になるよね てとこも含まれるでしょうかね
そこ踏まえた上でも私は どこまでも自由に生きてゆきたいな

で そろそろ本題です

独我論(ドクガロン)って聞いた事ありますか

哲学における認識論の立場の一つ・・・というと
難しくなっちゃうのでくだけていいますと
自分および自分以外のとらえ方の一つ ってことであります

-概説-
「自分にとって存在していると確信できるのは自分の精神だけであり
それ以外のあらゆる存在および精神はすべて疑いうると考える」

-各種の独我論-
ジョン・R・サールさんはこう考えました
1、心的状態を持つのは自分だけであり、他者とは私の心に現れる現象に過ぎないとする立場。
2、他人も心的状態を持っているかもしれないが、それを確かめる事はできないとする立場。
3、他人も心的状態を持っているとしても、その内容は私と違っているかもしれないという立場。
例:私が赤いりんごを見ていたとしても、同じりんごを見ている他人には青く見えているかもしれない。

ジョージ・バークリーさんはこういってます
「存在するとは知覚されることである」

懐疑主義のデカルトさんはこういいました
「今私が考えているということ以外全て疑いうる」
「全てを疑っても、その疑う自分自身の存在は疑えない」

ー心の哲学まとめwikiより引用ー

これってあの頃の要因かも

まさにこれだったかも と今頃あの苦しみの答えに辿り着いた気がして
ネットで発見したので 今回のブログに至ったのはさておきまして

私28歳まで まったくこのまんまで生きておりましたね
しかも無自覚な独我主義 当時私はこんな感覚に陥って苦しんでました

「何も、もちろん人も、在ることそのものを信じられない」

「誰といても、どこにいても、何をしてもさみしい 孤独だ」

「この世界は自分以外に何も存在していないみたいに思える」

 

根拠なく寂しい時期ってきっと誰しもあると思うんですけど

でもそれって 自分の意識や感情だけが確かであって
自分以外の人が自分の五感に接触してこない限り
いないに等しく思ってしまう認識の問題だったんじゃないか

なんてあのずっと寂しかった時期をふりかえるのでありました

他者は自分の実存を確かめるために存在しているわけじゃない
自分に揺れ動く精神があるように 他者にも当然あると思っていいはず
なにより「現象」扱いし悪びれるでもなく利用するなんてどうなんだろう

と思うと もう・・本当に・・ゴメンナサイって 今さらですが
当時の友人知人たちに平謝りしたい 悪い事したと猛省するばかりです

独我主義と決別したきっかけ

28歳の時にですね 最大の転機があったのですよね

親も姉妹も友人も 誰一人信じない私が唯一一切疑わないで
傍にいられた人が一人いたのですが その人が死去してしまいました

死ぬってことは こんなことなんだなって 今でも鮮明に思い出します

その人の体が 地球上から消滅すること
だからどこを探しても もう会えないってこと
いないから 名前も呼んでもらえないってこと
その人が映る記憶が更新されることは もう二度とないってこと

もうこの世界には 私を受け止めてくれる人は誰一人存在しないんだ
それまでで経験したことのない 深く底なしとも思えるような絶望と喪失感でした

同時に 自分に対する激しい怒りが込み上げてきたのをよく覚えています

たった一人の人が消えたくらいで 何も私には残っていないと感じる
何やってたんだ私 28年も時間があったのに 何か自ら作り上げても
積み重ねてもない 感情に振り回され 憐れんで 自分に酔ってただけ

壊れてしまえばいい こんな私は 粉々に

お葬式から帰ってきた部屋で 床にへたり込んで やり場のない怒りで
泣き崩れたのを最後に それから1年間記憶をなくしてしまいました

今もどうやって生きてたか謎 ほんとナニして生きてたんだろう?です

会社勤めしてなかったので バイトで家賃払って食べてたんでしょうけど
どこで働いていたとか 誰がいたとか

覚えてないし 思い出せないでいます 多分思い出さない方がいいんだろうね
きっとあの時 脳の自己防衛装置が働いて私の心を守ったんだろうから

「あ 生きなきゃ」

そう思って 急に我に帰ったのは 1年の喪が明けて2日後だったはず
長い眠りから醒めたような しかも良く寝たような 頭の中完全なクリアで

あれは夢だったんだろうか すべて

そうであって欲しかったです 心から でも
チェスト上の遺影とお線香の存在が そうではないことを教えてくれました

あたしはあの人がいる世界に生まれ そして28年一緒にいたことは事実

それだけでも十分すぎるほど 計り知れないいろんな愛情を貰った記憶に
言い尽くせない感謝が あとからあとから溢れ出てきました

寂しさよりも あの人へのとめどない愛しさで またも涙がとまらなくなり
いいや これで最後にしよう ととことんわんわん泣きました

あの人がいない初めての世界

これからはあの人がいない そういう世界を生きていくんだなあ
ぼんやり そんなようなことを考えながら 初めて思えたんですよね

ちゃんと生きてみよう 考えて止めるより何か出来ないかをみつけよう
自分の力で 自分の手で なにかを作り出してみよう そして
時間の限り この世界にいる人を すべてを知っていこう って

その時頭のどこかで

やっと私になった 私がいま生まれた

そういう認識があったこと とてもはっきりと覚えています
うふふ 気持ち悪いでしょお 私も気持ち悪かったですよお

私が私を自らの意思で葬り 新生させたかのような
そんなことあるワケないんですけどね それに近い体験だったかもね

そうして 現在の私に繋がる 真逆の生き方『実存主義』
スタートが切られたのでありました(つづく)

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全2件のコメント

  1. 恭子 2016/05/29 20:19

    なつめさん、こんばんは。はじめましてカナ?
    長々としたこんなブログを最後まで目を通してくださってありがとうございます。
    待っててくれる人が一人でもいるってとっても嬉しいものですね。がむばって続編執筆しまーす。

  2. なつめ 2016/05/29 10:44

    わかります、なんて言うのも失礼な気がしますが。信じますよ。恭子さんのこと。
    続き読みたいです( *・ω・)ノ

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