自分自身を『普通』だと思いたい

今日も最近思っていることを書いていこうかと思います

いつも拙い読みにくい文章で申し訳ないです

普通

自分がいわゆる『普通』とかけ離れた存在だったと知った時、そう感じたとき

きっと人は大きなショックを受けるんだと思います

自分は普通じゃない

そう感じるとき自信を失う

社会的な生き物である人間の本能なんじゃないかなと私は思います

ときに人は『普通じゃない』ことを誇れるように思えても

やっぱり人間は『普通』から抜け出せないんじゃないかなと思います

相手が間違ってると感じるとき

人生、腹が立つことってありますよね

腹がたったことがないなんて

そんな寛大な人もいるのかもしれませんが

腹がたったことがある人は多いんじゃないかなと思います

腹がたった時

その理由は相手が間違ってると感じるからなんじゃないかなと思います

言い換えれば『相手が自分の普通だと思ってることをしない』

ということなんじゃないかなと思います

自分の普通

それが実は腹が立つ原因だったりするのかもしれません

自分自身の普通、それが踏みにじられる

自分の普通

それは誰しも持っているんじゃないかなと思います

その普通を捨てるなんてことはきっとできないんじゃないかなと思います

けれどその普通を踏みにじられる体験をすることは人生にはたくさんあります

そんなとき

ある人は激昂して相手を非難する

『あなたは間違ってる、普通じゃない!』

ある人は影で自分の普通を正当化しようとする

『あの人って変な人よね、普通あんなことしないよね(コソコソ)』

ある人は自分を責める

『自分は間違っていたんだ……自分は間違った人間だ』

いろんな対処の方法があるんじゃないかなと思います

そのどれも一度は経験したことあるんじゃないかなと私は思います

もし、自分の普通が踏みにじられた時

いちど考えてみてもいいのかもしれませんね

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コメント一覧

全2件
  1. schedule2016.06.19

    ぬい

    普通があるからこそ
    判断ができる
    そういう部分もあるんだと思います
    まあ
    全てが普通の人って
    実は幻なんじゃないかと私は思います

  2. schedule2016.06.14

    鷹れん

    “普通”って、なんとも難しいものですよねぇ。
    普通を言い換えるなら「一般的」とか「平均的」とか「基準」とかになるんだろうけれど、身長体重握力筋力テストの点数成績その他諸々がぜーーーーーーーんぶ平均点や基準値をとっていたら、もはやその人は“普通”ではないわけで。

    個性を認められる社会になればいいと思いつつ、今日も「普通」を目指して生きてしまいます

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