孤独は自由、繋がりは束縛。でも、本当の自由は「どちらも選べること」かも

こんにちは。キュウです。

今回は「最近自分の”共依存に陥りやすい性質”ついて考えているよ」というお話です。私にしては珍しく、感情よりも知識寄りのブログですが。

よろしければ、お付き合いください^^

孤独でした

キュウは、最近しばらく孤独を感じていました。深い心のつながりをいくつか失ったからです。(正確に言えば、失ったように感じたから。)

悩んだ時にずっと側にいてくれた人たちとの繋がりを(いろんな事情があり)自分から遠ざけるようになったからだし、かといって新しいつながりを作ることも今の人とのつながりを維持することも拒否していて、とにかく人と心の深いところを通わせるようなことは全部全部、自分で寄せ付けないように過ごしていました。

(もちろん、仕事はちゃんとしていたし、業務上必要な話の延長の世話話とか、ココトモハウスで会った人と話すこともしてたし、普通に人とコミュニケーションは取ってましたよ?そうでなく、自分の深いところの心を閉ざしたという意味です)

その事情を全て書くことはできないけれど、簡単に言うと、自分が”共依存に陥りやすい性質”を持っていることに気がつく出来事があったために「私が今のまま人に近づくと知らないうちにいつの間にか大切なだれかと共依存になってお互いに苦しい関係を築いてしまうのではないか」という気持ちを感じてしまい、そこから「今の私が誰かと親しくなると私は知らないうちに人を傷つける」という考えに発展したため、人と親しくするのが怖くなってしまったからです。

思いがけず人の優しさに触れた時何度か耐えきれず辛さをこぼしたこともありますが、その度に「こんな優しい人達に、私のような人は近づいてはいけないのに」と激しく後悔していました。

 

周りの人が大切で大切で、大切な人を傷つけたくなくて、いや、正確に言えば大切な人たちを傷つけたと感じることによって自分が傷つきたくなくて、私は周りを拒否し続けました。自分が変化・成長して「もう大丈夫だ。人と共依存のループに陥らない」と感じられるまで人と関わりたくありませんでした。

どんどん孤独になっていきました。

それと同時に、「これでいいんだ」という自分が前進しているような感覚も持っていました。「これは今の私の成長に必要だ」という直感がしっかり働いていたからこそ、自分なりに孤独を貫きました。

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なぜ孤独を選んだのか

では、なぜ私はわざわざ孤独を選んだのでしょうか。その直感の元になった記事を紹介しますね。(これだけじゃないんだけど、参考までに)

私が愛読するweb記事の中に「大人すはだ」という「すべてのひとが、ありのままのすはだで暮らせるために、体の外からも中からもすこやかになれる情報を発信」するwebサイトがあるのですが、その中のヒビノケイコさんの連載「酸いも甘いも家族の内」から、

【連載】周りを大切にし過ぎて自分をすり減らす「聖母マリア系」の女性たち|○○系からの成仏(1)

という記事。この記事にある「聖母マリア系」が、とても私に重なって。

人生で関われる人の数は限られている。それなら、消費しあう関係ではなくて、お互いに価値を感じながら伸ばしあっていく関係にエネルギーを注ぐ方が、パフォーマンスがいい。
数は多くなくても、大切に関わる一人の人が、元気に前向きに生きていくことで、その周りにできるコミュニティや家族が元気になる。
罪悪感なく、選択せよ。
生きている時間は短い。
今この瞬間のからだと心と時間、精一杯を、誰と紡ぎたい?
誰かを助けるためには、孤独を知り、自分自身を確立することが必要なのだ。
特に、この部分が心に響いて。
ああ、私は今一人になる時期なのかもしれない、と直感的に思ったんですよね。
この記事は今読み返してもわかりやすいなあ。難しい本をわざわざ読まなくても、必要なことは全部入ってるように思います。

共依存の仕組みを知りたい

もう二つぐらい紹介すると、(こんな難しい本よまなくてもヒビノケイコさんの記事に浅い要点は全部書いてあるんですが、そういう結論になる理由や心の仕組みが知りたい私はいろんな本を漁って探求し続けてしまいます)

 

朝日新聞出版社から出ている臨床心理士の信田さよ子先生の本
はとても参考になりました。この本では、アルコール依存の夫を持つ妻の家庭をモデルケースに、夫と妻が共依存に陥るまでの心の仕組みや、その子供がアダルトチルドレンになる過程の心の仕組みを表してくださっていて、自分のアダルトチルドレンという性質だったり、共依存を引き寄せてしまう性質を持ったのはこういう仕組みだったのかもしれないと自らを振り返ることができました。
専門用語がたくさん出てきて少し難しかったのだけど、そのおかげでいろんな言葉の意味を調べることができて色々な知識につながり、そこで出会った知識たちも全て「自分の”共依存に陥りやすい性質”の仕組み」を知るための助けになりました。
また、「共依存」と「アダルトチルドレン」は深い関係があるようなのですが、それに気付いてから読んだ
岩波新書から出ている東京女子大学名誉教授の柏木惠子さんの本
【子供が育つ条件ー家族心理学から考える】
も参考になりました。この本を読んだのは「自分は親にどう育てられるのが”適切”だったのか?(これからどこを目指せば”適切”な対人関係や親子関係を築けるのか?)」という疑問を持っていましたが、

特に、昨今、日本社会では「子どもをいかに育てるか」「どのように賢く育て上げるか」といった関心から、子どもの”育て方”がとかく偏重される傾向もあります。こうした、”育て方”への親の熱心な眼差しには、「子供は自ら育つ」という重要な認識が往々にして欠けています。それゆえに、子どもの「育つ力」を奪ってしまうことにもつながっています。

という部分や、

育てる側のおとな、すなわち親自身が成長・発達することが、実は子供の育ちにとって重要であることも、今日の社会ではほとんど認識されていません。

という部分を読んだ時に、私の親にはこういう視点が足りなかったんだなあと目からウロコが落ちたり、この観点は親→子供だけでなく、聖母マリア系の私が友達へ抱く感情にも当てはまるんじゃないのかなあ等と考えさせられました。

相互依存、という関係

また、共依存を抜け出すためにどうしたらいいのか探しているうちに、「相互依存」という関係があることを知りました。

いくつかのwebサイトの中から、このサイトの書き方が私にはわかりやすかったのですが。。。

カウンセリングサービスというサイトの心理学講座の中から

Lecture.253 自由で楽な関係性を築く〜相互依存という関係性〜

ちょっと引用しますね。

依存/自立という状態そのものは悪いことでもダメなことでもないのですが、依存/自立の状態でいることで苦しくなったり、相手とのつながりを感じられなくなるのが問題となります。

「相互依存」というのはどういう状態なのかといいますと、お互いがそれぞれに自立をしていて、その上でお互いに依存もできるという関係性の状態です。相互依存の状態は、お互いに対等な関係で、依存の位置にも自立の位置にも自由に行き来ができるという、フレキシブルで楽な関係です。

私はこの部分を読んで共依存と相互依存の違いを理解しました。

 

『お互いに』依存も自立もできるという関係は、共依存とは決定的に違います。

引用源はすぐに思い出せないので書けないのですが、私が読んだ本の中に

「共依存」とは「自立」と「依存」の役割が固定されてしまった状態のこと

と書かれていたものがありました。

つまり、相互依存はお互いに自由に自立も依存もできるのに対し、共依存はそれができなくて心のつながりを失っている状態、ということになります。

先に挙げたサイトには、”自立の人は依存の方へ、依存の人は自立の方へ変化することが苦しい関係(共依存)を抜け出すための一歩になる”というようなことが書いてあったのですが、それを読んで、私の場合は依存の位置に固定されることが多いので、自立の方へ変化しなければ人と心地よい関係は築けないんだなあと感じたのも、私が孤独を選ぶようになったきっかけでした。

また、私は自分がアダルトチルドレンである経験から愛情は時に支配になりうるという怖さも知っていますが、本から知識を得るうちに自分の愛情にも無意識にそういう傾向があると改めて感じ「愛情のコントロールの仕方がまだわからない自分を人に近づけてはいけない!」と恐ろしくなったのもあります。

もう少し学んで人との適切な関わり方が心に染み込むまで、もう少し一人を選び続けるつもりでいますが、ある程度学んだ後は実践編として再び人と繋がっていきたいとも思っています。

つまり、これは前向きな孤独なのです。

孤独を選んでよかったこと

こうして私は孤独を選びながら色々学んでいるわけですが、孤独な時間に辛くなりながらも一人の時間を充実させようと頑張っているうちに一人が楽しめるようにもなってきました。

”自立と依存をどちらも選べる関係”を人と築けるようになるためには、私のように依存の位置に固定されやすい人は、まず自分が自立する必要があると思います。(自立の人はその逆で、依存の方へ変化することがいいみたいです)

どちらも体験し、難しい方を選ぶことがそれほど苦痛ではなくなって初めて「自由に選べるように」なるのだと思うからです。

自立か依存かを「選択する」という時に、もちろん環境要因に制限されると選択肢は一つしかなくなりますが、個人的には、環境要因がなくても心理的に「苦痛すぎて選べない」「恐怖を感じてしまい選べない」という状態も”選択肢が片方しかない”という状況にほぼ等しいと思っていて、それは不自由なことだと思います。

だから「依存」と同じように「自立」も心楽しく選べるように、私自身を鍛えようと思いました。今の所、順調です。

でも多分その反面いろんな人に迷惑かけてるし、心配もかけてるし、失礼なことをしてもいるんだと思います。私が気づいてる部分でも、気づいてない部分でも。本当にすみません。

実際、今はしっかりまとめた感じに記事にしていますが、一人になろうと決めた時には何もわからずただただ人と接するのが恐ろしすぎて友達に挨拶すらできなくなりました(元々挨拶は苦手なのにもっと無理になった)。今もまだそんな感じは残っているし、ハグに至っては全くしていません。今は誰にもしたいと思えないです。こんな、不器用な自分が嫌になります。

でも、もう少しこの感じで頑張らせてください。もう少し頑張ります。

終わりに

そういえば、一番最近孤独で泣いた時、学んだ知識が色々浮かんできて心がふっと軽くなったんですよ。

【孤独は自由、繋がりは束縛。でも、本当の自由は「どちらも選べること」】

そんな言葉が浮かんできて。

これは今回のブログのタイトルでもありますが、色々学んでいる過程で、今の時点でわたしが感じていることそのものでもあります。

 

孤独というのは、私にとっては寂しくて辛いです。
その反面、もしも本当に誰も人を必要としなくなるのなら、心が誰にも縛られることがないわけです。引っ越したいと思えばすぐ引っ越せるし、死にたいと思ったら”誰々を悲しませる”なんていう罪悪感にも縛られることなく死ねます。それは多分、ある種の”自由”だと思います。

人との繋がりというのは、私にとっては暖かく心地よいものです。
その反面、人との繋がりがあることで「あの人に申し訳ない」という考えが浮かび、ある程度自分の行動に制限を設けることにもなります。それはある種の”束縛”なんだと思います。

(※ここでの束縛は、誰かに束縛されたり環境要因に束縛される話じゃなくて心が自らが束縛されに行きたくなることです。上はネガティブな例ですが、ポジティブな例で言えば”あの子誕生日だから何かプレゼントしたい”みたいなことです。”プレゼントを買う”という行動は相手の”誕生日”に左右されています。)

”自由”は、ある程度必要です。心の思いに素直に生きるのに誰かの顔色を伺ってては、できることもできなくなるからです。”束縛”もある程度必要です。”束縛”があることによって、人との繋がりのあたたかみを感じられるからです。

でも、”自由”がありすぎると健康ではいることは難しい気がします。”束縛”がありすぎても健康ではいられません。

もしかしたら、孤独も繋がりも、自由も束縛も、自分の健康で心地よいように選べることこそが本当の自由なのかもしれません。

 

そして、きっとそれが「相互依存」なのでしょうね。笑

 

…ん?これは、まとまったのかな?笑

 

とにかくっ!

これからも、心身ともに心地よく健康に生きられるように精進したいと思います(*´-`)

 

 

では、また次回のブログでお会いしましょう!

 

キュウ

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