「無い物ねだり」を考える
edit2015.03.02 1,350
最近私が「無い物ねだり」を凄くするという事に気付きました。なのでここ一週間くらい、無い物ねだりについて考えました。今回はそれをブログにさせていただきたいと思います。
無い物ねだりって?
・隣の芝生は青い
・隣の花は赤い
・他人の飯は白い…
皆さんはこんな言葉、聞いた事ありませんか?
これってどんな意味?
「隣の芝生は青い」とは、隣のお家の芝生は青々としてるように見える。でも、本当はそんな事なくて…他の言葉もそうですが、何でも他人のものは良く見えるのだという意味です。
結局は他人が持っているものは、良く、羨ましく見えてしまう。
自分はいつになっても幸せな気がしない。もっと幸せになれるんじゃないか、もっと上手くいくんじゃないか、と『追求者』になってしまうのです。
たしかに、常に自分を高めること、より良い技術・思考を身に付けることは重要だと思います。
でも、自らの置かれている環境をよくよく考えて、見て欲しいのです。
自分を高めたい・良い人生を送りたいがために、他人の羨ましいところばかり見てしまって、自分の置かれている環境を何故か悪いと思い込んでしまって。「自らは不幸だ」という考えに陥ってしまう。
自分に無い物ばかり良いなと思って、羨んで。
そして他人のような幸せを求めてしまう。自分の幸せと他人の幸せが違うとも知らずに、自分にしかないものがあるとも知らずに…
そして「前の自分は良かった」「昔は良かった・あの頃は良かった」という言葉もまた「無い物ねだり」だと思っています。ですので、このブログでいう『他人』とは、本当の意味での他人と、さらに過去の自分もまた今の自分ではないという事で他人という名称で書いていきます。
『追求者』じゃいけないの?
既婚者の追求者は
「独身っていいな」
未婚者の追求者は
「結婚したいな」
仕事で忙しい時は
「家でゴロゴロしていたい」
家でゴロゴロ暇な時は
「暇だつまらない」
これでいつ幸せになれるのでしょうか?
そもそも、こういう考えをしてしまう人たちの幸せって、なんなんでしょうか?
幸せってなんだろう?
幸せってなんでしょうか?
むしろ、幸せって、ならなきゃいけないものなのでしょうか?
幸せって義務なのでしょうか?
幸せって、
結婚する事でしょうか、独身で自由気ままに旅する事でしょうか。
幸せな家庭を持つ事でしょうか、仕事で成功する事でしょうか?
きっと、正解は無いと思います。
人それぞれ、幸せの考え方はあると思います。
このブログは、正直言うと、いつか読み返すであろう自分へ向けたブログでもあります。
私の過去と今
私はスポーツを辞めてから、ずっと何かが止まっています。
彼氏がいれば幸せ、友達がいれば幸せ、たしかに幸せでもありました。
でも、それが幸せだって、思わなくてはいけないと思っていました。世間ではまだ、女性の幸せは結婚する事だという風潮がありますよね。
だから私は、スポーツが無いのなら、恋人と友達と幸せになる事が義務だと思っていたのです。
でも、恋人がいても無い物ねだりは続きます。恋人と別れると悲しくて辛くて友達がいながらも無い物ねだりが始まります。
なぜしてしまうのでしょうか?
でも、こんな私でも無い物ねだりしていない時もありました。
スポーツにひたすら打ち込んでいて、仲間と切磋琢磨していた時。毎日両親に、本当に楽しい、最高!と言っていた時もありました。
あぁ、あの日々が本当の私の幸せだったのかなと…
だからと言って、またスポーツに打ち込む事は出来ません。きれいごとをいくら並べようと、世の中には遅かったこと、取り戻せないものはあるのです。
じゃあ、どうやったら幸せになれるのでしょうか?
今の私が幸せになれる方法
今の私なりの幸せを考えてみることにしました。
まず、私の特徴は
・人間関係でネガティブ
・人間関係で依存しやすい
・独りぼっちは嫌だけど一人の時間が無くてはダメ
ということは、
私の幸せは旦那さんを支える専業主婦になる事でも、恋人を作らずひたすら趣味や仕事に打ち込む事ではなさそう。
でもこれって追求者?
たしかに、「自分なりの幸せを追い求めている」という面では、追求者かもしれません。
でも、きっと無い物ねだりになるのも、追求者になるのも、”手に入れた後”だからダメなんじゃないかな?と思うんです。
「隣の芝生は青い」って、もしかしたらこの人は、隣の人が芝生を植えていてこりゃあ良い!と思って植えてみたものの、芝生が綺麗に見えなくて、隣の芝生が良く青く見えているのかも…?
もしかしたらこの人は、芝生より、日本庭園や和風のお庭が本当は好きで、枯山水を作りたかったのかもしれません。
「他人の飯は白い」はチャーハンが食べたかったのかもしれません。
だから、人の物を良いな!他人の幸せを良いな!と思う前に
「自分なりの幸せ」を考える事が大切なのではないでしょうか?
あの人は良いな、あの人のこういうところが良いなと、自らその人のような事をするのではなくて…
自分にしか出来ないこと、自分なりの良さを見つける事が大切なのではないでしょうか?
アレもコレもって自分の容量オーバーな幸せを求めると、きっと上手くいかないでしょう。
本当に必要なものを、本当に必要なだけ、求める事こそ、本当の幸せへの第一歩なのかなぁと思います(o^^o)
私なりの答え
まだまだこの答えが正解かは分かりません。
ですが、きっと私の幸せは、
仕事や趣味を大切に出来て、
その上で仲間や恋人と共に
生きていくことなのかな…?
って思うんです。
私って努力するのが好きなんです(笑)
努力は大変とか、辛いとか、そういうイメージがありますけれど、私は違かったんです。
スポーツしていた時、休日なら12時間練習する事も嫌じゃなくて。今、好きな勉強は8時間勉強していても飽きません。
私は好きな事をやり過ぎて苦痛なるということがあまり無いのです。
遊びに行きたいと思って、遊びに少しでも行くと、それでわりとすぐ満足しちゃうんです。
だからこそ、やっぱり私には打ち込める何かが必要だと思うんです。それを見つけることが、きっと私の幸せへと続くのかな…なんて。
結論
・幸せは、1つじゃない
・他人の幸せと自分の幸せは違う
→幸せは十人十色。いろんなカタチがある。
・自分の良さに気付く
→自分にしか無いものを人は絶対持ってる! どうしても無い物ねだりしてしまうなら、自分に足りない物を冷静に考える。
・自分の幸せに気付く
→本当に他人の方が幸せなのだろうか?ということをよく考えてみる。
・今の自分の良さに気付く
→今しか出来ない事、今の自分の成長にちゃんと気付いてあげる。悩みが多いって、悪い事ばかりじゃない。悩む=解決しようとしているんだと思うんです。だから、たくさん悩む人はたくさん成長しているはずです。
私たちは幸せになるためにいろんな事を考えて、試行錯誤を繰り返しますよね。
でもそれと、人の物・人の幸せを羨んだり、どうにもならない事「無い物ねだり」をする事は違うと思うんです。
他人と自分、性格が違うのなら、幸せのカタチも違くて当たり前です。
人を羨んだり妬んだりする前に、まず自分の幸せを見つけること。自分の良さを見つけてあげること・自分の良さに気付いてあげること。
それが大切だと思います(o^^o)
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