日記を捨てることは、過去を捨てること?

こんにちは、kuaです。夏が近づいてきましたが、いかがお過ごしでしょうか。

さて、今回のテーマは「日記を捨てることは、過去を捨てること?」

※このブログは、iPhoneのメモ帳にて何度も書き直し何度か全部消しながら大まかに書き上げたのち、ここに書かせていただいております。そんなこんなしながらも結局はまとまりのないポワポワした文章になっているのですが…   そのため、実際に日記を捨てたのは2週間と少しくらい前だったと思います。

前置きが長くなりましたが…

 

みなさんは、日記を書いたことがありますか?毎日毎日、その日にあったことをつらつらと綴っていく…

私は、初めの頃はそうでした。小学校中学年の時、運動会で優勝したのが嬉しすぎて書き残したくなり、日記を始めたのです。それからは、日々嬉しかったことやちょっとした発見、自分から見て よくやったかも?って思うことを書いていました。毎日毎日、それぞれの日が違って、毎日毎日、何かしら楽しいこと嬉しいこと等がありました。日記にほほえみかけながら、日記を書いていました。

そしていつからか、それは変わりました。日記帳から闇の日記帳になりました。日々の楽しいこと、嬉しいこと等より怒りや苛立ち、悲しみや虚しさといったような感情や、言葉に表せないモヤモヤした気持ちが表立つようになっていきました。気付けば日記帳は、嫌なことがあった日に感情をぶつけるものになっていました。

赤ペンで書き殴っていたり、濃い鉛筆で1ページ塗りつぶしていたり(今考えればかなりの鉛筆の無駄ですね。笑)… 一回に書く分量がものすごく多かった時もありました。

この闇の日記は、先日捨てるまでずっと書き続けていました。

一見、国語とか数学とかのノートと見分けのつかないそのノートは、開くと破かれた跡もありました。

ここで一旦、その時の話をさせていただこうと思います。

 

私が闇の日記を書き続けていたある日、私はいつも通り本棚に日記を立てて学校に行きました。そして帰ってくると、ちょくちょくページが破り取られている日記帳と母の怒った顔。

“ああ、見られたんだな”

「こんなこと書いて恥ずかしくないの?将来後悔するよ」

日記帳の、破られたページ。

それは全て、親さんとのいざこざでのモヤモヤをぶつけたものでした。確かに、親さんには見せられる代物ではありませんでした。

破り取られたのが良かったのか悪かったのかは分かりませんが(今考えると良かったのかもしれないけど)、当時の私はイライラや情けなさでぐちゃぐちゃした気持ちでした。そしてまた新しいページを開き、そのまま また闇日記が始まったわけですが…

 

そして時は過ぎ、先日私はその日記を捨てました。まだ少しページは残っていましたが、捨てたい衝動に駆られて。 モヤモヤをぶつけて、いくらかスッキリしてきた日記。日記帳には感謝しなければならないところですが、読み返すと空恐ろしくなったのです。捨てたはずの気性が荒い私がそこにいて。幼児期、すぐ怒ったり引っ掻いたり泣きわめいたりしていて“気狂い”と親さんから言われた私がいて。結局はあの頃から何ら変わっていなかったのかと、ちっとも大人になんかなれていなかったんだな、と…

日記を捨てる。

幼児期のような気性の荒い自分を封印するため。恐ろしかったから、悲しかったから、情けなかったから。

捨てた日記の1冊目は、半分以上が楽しかったことや嬉しかったことを書いたものでした。

でも、それも捨てました。最後の方が闇日記だったから。そこだけ破り取るのは、記憶を選びとっているみたいだし親さんを思い出して ウーン…となったから。

全部全部捨てた後、小さい頃の記憶を辿ってみました。何が出てくるんだろうって。すると真っ先に出てきたのは、3歳の頃の記憶でした。空港のトイレでキャンディーを食べている一場面でした。笑   キャンディーの色まで覚えています。そして次々思い出されるのは、唯一優勝できなかった小学校2年の頃の運動会や、最高の年になった小学校6年生の頃の運動会、修学旅行…3歳の頃の記憶がなぜ真っ先に思い浮かんだのかは分かりませんが、楽しかった記憶ばかりでした。

日記を捨てても、楽しかったこと嬉しかったこと、そんなことは消えない。日記を捨てることは、過去を捨てることではないのかもしれません。

そしてまた、闇の日記を捨てることで、ずっと奥底に眠っているらしい気性が荒かった自分自身を封印しました。Twitterで激しい独り言を言うときも結構ありますが、暫くすると消すのも同じことです。打った文章だけれど、その文面から僅かに気性の荒さが見えているような気がして。それが良いのか悪いのかは分かりません。逃げているようにも取れるから。でもそれでも、少なくとも今はいいのかな、なんて思います。

私は立ち止まってばかりだけど、できることなら後ろには進みたくないから。今がよければ全て良しというわけではないけれど、少なくとも今の私には、気性の荒さを完全に直すことなんてできないと思ったから。

 

日記を捨てることは、過去を捨てること?

ここまで書いてきて、私が出した答えは、ノーです。(あくまでも、私自身の考えです) 楽しかったこと嬉しかったことは書き残さなくても覚えているものでした。そして書き残した嫌な記憶は、表立っては出てきませんが、日記を捨てたことで過去も捨てられるわけはありませんでした。過去の自分を封印しただけです。

闇の日記を書くことが良いのか悪いのかは分かりません。でも私はもう二度と書かないと思います。ボタンひとつで(というよりワンタップで)消せるところにぶちまけてしまうかな、と思います。

 

過去は消えない。消せない。描き上げたばかりの絵のテーマ、過ぎ去った時間は戻せないのと同じように。でも後々後悔するかどうかなんて考えながら日々生活するなんて器用なことはできません。だからこれからも行き当たりばったりかもしれない。でも、精一杯楽しんで生きられたらいいなと思います。

 

 

 

 

何か違うわ、と思われたらすみません、あくまでも私自身の考えなので…乱文で読みづらい文章をここまでお読みくださった方、ありがとうございました。

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全1件のコメント

  1. rikako 2016/07/03 22:08

    読ませていただきました。

    わたしもよく闇日記というか、思ったことをノートにつらつら書いています。もう4年になります(笑)
    ノートでいうと12冊(笑)
    無駄だなぁって思いつつ今も書いています。

    確かに、読み返したくない部分も沢山あります。
    破いたり、罵倒したり、ペンでぐちゃぐちゃに書いたり、嫌なことを書いたり。
    kuaさんと似ていますね。
    「もう嫌」って書きすぎて、やたら「嫌」っていう漢字が上手くなったり (苦笑)
    楽しいことも書いているんですけどね。

    これを読んで、ちょっと 捨てようかなって思いもあります。
    過去に囚われすぎるのもよくないかなって。
    でも流石に12冊なので、惜しい気もして、なかなか踏ん切りがつかないです(苦笑)

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