見返りのない感情ってない?

相手に求めてはいけない。

見返りのない愛は素晴らしい。

親が子供に与えるのは、見返りのない愛だ。

与えるのが愛だ…。

愛だの感情だの、そう言ったものに対して、見返りを求めることが『悪』だと思われることがとても多い。

何かしてもらった時に、『ありがとう』と言われないことにイラっとしたり、気を遣って接しているのに小馬鹿な態度ばかり取られたら…

そーゆー時に、『私こんなに気を遣って頑張っているのにな…』なんて思うと、見返りを求めている自分が、弱い人間なのか、見返りを求めているいけない人間なのか、とても気になる。

これは、周囲にも言われるからかもしれない。

『求めない!』と、叱られる?事もある。

最初は、いけないと思ってた。自分が悪いんだと思った。

でも最近、よくよく考えてみて、感じたことがある。

『見返りを求めない感情なんてない』ということ。

何かしてあげた時、感謝がなくても相手が喜んでくれれば嬉しいじゃないか。

相手の喜ぶ顔が、見返りになったりする。

親子関係の『見返りのない愛』。

子供の成長が、親の喜びなら、それが見返りになるんじゃないか?

例えば、子供に凄く酷いことをされていても、いつか終わる…と愛情を与え続ける親がいるとしたら…

『いつかこの状況が終わって立派になる子供の未来像』が見返りになる。

『見返り』という言い方はしないかもしれないけれど、周りから見て、『よくそんな無償の愛情注げるよね〜』みたいな光景でも、本人は価値のある何かを感じて、受け取っているんだと思う。

それが、報酬みたいなものになっているかもしれない。

それが、ご褒美だったり、生きがいだったりするかもしれない。

本当にこれがなくて、『見返りがない奉仕をし続ける』という状態になったとしたら、きっとどこかで歪みが生じる。

頑張り過ぎて自分を実は見失っていたり、自分に無理に言い聞かせていて暗示のようなものにかかっていたり、ある意味で洗脳されているような感じになっていたり。

きっと、その人は本当の意味での幸せではないと思う。

見返りのない愛、に見える世界は沢山ある。

でも、与えて、貰っているものは確かにきっとそこにある。

だから、見返りがない時に、嫌な気持ちになったら、悲しくなったり物足りなくなる感情は、持っていても良くて、そんな気持ちが湧いてくるのは当たり前なんだと。

別に自分が、見返りを求める嫌な人間だと思う必要はないんだと思う。

求めるのは、悪いことではない。

だって、やっぱり欲しいじゃないか、自分にとっての何かを。

それを、『求めるのはダメだ。』『求めるのは良くない。』なんて言われたら、辛い。

その気持ちを、もう2度と、誰にも言えなくて、求められなくなったら、

きっと誰と接していても辛くなる。

人間らしい感情だと思う。

かと言って、愛情の押し付けが良いとか、常に見返りを求めるのが、良いとか、悪いとか、そーゆーんじゃない。

でも、そーゆー感情があっても良いし、見返りのない感情って結局のところないんじゃないか?って、突き詰めてみたら行き着いたのだ。

難しいところだけど、ココトモは優しい人や繊細な人が多いから、見返りを求めずに頑張る人は沢山いる気がする。

そんな人に、見返りってよくよく考えるとどんなことにもあるから、どんなことにもあるものに対して自分が感じられなかった時に『欲しい!』と思うことは、自己中とか、性格悪いとか、子供じみた考え方ではないよ。

そーゆーことを言いたいと思った。

だって人間だもの。笑

人間らしいって、1番健康で、1番自然。

聖人君子になる必要はない。欲はあっても良いんだから。

 

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