話したいけど話せない、から、話したくない、に変わった話

こんばんは、キュウです。

皆さんは、悩みを抱えたときに、どうしてますか?

 

親や友達など、身近な人に話しますか?

病院やカウンセリングルームに行きますか?

日記を書きますか?

ゲームやテレビや仕事で気を紛らせますか?

 

私は最初、人に話す派でした。

「話したいけど話せない」の時期を経て、話せる人が増えた喜びを味わっていたところだったのかな、多分。

 

でも、口は災いの元でした。

悩みを口に出すということは、それを人に伝えるということ。自分だけの秘密ではなくなってしまいます。

そして、どうしても、近い存在であればあるほど、私に対する情がわくがゆえに「何とかして助けてあげたい」という気持ちになってくれるようなのです。

その気持ちは、とてもありがたいこと。

でも、同時に、「私が自分で問題を解決する」ことの妨げにもなりうるものなのです。

 

私は、元々あまり躊躇なく人に自分のことを話せる人でした。

「迷惑になるんじゃないか」と考えて話すのを躊躇することはあったけど、それは「話したいけど話せない」の時期の話。人に頼ることを覚えてきてからは、人に話すのが一つの悩みを軽くする方法になっていました。

でも、あるときに「どうしても人に知られたくなかったこと」を、信頼していた人に漏らされた事があったんですよね。

そしてどうやら、その人を通じて噂好きな人の耳にも入り、あっという間に皆の知るところになったようです。それがどこまで広まったのかなんて、もう知りたくもないけど。

 

それからは、とても怖くなってしまって。

 

「悩みを口に出すということは、それが人を通して別の人に伝わる可能性を視野にいれ、覚悟をした上で話さなければならない。そうでもしないと、もしものときに傷ついてしまう。」

という思いが、無意識のなかに生まれました。

 

そんな気持ちになってしまうと、今までは人に話せていたはずのことも、あまり人に話す気にはなれなくなったんです。

その人が私に近ければ近いほど。

その人が私のことを知っていれば知っているほど。

話す気持ちが失せていくのでした。

 

私がなにかを口に出すことで、私の意図しないところで意図しないことが行われコントロールが効かなくなったら、私の心が今以上にぶっ壊れてしまうことがわかるから。

そしてそれは「悪意」の時もあるけれど、たいていは「悪気はなく」、「軽い気持ちで」「良かれと思ってやった」ことが裏目に出た結果だったりするので、相手を責めようにも責められず、怒りをぶつける場所もなく、満たされない思いとコントロールが効かないパニックの二重に縛られることになるからです。

 

信頼、って、なんなのでしょう。

人によって生きる信念は違います。

私にとっては心を削ってまで守りたかった重大な秘密だったことが、もしかしたらその人にとっては「軽い秘密」で、「自分が話してもいいと思った人にはここだけの話として話しちゃお!」レベルのものだったのかもしれません。そんなことわかりません。

だからこそ、人を信じることというのは、難しいことなんだと思います。自分とはまるで違う人間をまるごと信じるなんて、本当に難しい。もしかしたら不可能かもしれません。

価値観も違えば、大切度も違うし、何が起こるかわかりません。

 

「この人になら傷つけられてもいい、という覚悟」

、、、そんな覚悟私には出来ない。

私は今、誰にもそんな覚悟はしてあげられないのです。

 

 

「近しい友達だから話せない」

それは、もしかしたら私の友達にとっては「自分は信頼されていないのだ」というメッセージになってしまい、悲しく寂しい気持ちになることかもしれません。

 

でも、心には嘘をつけません。

 

今までは、何かを悩む度に「誰かに話して心が楽になりたい」なんて思ってたのにな。

 

誰にも話したくない。

一人にしてほしい。

私のコントロールが効かなくなるのが怖い。

私の心を、私の人生を、もう誰にも引っ掻き回されたくない。

そんな思いが私をどんどん無口にしていきました。

 

そして、その気持ちは、私を少しだけ変えました。

今までは、悩んでいる人を見ると声をかけたくなりました。私に話してほしい!みたいな、お節介な心がありました。

今は、悩んでいる本人が誰かに話したいと思うまではなるべく何もせずそっとしておくようになりました。その相手が私じゃない時にも、それゆえに相手が何に悩んでたのかわからなくても、そんなのどうでもよくなりました。なんにせよ、その人が楽になればそれでいいなと思えるようになりました。

今までは、仕事もプライベートも関係なくいろんな人に積極的に関わろうとしてきました。

今は、仕事でもプライベートでも、自分から人に関わることは滅多にしなくなりました。

誰かに愛想よくすることも、前より少なくなったかな。最低限、本当に最低限のコミュニケーションで生きているかも。

 

相当ショックだったんだなあ、私。

 

でも、私は今のこの状態をあんまり悪いと思ってはいません。

今までわからなかった気持ちを知ることができたという成長は、私には嬉しいことです。

私が変化したのなら、またこれから、今の私にとっての”人との心地よい関わり方”を、ゆっくり探していけばいいだけの話。

自分のペースで歩もうと思います。

 

信じたい人が現れたらそのときはその人を信じたらいいし、そんな人居なければ信じなくてもいい。きっと、そんなのどっちでもいいんです。

同じように、何かを話したいなら話したらいいし、話したくないなら話さなくていい。

話したくない秘密は心の奥深くにしまって、大切に大切にしてあげたらいい。

鍵なんて要らない私の心の中だけの秘密というものを、多分認められるようになりました。それはもちろん私にだけじゃなく、他の人にも、なのだけど。

 

きっと、あれだな。

親に秘密があってはいけないと思ってた名残でもあるんだろうな、何でもまずは人に話さなきゃみたいな気持ちは。

これからも、こういうかんじで、親の影響に少しずつ気付いていくのかな。

 

では。

 

キュウ

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コメント一覧

全3件
  1. schedule2016.10.04

    ぬい

    どの悩みを誰に相談するか
    それ自体が悩みだったりするような気がします
    それを考えた結果、現時点で話せる相手がいないのなら
    それを無理して誰かに相談する必要はないんだと思います
    もしかしたら言葉にして外に出す以外の
    何か解決策がでてくることもあるのかもしれませんね

  2. schedule2016.10.04

    キュウ

    ぬいさん、コメントありがとうございます^^
    多分、出会う人の問題ではなく私の心の問題なんだろうなあ。なんて、ぼんやりと考えています。

    もう少し自分なりに向き合って消化しようとおもいまーす♪

  3. schedule2016.09.22

    ぬい

    この人なら
    人間はそれを直感的に探すことができるのかもしれませんね
    いつかそんな人に巡り会えるといいなと思います

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