愛とエゴを履き違えるなよ
edit2016.08.07 15,730
愛とエゴは紙一重だけど決して履き違えてはならない。
毒になる親やストーカーなどはここを履き違えている。
「お前のためを思って」とか「こんなにも愛しているのに」とか「なんで分からないんだ」とか。
それは愛という名の支配。
自分の欲望を満たすために、あるいは負の感情を埋めるために人をコントロールしようとする。
人を支配しようとすることは相手の尊厳を踏みにじり罪悪感と劣等感を押し付ける卑劣な行為。
残念ながらそれは愛なんかじゃない。
愛という名のもとに毒になる親の支配はどれほど子供を苦しめただろうか。
愛という名のもとにひとりよがりの恋愛は相手にどれほど苦痛を与えただろうか。
だけど本人たちは決してそのことに気付くことはない。
ぼくたちは常に自問し続けなければいけない。
これは愛なのだろうか、それともエゴなのだろうかと。
相手の意志や想いを尊重せずに自分の願望を相手に押し付ける行為は全てエゴ。
例えそれがいくら相手のことを思ってのことだったとしても。
人を変えようとするのもエゴ。
自分の願望を相手に押し付けようとしているに過ぎない。
愛とエゴを履き違えないためには相手のことを尊重しているか、それとも自分の願望を押し付けようとしているだけなのか、常に自問しなければならない。
エゴ自体が悪いわけじゃない。
自分の願望はとても大切なことだから。
そして自分勝手なわがままもときには相手を喜ばせることもある。
子供にとって親は大切な存在。
恋人にとってパートナーは大切な存在。
大切な人の役に立てることは嬉しいし誇りに思う。
だけどそれはあくまで相手が自らそう望んだ場合の話。
だから
自分のエゴを押し付けて愛を語るな。
愛という名の大義名分のもとに人を支配しようとするな。
彼らは自分のことしか考えていないということに気付いていない。
そしてこれから先も気付くことはない。
なぜなら自分と向き合っていないのだから。
歪んだ想いを正しいと信じているのだから。
人を支配してコントロールしようとする人たちは強い劣等感と負の感情を持っている。
自分の弱さと向き合えないから人を支配することで心を満たそうとする。
自分のことで頭がいっぱいだから子供や恋人の気持ちを尊重するということが出来ない。
そのことに気付き自分の劣等感と向き合って乗り越えない限り彼らが変わることはない。
だけど彼らはいつも事実を歪める。
なぜなら真実と向き合うことは自分を否定することになるから。
だからいまもしも親や恋人に支配されている人たちは相手が変わることに期待してはいけない。
変わるべきは自分自身。
支配から逃れ自由になるためにはそれがどれだけ辛く苦しかったとしても戦わなければならない。
だけど戦うということは相手を変えることでも打ち負かすことでもない。
やみくもに反抗することでもない。
反抗している限りそれは結局相手にとらわれているということだから。
傷つけあっても何も得られない。
より泥沼にハマっていくだけ。
あくまで戦う目的は自分自身を救い尊厳を取り戻すため。
自分の人生を取り戻し自分らしく生きるため。
その戦いは自分自身と向き合う辛くて苦しい戦いになるかもしれない。
だから一気にやる必要はない。
時間はあるのだから。
焦らず少しずつしっかり準備を整えて。
ひとりで無理なら人の助けを借りて。
そしていつか心が解放されたとき本当の自分を手に入れることが出来る。
本当の自分の人生を生きることが出来る。
※参考文献
「毒になる親」スーザン・フォワード
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