図書館、という居場所

こんにちは、キュウです。

今日は、私の『図書館』という居場所について書きたいと思います。よろしければお付き合いください^^

気軽に立ち寄れる心地よい場所

私は本が好きです。特に、小説が好き。主人公が10〜20代の、思春期の複雑な心を描いた物語が好きです。

私にとって小説は「みすぼらしくて価値のない」私を、”登場人物”という価値のある存在に置き換えて忘れさせてくれる存在でした。

中学生くらいまでは、自分のカード分の貸し出し冊数だけでは足りず、県立図書館と市立図書館をはしごしたり、一緒に図書館に付き合ってくれる弟や親に私の読みたい本を借りてもらう形で25~30冊くらい一気に借り、自分の側に本を山積みにしてご飯もトイレも行かず、夜更かしをしてまで読むほど小説が大好きでした。

受験やボランティアなど、忙しくなるにつれて時間はなくなり、本を読むことからしばらく離れていましたが、ボランティアに一区切りつけ時間に余裕を作れるようになったあと友人と図書館に行ったことをきっかけに、再びフラッと立ち寄る癖がつきました。

「獣の奏者」

最近読んだのは、上橋菜穂子さんの「獣の奏者」という本。

シリーズで4巻、外伝が1巻、全部で5巻の、読み応えある作品です。

この本は、私が7歳の時に放送されていたNHKのアニメ「獣の奏者エリン」の原作となった本で、当時、「獣の奏者エリン」を見て物語にすごく惹き込まれた私は、図書館へ行きこの本を借りて一気に読みました。

読み応えのある小説を読むと、すべてのストーリーを読み終わったあとに、なんというか、余韻に浸る時間があるのですが、この小説を読んだあとの心に迫るものは凄まじく、とても印象に残っていました。

それから何年も経ち、ストーリーはほとんど思い出せないようになっていましたが、最近とても辛いことがあって悲しかった時にふとこの物語が思い浮かび、もう一度読んでみると、子供の頃にはわからなかった場面の描写がとても共感できるものになっていたり、勇気をもらったりと、とても充実した時間が過ごせました。

図書館とは、本との出会いの場

私にとって、図書館とは、本との出会いの場。

本たちは、それぞれの物語を内に秘めたまま、手に取って読まれるまで何も伝えず静かに佇んでいますが、手にとって読んだ時に、一冊の本という物理的な大きさを超えた壮大なものを見せてくれることがあります。

私は本のそういうところが好きです。

泣いたり、笑ったり、現実には何も起きていないのに、本を読むだけで喜怒哀楽が引き出されるなんて、不思議だなあと思うけれど、それもまた本の魅力の一つです。

図書館は居場所にもなっている

私の知っている図書館では、ほとんど誰もおしゃべりなどしません。

噂話が聞こえてきて勝手に疲れることもなければ、自分の知り合いがいるわけでもないので、マナーを守りさえすれば目の前の誰かに対してそれ以上に気を使うこともありません。

騒がしい音や広告もないので余計なエネルギーを使うことなく本に集中できますし、そこにいるためにお金を払う必要もないので、閉館時間まで好きなだけ居ることができます。

疲れたらすぐに帰れるし、居たければそれを迷惑に思う人もいない。

直接誰かを傷つけることもないし、直接誰かに傷つけられることもない。

さらに、距離も、家から歩いて10分くらいなので最寄り駅に行くよりも近くて手軽。

それがとても楽に感じるのでしょう。

今まで全然気づいていなかったけれど、図書館は、人付き合いに疲れてしまった時の私にとって、とても楽な居場所のようです。

存在を否定されない場所

図書館は私に何も難しいことを求めません。求められるとしたら、最低限のマナーだけ。

ただ、居場所と時間を与えてくれるだけです。

そして、職場で辛いことがあった時、恋愛で悩んだ時、友達と話して失敗した時、、、あんまり誰にも話したくないな、と思う悩みを密かに持っていけるのが今の私にとっての図書館だったりします。

今の心の悩みに合うような心理学的な本を読んでみたり、興味深いタイトルに惹かれて文庫本を読んでみたり、昔読んだ本と再会した懐かしさで小説を読んでみたり、足りない知識を埋めたくて知識本を読んでみたり。様々な本が置いてあるので、図書館にいるだけでいろんなものが得られます。時にはメモをして知識を手元に残したりして。

そうやって、誰に聞いてもらうわけでもなく、誰に話すわけでもなく、ただ心の赴くままに本を貪る。それが、どうしようもなく心地いいことがあるのです。

おわりに

私にとっての図書館がどんな存在か語ってしまいましたが、いかがでしたでしょうか。

実は、この記事を書いたのにはきっかけがありました。

ご存知の方も多いと思いますが、この間、ココトモメンバーでありティーンズプレイス管理人でもある「鷹れん」が「報道特集」という番組から取材を受け、その内容が放送された日がありました。

その特集は「子どもの自殺を防ぐために」で、いじめによる自殺者の遺族の話から始まり、フリースクールに通う10代たちからのメッセージや、10代の居場所を作る取り組みをしている鷹れんの想い、昔いじめられた経験のあるシンガーソングライターの方の歌など、自殺するほど辛い人へメッセージを発信している人たちが取り上げられ、最後に遺族の想いでしめられていて、涙がこぼれてしまう内容だったのですが、その中で特に印象的だったのが、「鎌倉市図書館」からのSNSメッセージでした。

もうすぐ二学期。学校が始まるのが死ぬほどつらい子は、学校を休んで図書館へいらっしゃい。マンガもライトノベルもあるよ。一日いても誰も何も言わないよ。9月から学校へ行くくらいなら死んじゃおうと思ったら、逃げ場所に図書館も思い出してね。

この言葉を、学校に行けない時の私が読んでいたらどう思ったのかなと考えてしまいます。

当時は、図書館もなかなかハードルが高く感じており、「学校の時間に図書館にいくことで周りの大人に悪く思われているんじゃないか」「いつか怒られるんじゃないか」「知り合いに会って変な噂を流されるんじゃないか」という不安がつきまとうあまり、図書館への滞在時間は本の貸出・返却のみで、あまり長くはいられませんでした。本を選ぶのに時間がかかるのも嫌だった時は、予約したり、図書館に買って欲しい本をリクエストしたりして、カウンターに行けばすぐ借りられるよう工夫してました。

そんな私がもし当時このメッセージを読んでいたら。そして、そのような心が、私の自宅近くの図書館の職員の方々にもあったのなら。

「学校の時間に図書館にいくことで周りの大人に悪く思われているんじゃないか」「いつか怒られるんじゃないか」という不安は軽くなって、図書館も居場所になっていたのかもなあ、なんて、ぼんやりと考えます。「知り合いに会って変な噂を流されるんじゃないか」という不安も、学校の始まる時間が過ぎてから図書館に行って、学校が終わる時間の前に帰ってしまえば、もしかしたら大丈夫だったのかもしれません。

 

私が学校にいけなかった時期に、実際に居場所になっていたのは自宅でした。正確に言えば、「自宅で自分の布団で本を読んでいる時間」でした。(当時は自分の部屋がなく、プライベートな空間がなかったため、一人になれる時間というのはそれかトイレぐらいでした。)でも、「今学校に行かないあなたには将来うまくいく希望が見えない。」という本心のメッセージを隠しきれない親は、私の心に安心できる居場所を与えてくれることはなかったんですよね。

けれど、本の世界だけは私が「不登校」という”問題”の持ち主でも、否定することなく自由に羽ばたかせてくれたから、そこが物理的な居場所にもなってくれていたら、すこしだけなにかが変わったのかなあ、と。

まあ、そんなことを振り返っても当時を変えることはできないけれど。

 

それでも、少なくとも今の私にとって大切な居場所の一つになっている図書館の魅力を、ブログで紹介してみたいなあと思いました。

お付き合い頂きありがとうございました^^

 

では、また次回のブログでお会いしましょう♪

キュウ

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