何をするか、以上にどんな気持ちでいるか。

幸せの塵を積んだら幸せの山になる。逆もしかり

こんばんは、なおです。

今日は筆が、いや指がよく滑ってくれるので、二度目の投稿をさせていただきます。

心の面が快方に向かってきてしみじみ思ったのは、タイトルにある通りのことです。

これはなんでもそうです。今日食べるものを選ぶのも、進路や職業も、部屋の片付けも……。重要なのは行為そのものの名前とか権威とか利益とかじゃない。それをしている時のあなたがどんな気持ちでいるか、ただそれだけなんですよ。そこには正解も不正解もありません。

「楽しみは泡のようでも どうか君よ嘆かないで」ってアジカンのゴッチが書いています(「踵で愛を踏み鳴らせ」より)が、その泡のような一瞬の些細な楽しみも、積んで積んで繋げて繋げて選択し続けていくと、泡のような時間も連なってどんどん大きな距離を進んでいけるんです。まさしく「ナノから無限へ(これもゴッチの言葉です)」つーことだと、わたしはそう解釈しています。

シンデレラは、幸せなゴールばかりを見つめていた訳ではない。

シンデレラ症候群?でしたっけ。「いつか王子さまが……」を夢見ちゃって現状何もしない状態のことをそう指したような気がします。

けど、まぁ原作がどういう意図をもって作られたかは私にはわかりません(元の童話は結構グロテスクだった記憶があります)が、少なくとも、実写版の映画に出てくるシンデレラは「かわいい子がただボサーッとしてたら王子と結婚しちゃった」という話じゃなかったと私は感じました。

映画「シンデレラ」公開当時、あれを友達と一緒に映画館で観た私は「やっぱシンデレラはかわいいからさ……ほらさ……」みたいな感想をクサクサとぼやいた記憶があります(いやー現実に生きていない映画の向こうのシンデレラよりも、今ここで地に足をつけて血を通わせている生身の人間がいじらしくてかわいいですよ、ととりあえず言いたい。笑)。

けど後でよくよく考えて思ったのは。

シンデレラはどんな状況に置かれてもどんなボロを着てどんなにほこりをまみれても、その中から自分が楽しんで過ごせる方法を探して見つけて工夫していった。だから毎日小さな幸せが身の回りに溢れていてそれを満喫する心の受け皿があり、悲しみや浮き沈みがあっても、自分の心の真ん中にある楽しみというものを見失うことがなかった。

それがあったから、森でいきなり王子と初対面しても気取らず普段と変わらない心で接することができ、結果的に王子を惹き付けた。継母が塔に自分を幽閉しても、窓から見える外の風景や聞こえる鳥の鳴き声の美しさにすぐ気付いて感動したから、自分も歌を唄うという楽しみに参加して、その自然体な姿が周りの胸を打った、……という見方もできるのだと気付いたのです。

義理の姉妹がなんでシンデレラと同じ目にならなかったかっていうと、どんなにたくさんのありあまる絢爛でハイセンス(???)な服を持っててもブースカ文句ばかり言って自分で工夫をしなかったからでしょう。灰を被ってもドレス着ても結局は文句を言う、これはモノのせいじゃなくて考え方がそうさせてるから。

最初からああいう結末を迎えようとして計算ずくで王子と喋ったりそらぞらしく歌ったりしててもああはなれなかったでしょうと。

要するに、「毎日の目の前にあるいつものような日常生活をただただ工夫して自分の心を自分が一番大切にして過ごしていたら、自分の心に合った人と出会えることもあるんだよ。そして逆のことをすると逆のことが起きたりもするんやで」っていう希望を伝える話だったんじゃないかなーと、今は思っているのです。

「何か運命的な出会い」を求めて、今落ち込んでいませんか?

「あの大きな出会いがあったからこそ」「あの出来事があったからこそ」「あれをやったからこそ」人生が変わった、みたいな唯一無二のディープインパクトばかりを探し、それに出会っていないと感じる自分に不全感を覚えること、あります。めっちゃそれで潰れたりもしました。

けど、人生というのは何かひとつの大きな要素ばかりで決まるんじゃなく、ひとつひとつのごくごく些細で普段は気にも留めないような選択が幾重にも層を織り成すことで唯一無二の模様が織り上げられていくものだったりもするのです。

こうして書くと、中島みゆきさんの「糸」って本当に妙なる歌詞だな~って思いますね。

あと、吉井和哉さんの歌「トブヨウニ」の中にあるフレーズ、「風に流れる髪にも運命は宿っていて  光りスライドさせるほど眩しいのに  君はなぜ?」も、これに重なるところがあります。解釈は人それぞれだけれど、私はつまり「風に流れる髪」のような本当に何気なく自然で通りすぎていく現象にも、それが起こる意味はあり代えられない美しさが宿っているのに、あなたはなぜそんなに自分を責めるの?っていう意味合いと感じました。

また違う気分の時に読んだら違う意味合いを思うかもしれない。それが言葉の厄介なところでもあり、好きなところでもあるのですね。

通り過ぎてふと振り返った時に「ああ、あれがあったから」と気付く

じゃあ、意識もしない自然で些細な出来事の積み重ねがいずれ大きな流れになる、っていったいどういうこと?わかんねーよ!!!実例挙げてみろやこのナスが!!!というお話ですが(ちなみに私はナス料理大好きです)。

私の場合で例えを挙げるならば。

私は大学の時に週末夜勤の介護バイトをしていました。そもそもこのバイトを選んだ動機は、経験してみたい業界だったからということもあるけどそれ以上に。何件か受けてもなかなかバイトが決まらなくてヘトヘトになっていて、もう落ちたくない、という状態の時に求人を見つけ、この際人手不足っぽい仕事に行けば落ちるまい!!と思ったから。というナメた打算があったのです。打算とは言え事実無事に受かることができたのだけれど。ははは(  ̄▽ ̄)

でまぁ、そんな動機で始めたバイト。勤務が夜で割と長丁場なので、仕事前に近所のコンビニへ寄り、おやつや飲み物を買ったり、たまに夜中のひま潰し(仮眠時間があるけど寝付けないこともままあったため)用に漫画や雑誌を調達したりしていました。あるいは何も買わないで出る時もあったけど、習慣的に、夜は暗いし人通りも減るから寂しさゆえになんとなく、コンビニに立ち寄るクセがあったのです。

(この「なんとなく」とか「なにげなしに」ってところに何かが起きたりするから、日常って面白かったりもするんですよね。)

でそんなある日。いつものようにコンビニの本棚を物色し、たまたま、ほんとーにたまったま目に留まったのが、漫画「ショムニ」の完全版1巻。昔流行った作品が、コンビニコミックとして新装刊行されていたのですね。

あ、そーいえば、タイトルは有名だから知ってはいるけど、読んだことなかったなー。と思いつつパラリとめくってみたら、あらなんだか面白くてどんどん引き込まれちゃう。やばいこのままじゃ勤務開始時間超えて立ち読みきっちゃうわ、買って持ってこう(笑)となってお買い上げ。読破。

そうしてバイトの傍ら全巻読み通し、この漫画が好きになるのですが。

その1年だか2年だか後、私は「進路決められない」「頑張りすぎてもう疲れた」の壁にぶち当たり、毎日が灰色な心の状態になりました。

進路に関するヒントを少しでも得たくて、本に救いを求めたり。本屋でよく探していました。

でそんな時、漫画コーナーで目に留まったのが「ちひろ」という漫画。なんだろう、気になる……あ、「ショムニ」と同じ人が描いてるんだ、じゃあまぁよくわからないけどきっと面白いだろう、と感じて購入→読む→ハマる→続編の「ちひろさん」出る→読む→ハマる→今では自分の心を振り返る時にふとした支えや息抜きになるお気に入り漫画のひとつとなりました。

このようにして、前のいつかの記事にも書いた通り、「ちひろ」と「ちひろさん」という漫画は大好きな作品なのですが、

それに出会うにも、バイト落ちまくってヘトヘトになる→打算で決める→夜勤のシフトを薦められたので受ける→勤務地のそばのコンビニに寄って読み物を探す習慣がつく→たまたまショムニを手に取り、この作者の雰囲気を気に入る……などなどというもろもろの前の流れがあったわけで。

そのどれかひとつが欠けていても、私はあの漫画を見つけなかったかもしれない。見つけても読まなかったかもしれない。読んでも心に響かなかったかもしれない。

だけど今、そういった流れの中にいて、私はその漫画を見つけて気に入って読んでいる。それってとてもおもしろいな~……ほんと、考えてもみなかったこと、意識してもみなかったことの積み重ねにふとした出会いがあるな……こういうのは計算じゃないし、やろうと思ってもできない、後でそっと気付いてほほえむことなんだろうな……そんなことを思うのです。

そしてこれはあくまで一例。私の生活の中にも他のエピソードは出てくるし、誰の生活の中にでもあることなのです。無いとしか思えないとしたら、それは気付いていないだけで。

まとめ

だからつまり。

些細な喜びを感じて積み上げよう。ちょっとして見える選択にも、自分の心が示す方をとってみよう。未来ばかり過去ばかりじゃなく、今この瞬間を満たしてみよう。

と思うのです。

もちろん、自分の心にしたがった結果、ヤなことが起こることも中にはあります。でもそれはそれでいいのです。たまには変な色の糸が混ざってても、それもまた布全体の彩りを引き立てる要素にもなりましょう。ジャイアンだって、いつもはわがままでケンカっぱやいから、たまに見せる優しさが目茶苦茶カッコ良かったりもするのです。のび太だっていつものびのびとしてるから、射撃の時のキリッとした顔がよりカッコ良く見えるのです。

けど、自分の心に背いた結果起きたイヤなことは、過程も結果も胸にモヤっとが残りますよね。人生全体、織り上げた布全体がモヤっとしていたら、それに本人が満足してたらそれはひとつの作品だけど、「こんなの作品じゃない!!」ってグシャグシャポイしてしまったら、誰の目にも触れなくなっちゃう。誰かに見せたら「え、なんでそんな風に扱うの!これイイじゃん!むしろ私が欲しい!」って人が出てくるかもしれないのに、その可能性も潰しちゃうことになったり。

だからとにかく、今この瞬間から、自分の心に耳を傾けてみようね。それがどんなに一見くだらないこと、小さなことのように思えてもね。「はらへった」「頭が痒い」「トイレ行きたい」「ケーキ食べたい」「もう何もしたくない」「寝たい」などなど……それがものすごく大切なことだったりするんですよ。”なんでもないようなことが幸せだったと思っ”たりもするんです(引用です)。

そんなことを考えました。読んでくれてありがとう。さぁ~この後あなたは何をするのかな?(  ̄▽ ̄)

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