『傷ついた』という意識について

『あなたが〜と言ったから、私は傷ついたんだ!』と言う思いは、誰しも経験があると思う。

私は、職場にいた時には、まさにこの『傷ついた』という気持ちや、『傷つけられた』という認識を、周りの人の言葉の端々から感じ取ることがとても多かった。

それと同時に、『あなたを傷つける者などいない。本当は、自分で自分を傷つけているだけ。』という認識があり、その認識を持つべきだということも知っていた。

よく言われる『被害者意識』と言われるものだ。

『傷つけられた』という被害者意識を捨てることは、大切だと。

これが理解出来れば、『人から傷つけられた』という認識を持つことも、傷つくことからも、逃れられるんだと、初めて聞いた時には私も思った。

だけど、『被害者意識を持つべきではない』と、歯を食いしばって仕事に、人間関係に耐えていた私としては、何だかよく分からないけど、とても居心地が悪くて、とても苦しかった。

不器用な私は、『あの人のあの言葉酷い!傷ついた!』と思う度に、『被害者意識』を思い出して、自分の気持ちを押し殺していたように思う。

言われてみれば、一々人が言う言葉に、『傷ついた!』なんて言っていれば、ウザい人になるのかもしれない。

でも、明らかに酷い言葉に、明らかに攻撃的だったり、人を貶める言葉や行動、イジメなるものに対して、『傷つけられた』と思うのは、考えてみたら自然な意識だ。

例えば、『あんた馬鹿だね』と言われて、『傷ついた…でもこれは被害者意識だ…』と思う必要はない気がする。

受け手の被害者意識を考えることは大事だけど、言う側の意識にもフォーカスにしないと、どちらかが我慢したら頑張ったりするだけになる。

ネットには様々な情報があって、ブログやサイトには沢山の言葉が溢れているけれど、『両者』に重点を置いて話をするものは少ないように思う。

イジメの受け手が、極端な話、この『被害者意識』を受け手の自分の非だと感じた場合は、より我慢するだけかもしれない。

この『被害者意識』というもの、時と場合によりけりだし、捉え方にもよるので、一概に『こうだ!!』なんて断言は出来ないのだけど、たまーにこのような、『片側』の認識だけの情報や言葉を見ると、何とも言えない気持ちになる。

言いたいことがあまりうまくまとまらないのだけど、どんな情報や言葉でも、『そうでない場合も多々ある』『そのような意識もあるけど、もう片方にも改めるところや指摘する部分はある』ということを考えておかないと。

そうしないと、視野が狭くなっていたり、切羽詰まっていたり、追い詰められている人にとって、その言葉は刃となってしまうこともある。

そのような場合は『傷ついた、なんて思っちゃいけない』と、前の職場の私みたいに、『ないない症候群』(笑)になってしまう。

〜しちゃいけない。〜しなければいけない。〜すべきだ。

そんな固定観念や、決めつけは、本当に苦しい。

これを自分が思うだけではなくて、周りから言われたら、尚更その観念の信憑性が、そのコミュニティにいる自分である時には強まり、逃げ場が無くなる。

逃げ場がないその場所に、12時間もいたら…当たり前だがしんどい。(私個人の体験として言えば、しんどかった苦笑)

四六時中その話をしているわけではなくても、その話は私の頭の中をずっと駆け巡っていたので…。まぁこれは私のグダグダ考える悪い癖でもあるけど…。

常に何かを断言する時に、当てはまらない人も当てはまらない場合も必ず存在する。

物事には、シチュエーションによっては、断言すべき場面は必ずあるもの。

でも、私の感覚としては、余程の物事でない限り、あまり断言はしたくない。

受け手も、やる側もいる。

当てはまる人もそうでない人もいる。

可能性やパターンはいくらでも存在する。

そういうことを、いろーんな情報を毎日のように見る上で覚えておいて、あまり一喜一憂したりしないようになりたいなぁ。(でもしちゃうんだよなぁ…私…苦笑)

そもそも、被害者意識が、本当に本当に『悪』だと決めつけたいとも思わない。

他人に何をされても『私が悪いんだ、私がいけないんだ。』と思い続ける人が、『あ、相手にも非があったんだ!』と思った時の、解放感みたいなものは、その人を自由にする。

自分は被害者だったんだ、その気持ちを持つことが『良い変化』に繋がる場合だってある。

自責の念、これを持つ人は、ココトモ関連でも日常でも沢山いる。

『被害者意識』。良い意味で使われることなんて殆どない言葉なんだろうけど、その言葉にすら、良い面が実は隠されている(勿論良い面ばかりではないけど)ことを忘れずに。

そんな風に、物事を捉えていかないとね。(とか言いつつ、私が出来てないので、自戒の意味も込めて(^-^;)

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全2件のコメント

  1. オハナ 2017/06/11 19:04

    ぬいさん☆

    そうですね。傷ついた気持ちを、誰かと共有したい。傷ついた時にそれは、誰しも欲求として持つような気がします。
    そして、『傷ついた』ことを誰かに明かすリスク。なるほどなぁと思いました。
    誰かに明かすことで、余計傷ついてしまう可能性もありますもんね。
    それがリスクであるならば、否定しないでいてくれる場所、例えばハウスみたいな場所で明かすことは、ある意味リスクを最小限に出来るかもしれない。そんな気がします。もちろん100パーセント万全な訳ではありませんが。

    何より、傷ついた自分を自覚すること、これは本当に大切な気がしました。
    私もよく周りの意見に流されて自分の心の声や本心を押し殺すことがありますが、本当はこれが1番良くないのかもしれません。
    自分だけは、傷ついた自分に1番共感出来る存在であるはず。
    『傷ついた』と思う人は、既にその『自覚』が出来ている、その点では良いと言えるのかもしれませんね。

  2. ぬい 2017/06/10 23:23

    傷つくことは誰でもあります
    そして傷つけた相手に腹がたつこともあります
    それは自然なことです
    “自分が被害を受けて辛かった”
    という思いを誰かと共有したい
    そう思うのも自然だと思います
    少しでも自分が傷ついたのであればその人は被害者なのです
    ただその傷ついた心を誰かに理解してもらえるかといえばそれは分からないんだと思います
    だからこそ簡単に自分の傷ついたことを他人に明かすのは危険な気がします
    けれど自分自身の“傷ついて辛かった”という思いを無視することが一番自分の心にとってよくないことなんじゃないかなと思います
    傷つけられたという事実を自分の中でしっかり確認する
    それをやらないとその傷ついた一つの事件の解決を前に進められないんじゃないかなと私は思います

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