お金が無い時の買い物ほど必死になって考える

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ニセモノか本物かは見た人の心が決めること

こんにちは、なおです。

ここ数日間かけて、中島誠之助さんの「ニセモノ師たち」を読んでいました。なんでも鑑定団好きの父が読んでたおさがりの本なんですけど。

おもしろかったです。メインテーマは骨董のニセモノやそれにまつわるニセモノ師たちの話なのですが、骨董の知識皆無ズブズブズブの素人な私でも楽しく読めたのは、ここに書いてある内容が骨董に限らずあらゆる分野に、ひいては人生そのものに通して、言えることなんじゃないかと思ったからです。

身近な例でいくと、研究論文の真贋さわぎとか佐村河内さんの話なんかにも通ずるところあります。

私は音楽を専攻としてる人間ですが、勉強したり演奏したり聴きに行ったりする中で、他人の評価や肩書きにブレブレになって自分を根本から見失うことありまくりだし、今でもなおそのブレた自分を土台からちくちく再建している最中です。

「ニセモノ師たち」本文で随所に出てくる「モノは言葉を発さない、人間は言葉を発する」「モノに罪はない」「物が教えてくれたから」というフレーズも印象に残っています。

そう、物に罪はないんですよ。受け取り手がその物をなんと捉えて扱うかというだけで。

ポケモンにわるいものはいないんですよ、ポケモンを意図的に悪事に使うロケット団がいてるだけのことでね(アニメ元祖ポケモン17話参照のこと)。

音楽にも罪はないんですよ。バッハの「トッカータとフーガ ニ短調(♪鼻から牛乳~♪のやつ)」に贋作説がありますが、贋作かどうかに限らず心底感動したならその感動を信じればいい。本当に自分が好きなら、誰のいつの作品かそれが正しいのか間違いなのかなんてジャッジを抜きに好きでいられる。好きかどうかと、真贋を問うのかというのは、また別の話なのです。

つまり大切なことは、たくさんの物事に触れて審美眼を養って時には騙されたり痛い目見て悔しさにのたうったりしながら学んで、そうしながら段々と、他人やうわべの言葉に揺るがない自分のまなざしを研ぎ澄ます、ということだ、と受け取りました。

でこの記事は何がテーマなのかというと、その「ニセモノ師たち」に書いてあった内容を思い出しながら、私自身の”買い物”や”お金の使い方”について書き起こしてみようということなのです。

ではではさっそく本題に入ります。

お金が余分にある時の買い方、必要な分のみ持ってる時の買い方

「ニセモノ師たち」の文中に、「ニセモノにひっかかる時の3つの条件」という話があります。全部はここには引用しませんが、うちひとつに「自由に使える余分なお金があること」というのがありました。

ヘタにお金がある時に、「まぁいいか」とテキトーな判断で骨董を買うと、それは大抵腑に落ちない(骨董業界の用語だと「腹に落ちるor落ちない」と言うらしいっす。)、つまり心から満ち足りてずーっと大切に愛でていられるような良い買い物とはならないのである、というお話。

逆に、お金に余裕が無い時に「どうしても!!何としてでも!!」と手に入れた物は、それがどんなものであれ、ニセモノであれ本物であれ、腑に落ちる。結果的にとんでもないもので損をしても、それが大きな学びになる。そこには身を切ってでも買うという痛みがあったからこそ得られた学びである、といった内容でした。

……この本の中に書いてあることの内容を100%受け取れたという風には思っていないのですが、なんとなーく、我が身に照らしてみて通ずるところがある気がしました。

私は高校1年の時に初めてバイトをしました。当時は、自分で働いてお金を稼ぎ、それで自分の好きなものを買うっていう行為がとても新鮮で大切なことだったから、お金を丁寧に使っていた。

お給料日にはウキウキで記帳して、半分は貯金、半分は好きなものを買うと決め、限られたお金で吟味に吟味を重ねて買い物をしていた。意識せずとも貯金は貯まっていったし減ることもなかった。すごく無理のないバランスだったと思います。稼げるのも、使えるのも、貯まるのも、楽しかった

年を重ねて、職も何度か変え、やがてバイトをすることが当たり前の状態になっていくと、「月々何万円くらい入ってくるのが当たり前」みたいな状態になって、お金の使い方がどんどんテキトーになっていった。お金を稼ぐのが当たり前、みたいな惰性になっていたから、自分の稼いだお金を大切に扱わずいい加減になっていた。それってつまり、自分を惰性で扱うのと同じことでもあるのだけど、それに気付かなかった。

そしたら、結構な額を稼いでるはずなのになんかいつもお金が足りない気がする、貯まらないし、バイトもしんどい。そんな気持ちになってくる。

……やがて、心身がしんどくなって、バイトはしない、今までみたいに決まった収入が無い。そんな状態になって、何度も不安になったけど、数ヵ月経って思ったのは「なんだ、別に、無理しなくても、生きるだけのお金ならなんとでもなるやん……」「本当に欲しいものがあれば自ずから稼ぐなり借りるなりもらうなり作るなり自然にしてるやん……」「ってことは、今まで惰性で稼いで惰性で使ってたから、なんか苦しかったのかな……??仕事する楽しさとか、お金を使う楽しさとか、そういう初心が馴れにまみれて曇ってたかな……?」ということでした。

半端にお金があるだけに、半端なお金の使い方をする。そしたら半端にしか心が満たされなくて疲れてるから、また半端に稼ぐ。

それが無自覚のうちに続いたから、一時期の私の部屋と来たら文字通り足の踏み場が無く、物が積み重なって地層ができていました。本当に必要じゃあないものがたくさんあったから、雑な扱い方ばかりして物を殺していた。だから大片付け祭を開催したのでしたが。

カードを持って見えたこと

決まった収入が無くなってから、私は限られた必要な分だけのお金を持って、使う時にそれが本当に必要かを吟味するという地道で初心な買い物スタンスに立ち戻り始めました。

あんまり現金を持ったり、ATMに引き出しに通ったりということをしなくなったので、それまでは机の奥にしまいこんでいた、いざという時にしか使っちゃいけないと固く封じ込んでいたクレジットカードを、「今日は買い物するぞ!」と決めた日にだけ持ち歩くようになりました。

そもそもこのクレジットカードは、初めての海外旅行の時に、通貨の異なる国での乗り継ぎで両替に不便しないようにと作ったものでした。我が家では小さい頃からカードや借金のおそろしさに関しての話をガチガチに刷り込まれてきたため、私自身もやむを得ない状況(例えばカードのみ支払い受付の通販とか)で使う時以外は机の奥に封印するようにしていたのです。完全にカードに怯えておった。

そんな私がカードを、毎日ではないにせよ外へ持ち歩くことについて、金銭感覚がもっとガバガバになっちゃいやしないか?と最初は怖がっていましたが。

いざ持ち歩くと。カード使いすぎの怖さを刷り込まれていた身ゆえに、ふと「あ、これ欲しいかも……?あると良いかも……?」なんてフワッと思った時、

「まて。これは、未来の自分に前借りをしてまで、本当に心底今どうしても買いたいものなのか?」

いう心からの強い問いかけが目の前にドン!!と降りてくるようになったのです。

今まで現金に対しては使うハードルが甘くなっていたから、あれば使っちゃえ~ぐらいの気持ちで、こんなに大きな問いかけが聞こえてくることってそうそうなかった。

……だから、私の場合はですが。現金をあまり財布に入れず本当に必要なものにだけカードを使うことによって、結果的に物を厳選して買う心の声が強くなったと感じました。

まぁ、本当にどうしても理屈抜きに心身が欲しがったものって、そこの問いかけも浮かぶことなしにスパーン!!と即決しちゃうものなので、たいていその問いかけが浮かんだ時点で「やっぱなんか違う」となる訳です。

↓上の問い掛けから会話が続くとしたら、こんな感じです。

心「前借りをしてでもなのか?ためらいなくカードを差し出して、手ずからサインが書きたいと思えるのか?」

私「おう!!」or「いや~~~……やりたくねぇなぁ~…………」

心「本当にどうしてもヤバくなったら、キツいバイトをしてまかなってでも今ほしいと言えるのか?」

私「うん!!本当にどうしてもヤバくなったらする!!!」or「いやいや~~~…………これのためだけにそこまでしたかぁねぇなぁ~…………。」

心「そうか」

……ってかんじ。笑

まーもちろんこれは、”カードを切る”という行為にものすごくハードルが高い性分の私だから効くのだろうて、カードを切ることに抵抗無さすぎる人がやっても同じ結果にはならないのでしょうけれど。念のため。

こう書くとすごくでかい買い物ばかりをしているかのように思われるかもしれませんが、必ずしもそういう訳でもないです。買ってるものと言えば、お洋服とか本とかおやつとか人へのプレゼントとか。「ちょっと敷居が高く感じる、でもおいしそう、入ってみたい……!!」と思えるレストランやきっちゃてんとか。ごくごくある毎日の中での話です。

背水の陣になった時にこそ行きたい道が見えたりもする

欲しいものがあるけどお金がどうにもならないとしたら、それはきっと”どうにかする必要がないから見送って平気なこと”なんですよ。今すぐにそう腑に落ちないとしても。

だって、本当にどうにかしたいのだとしたら、もうすでに手段を選ばずやっているはずだから。親類や知人にお金を借りる、家の中の余分なものを売り払う、無条件に収入の良いバイトに飛び込む、とかね。「いやそこまではしたくない」なら、そこまでする必要がないのだから、ほっとけばいい。別になんも悪くない。好きにすりゃいい。

前の記事に書いた、私が大学辞めた時の話。あの時は本当にもう心の中でどーにも立ち行かなくなって、「辞めるしかない」と思った(今思い返すと別の選択肢も頭に浮かぶけど、それは今だからの話。笑)。だから、それまで大きなタブーであった”失望されること、幻滅されることを覚悟で、両親とガチンコの言い合いに挑む”ということに突っ込むことをした。親が泣いたり怒鳴ったりする姿を見るのも、私自身が泣きながらわめくのも、かなりしんどかったけれど、でもそうまでしてでもその時は譲れないことだったから、それができた。

反対に、別の大学に再進学したくなった時の話。どうしても行きたかったから、「落ちたら来年また受ける」という覚悟をした。その上で、あれほどボロクソに言った両親に、今度は一生懸命話をして、「行かせてください」と頼んだ。そうまでしてでも行きたかった。

……あれー、なんだか私の繰り返し親離れエピソードばっかりみたいになっちゃった(笑)けど。つまり要するに、買い物もその他人生の選択も、「どうしてもこうしたい!!」と本気で思ってしがらみや恐怖にえいやっとぶつかった時、案外どうにかなっちゃうこと。どうにかなっちゃったことは、結果として損しても、必要な学びだったってこと。あがいてもどうにもならないことは、どうにもしなくていいこと。っていう捉え方でいるよっていうお話でした。

おわりなき本物道

……なんか、「ニセモノ師たち」の感想に始まり、どんどん風呂敷が広がってあれあれあれ~とでかい話になっちゃった気がする、けど。笑

要は最初にも言ったように、ニセモノの声に惑わされず、物事のあるがままの発するメッセージや、自分の心を捉えた本物に耳を傾けて目を磨いていけると楽しいね!!というお話でした!

そしてその過程ではいっぱい恥ずかしくて忘れたいイタい失敗や後悔も寄り道もしたりする!それで当然!そうしながら己の果てなき本物道を行ってみたらええね!と、思います!(なんか無理矢理良いこと風なこと言ってまとめようとしてるぞコイツ!!)

今日も読んでくれてありがとうございました。

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全2件のコメント

  1. なお 09/28 15:45

    まゆみさん
    読んでくれてありがとうございます。気が向いたら、ココトモのメールor電話or対面相談を利用してみてくださいね。

  2. まゆみ 09/28 15:41

    みなさんの言葉をいろんな人の読んでみんな頑張ってるだてぇ思いました。私は本当色々話したいこと沢山あるけどはなせるひとがいません

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