大学辞めたい!そして実際に辞めてみたらこうなった私の話
edit2016.07.16 22,584
こんばんは、なおです。
いきなりですが自己紹介させていただくと、私は一度大学を辞めたのち別の大学に入り直し卒業、そして大学院生になり、でも正規ルートでの就職はできず、偶然見つけた大学中退者の就職支援サービスのおかげで今の仕事に就職するという、なかなかめんどくさい経歴(笑)を辿りました。
そんなわけで、「悩んで死にそうになってる昔の私みたいな大学生・大学院生の気持ちを楽にできたらいいなぁ~」という気持ちがぼんやりとありました。
というのも、検索エンジンで「大学 辞めたい」と調べてみると、「辞めるべきではない」「甘え」「金を掛けさせといてドブに捨てるんかい親不孝」みたいな厳しい意見も出てきたりして、悩みがますます苦しくなるのですよね。
結局は本人が決めること、とはいえ、弱ってる時は少しでも気が楽になる何かにすがりたくなる。その時の私が欲しいのはもっともらしい正論ではなく、体験者の率直な事実と、「辞めてもいいよ」という肯定でした。大抵外野から厳しい意見をぶつけてくるのは、日々歯を食いしばって嫌なことでも試練と受け止め頑張っている勤勉な大学生像、そしてその姿勢が維持できない自分を責めている自分自身の心の声である、ということが多いと思うのです。
ですので、そんな悩める大学生や、甘えず頑張っているが故に弱音が許せない勤勉な大学生に、ぜひ伝えたい私からの2点の意見。
・大学を辞めるも休むも変えるも続けるも頑張るも怠けるもあなたの自由。でも周りが……と思うのは、あなたの人生が誰かのもの扱いになっているからではないか
・何を選んでも迷いや後悔、批判は少なからず付いてくるであろう。それでも良い!と覚悟して腹をくくれる方を選び取れば良いと思うよ
そこで、実際に大学を辞めた私が、何を喜び何を悔やんだのかを書いていきます。尚これは私個人の感想なので、万人に当てはまるものではないということをあらかじめご了承ください。
一切の肩書の無い自分、まったくの自由ということの恐ろしさと不安
退学届を提出したのは2年次の4月、前期期間が始まる直前でした。それが済んだら、なんの予定も縛りもない空白の状態となりました(アルバイトはしていました)。
それまで大学をまるで檻のように感じていた自分からすれば、焦がれて望んでいた状態のはず。でも、幼少中高大と今まで組織に縛られて=守られていた自分は、そのあまりの頼りなさを実感として知りませんでした。アイデンティティの大きな部分をがっぽり持っていかれた気分です。初対面の人に自分をなんて説明しようかも、咄嗟に思い付かない状態がしばらくは続きました。枠組みを否定してばかりいたけど、組織に属するメリットも十分にあったのだと、しみじみ感じました。地位のある、属するコミュニティのある、安心感です。野放しで即奔放に生きていられるほどには当時の私に明確なビジョンもなく、あったかい環境の中でピーチクと文句を垂れていた温室お嬢ちゃんだったとしみじみ思い知りました。
自分とは何なのだ、という問答を始める好機になったのですね。その問答は今でも続いているのだけれど……笑
「自分で決めたことを途中で投げ出した」という気持ち
大学を辞めたこと、それ自体には後悔していません。ただ、「やりきっておかなかったことを残してきた」という気持ちは後々湧いてきました。やり残しが良いとか悪いとかではなく、途中で辞めたという事実は残った訳ですからね。
高校3年の時の私は、自信満々だった第一志望の大学のAO入試に落ちて愕然としていました。そこへ、進路担当の先生が今の私の成績と志望に見合った別の大学の推薦枠の話を持ってきてくれました。そしてその大学を見学に行き……
「うーんなんか、ピンと来なかったし……気乗りはしないけど……(こういう第6感って意外と重要なものです)……でも条件的には優れてるよな……」
「親を安心させたいし……(孝行娘のつもりですが、無意識のうちに決断の要素を親に委ねています)」
というような気持ちで、枠が貰えさえすれば落ちることは無いとされる指定校推薦制度で入学を果たしたのでした。そんな体たらくだから、合格通知をもらってもさっぱり嬉しくなく気持ちが荒涼としていた覚えがあります。いっそ、落ちるはずのない枠から落ちたら笑えるのにwみたいなそんな似非ニヒリズムっぽい思いさえありました。でも当時はそれが精一杯の私の決断だったのですね。
だから、大学を辞める話を家族とした時も「AO落ちた時あんなに心配したから!!指定校枠取れば安心って薦めたじゃない!!」と感情的に親を責める気持ちがありました。悶着の末、親を説き伏せた(というより、無理矢理押し切って諦めさせた)時は、「親の縛りを断ち切ってやったぞ!!どうだ!!」みたいな、誰に威張りたかったのか(親なのですけど)、爽やかな気持ちがありましたね。それまで親とこんなにモメたことは無かったので、反抗期を成し遂げてやった、みたいな気分でした。振り返った今だからこそ、それはきっと必要なプロセスだったのだ、という気持ちにもなれますが。
それでも、人のせいにしても、いや人のせいにしたからこそ尚、「あの時やりきっておけばどうだったかな?」という気持ちは今でも少し芽生えたりするのです。決して否定的な気持ちではなくとも、大きな選択肢を一つ、自分の手でブチッと痛みを伴って切り離し捨てた、そんなような感覚があります。
辞める以外の手立てがあったかもしれない
今の私があの時の私に声をかけるなら、きっと、まずは休学してみることを薦めます。そして、もっとたくさんの人に話をして、体も心も休めて、十分心の泥を吐き出してから決断することを薦めたでしょう。とにかくあの時はいっぱいいっぱいで、「辞めたい」それ以外の要求が頭に浮かばないほどでしたから、当然両親と恐ろしく衝突しました。生まれて初めてあんなに親を怒鳴らせ、泣かせ、私自身も怒鳴りながら泣いたという状態でした。
なぜそんなに辞めたいのか、本当は誰かに辛さをまるっと受け止めてさえもらえればそれでも良かったんじゃないのか? その辺りのもつれをほぐしておけたら、今は変わっていたかもしれないな。そうとも思います。
結局あの時、「大学を辞める」という手段にすり替えて看過した自分自身の心のもつれとは、時が経ってからまた時間をかけて向き合うことになる(現在進行中)羽目になったのですから。
心のもつれ(認知のゆがみ、と言ったりブレーキ、ブロック、怖れ、心の穴と言ったり呼称はいろいろあります)と向き合うタイミングは人それぞれです。早ければ良い、遅ければ良い、ということはまったくありません。中にはずーっと向き合わぬままに生き通す人もいますし、それはそれでその人が幸せなのならひとつの正解なのでしょう。
でも、今自分の目の前に大きなハードルが立ち塞がっていると感じたら、そのハードルを物理的にどうこうしなきゃと考えるよりも、なぜ自分はこの目の前の単なる事実を大きなハードルと感じ、そして除去ないしは乗り越えなければならないと感じているのか?そう思う自分の心を見つめ直す時間を設けても、損にはならないと思います。
計算ずくの進路から、予測のつかない道へと踏み出したワクワク
あれこれ述べてはきましたが、すべては今だからこそ思える反証です。当時の私には、もう辞める以外に取りたい選択肢が無かったのでした。
進路を決める時、私は「心理学部に行って、そのまま内部進学で臨床心理士の第一種指定大学院に行って、臨床心理士になろ~~」と6年以上先のことを見通して決めていましたし、その計画に何の狂いも無いと思っていました。
でも実際は、計画をスタートさせて1年と経たないうちに呆気なく狂ったのでした。笑 未来は予測のつかないもの、計画とは狂うもの、そして狂っても良いし、狂った時にやり直しても別の計画へ移行しても好きにすればいいのだ、と学んだ体験だったと思います。
24歳時点のキャリアまで見通したはずが、それは19歳の時点で既に見失いました。そして実際に24歳になったときには、あの頃微塵も考えちゃいなかったことをしていて、今はもう一体何でこんなとこまで来ちゃったのやら、ってたまに思います。笑
計画が狂ってしまったとき、確かに不安ではあったし、足元はグラグラしていたけれども、悪い気ばかりじゃなかったのです。
ワクワクしていました。だって、計画が無いということは、この先どこにだって行けるという果てしない自由があるのですから。
(本当は、どこにいようと何をしていようと、自分の心が自由である限り取れる選択肢は無限なのですけどね。)
手帳を持ち歩き、予定を管理して日記をつける習慣がまともに定着したのもこの頃からです。かわいい猫柄のカバーがついた手帳を買って、「この猫たちが湧き立つような楽しい予定や記録をこれからはいっぱい詰め込んでいこう!私の毎日は私の意志で充実させよう!」と、ここまで来てやっと、自分の生活は自分の好きにして良いのだ(その代わり、やったことに対して生じる結果を飲み下すことも同時に受け容れるのだ)ということを実感として理解することができたのでした。
そして偶然見つけた就職支援サービスで今の仕事に出会う。
その後も紆余曲折ありながらも、私は今自分の好きな仕事に就けています。それは大学を中退してありあまるほどの時間を手に入れたときに、ゆっくりと「自分がやりたいことってなんだろう?」と考える時間をつくれたおかげだと感じます。大学も辞めちゃったし「自分が惹かれるものをちゃんと自分の足で探さないといけない」という気持ちが強まった影響もあるかもしれません。
そしてもう1つ。
私が好きな仕事に就けたのは、大学中退者やニート・フリーターのための就職支援サービス『若者正社員チャレンジ』を見つけたおかげもあります。
若者正社員チャレンジは東京都の公共事業で、新しい一歩を踏み出したい人にさまざまなサポートを無料でしてくれるサービスです。私のような大学中退者をはじめ、フリーターやニート期間が長い方や働いた事がない方などの支援実績も多数あり、やる気さえあれば誰もが好きな仕事に就くチャンスをもらえます。
なんだか宣伝のようになってしまいましたが、ここで伝えたいのは「大学を辞めたからって好きなことができなくなるわけではないし、むしろゆっくりと自分のやりたいことを考えることができるし、やる気さえあれば好きな仕事に就くこともできるよ」ってことです。
おわりに 正解はあなた自身が決めるのだ
いろいろ書きましたが、いかがでしたでしょうか。私は、大学を辞めることに対して賛成も反対もしません。それは当事者が勝手にすればいいことだから。自分の過去にとった選択肢についても、良かったことも悪かったこともどっちもあったな~けれど、トータルで見て今の自分に繋がったならまぁまぁそれもそれで良かったな、悪かぁないな、ぐらいのファジーな気持ちでいます。
大学を辞める、それ自体に良いも悪いもありません。残るのはただ、「自分は大学を辞めた」という事実、それだけです。それを本人がどう受け止めるのかによって、人生の見え方が変わってくるというだけです。
中退だから甘えだ怠けだとか、中退だから自由人とか反骨だとか、お金の無駄か貴重な経験か、そういうのは見る側の勝手な評価でしかありません。実際、大学を辞めた後に行った就職活動では、大学を辞めたことに対して「そんなんじゃ甘いよ、やってけないよ?」と批判的な面接官にも、「度胸を買う」とある種肯定的(なのか?)にとらえてくれた面接官にも、どちらにも会うことができました。やってけないよ?と言われて悔しさに言葉を詰まらせた私も、今なんとかやってけてますしね……笑
じゃあ、結局決めるのは自分でしかないのなら、何のため誰のためにこの記事を書いたの?ということについてですが。実は内心答えが出ているけれど、それでも踏み出す勇気が無い人に対して私は言いたいな、って思っています。「人のせいにしないで、自分の好きにしてみたら?」と。とりあえず実際私はまだ生きているので、辞めるか!?死ぬか!?みたいな気持ちにまで追い込まれている人には、ぜひこんな奴もいるしのうのうと生きているという事実を知っておいてくれたらな、と思っています。笑
大学辞めても続けてもサボっても単位落としても、親を泣かせても喜ばせても、面接官に褒められてもディスられても内定が出てもお祈りが来ても、それで腹が立っても悲しくなっても、あなた自身が生まれながらにして持っている根本的な価値や個性はまったく傷つかないし揺るがないですよ、ってぜひそう思ってみてほしいです。
まとめ この記事を1行で言い表すと
胸を張って真に己の好きな道を生きよ!!悩める大学生諸君よ!!笑
※この記事でおすすめした就職支援サービス
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