あの日から11年
edit2016.09.11 1,338
こんばんは。*:゚(♡ˆoˆ﹡)゚:*。みなです。9/11日になりましたね。
2006年9/11(月)私が自殺未遂をした日です。あの日から今日でちょうど11年…。
あの時、パジャマにスリッパで、近所のビルの4階まで歩いて行きました。
その時私は、スリッパを抜いで、堕ちたみたいです。そのスリッパは、後で警察が返してくれたそうです。血だらけの服は、医療関係者の方が返してくれたそうです。
堕ちた瞬間、ものすごく痛く、「痛い〜」って、そしたらおじさんが、「子供が飛び降りた〜痛いなぁ」って言ってくれました。当時20歳でしたが、幼かったので、子どもに見えたのでしょうか。
そして、救急車の中で、「死にたいけんそのままにしといて」と、ずっと言っていたそうです。
病院に着き、自分が本当に死ぬかもしれないことを夢の中で悟りました。その時私は、”生きたい”と思いました。
その時私は、人間の心を取り戻したのです。
病状は、多発性外傷、脊髄損傷、出血性ショックなどなどでした。
まず、骨盤がぱかっと割れていて、からの出血がひどく、それを止血してくれました。それに1時間半ぐらいかかったそうです。
そして、「最高で車いす」とドクターに言われて、手も折れていたので、手も動かなかったら車いすもこげないということで、手の手術をしてくれました。骨盤はそうがい固定というので固定してくれました。
ICUで2週間、救命救急センターで2週間いました。モルヒネ最強に投与し、意識はもうろうとしていて、死ぬか生きるかを2週間ぐらいさまよいました。先生が生きれるって言ってくれた後も、このまま寝たら死んでしまう気がして、薬を飲んでも眠れませんでした。
やっと一般病棟に移り、夜安心して眠ることができました。
少し病状が安定してきた頃、ほかのことについても考えないといけなくなりました。
脊髄は、外傷から2時間以内でないと、神経が回復する見込みは少ないそうですが、
私は外傷から2ヶ月ぐらい経っていたので、手術する意味があるのか、お医者さんたちが悩んでいました。
でも、私の若さにかけて、手術をしてくれました。
そして、リハビリの病院に移り、理学療法と、作業理学療法を受けました。
足は、全く動かないと言われていたのが少しは動くようになって、先生たちがびっくりしていました。
私は、先生が、一番最初に手の手術をしてくれて、若さにかけて脊髄の手術もしてくれたから、ピアノが弾けるので今の私がいると思って先生には感謝しています。
それは、今の私にとって、とても大切なことです。
そして、ココトモに入り、いろんな人に出会い、仲間ができ、とても感謝しています。
ゾノさん始め、メンバーたち、そして、私に関わってくれている相談者さんたち、ありがとう➚ (ૢ›◡ु‹⁎)♡
生きててよかった!
私はここを訪れる皆さんにも「生きててよかった」って思って欲しいと思ってメンバーになりました。
どれほど力になれるか分からないけれど、一緒に生きる道を、皆さんと一緒に探して行きたいと思っています(*’͜’ )⋆*
これからもよろしくお願いしますʕ•̫͡•ʔ♡ʕ•̫͡•ʔ
以上、ココトモライター・エディターチームのみなでした。
- ココトモ「ライター・エディターチーム」とは
- 『ココトモのサイトに検索で訪れてくれる人を増やすこと!』を目的として、ブログの書き方~効果測定方法までみんなで勉強しながらブログを書くチーム。日ごろよりココトモに来てくださっている皆さまにとってもきっと良いブログをお届けできると思いますので、どうぞお楽しみに☆
⇒ライター・エディターチームの詳細はこちら
- ココトモInstagramはじめました♪
-
このたび、ココトモの取り組みや想いを発信するInstagramをはじめました。ココトモメンバーたちが試行錯誤しながら運用してくれているので、ぜひ応援&フォローいただけると嬉しいです(*´`)
Instagramはこちら