目を向けるべき先はどこだろう?

周りから認めて欲しい。

褒めて欲しい。

評価されたい。

本であったりツイッターであったり、そういう情報には、このような欲求に対して

『まず、自分自身にそれを与えてあげましょう』と言う。

自分で自分を褒める。

自分で自分のことを素晴らしいと思う。

自分のことを認める。

でも、それをしてすぐその欲求が消えることは基本的に少ない。

やってみても、腑に落ちなかったり…

思ってみたけどやっぱりなんかなぁ…と思ったり…

やっぱり、周りの人に言ってもらわなきゃ、そう思えないよ…と思ったり…

そう感じた時は…それ自体確かにあながち間違いなのではないけど、

認めようと言った自分に対して、自分の言葉を、自分を、信じられてないから起こると言うことも出来る。

自分を褒めよう、でもその褒めた自分自身が自分自身に言った言葉を、自分が信じられなかったら、そりゃあ受け容れられる訳はない。

自分自身に、まずしたいことを、行って欲しい言葉を言うことの大切さはよく言われるけど、それで納得出来ないことの背景に何があるのか語られることは少ない気がする。

自分で言うことって、人の言うこと以上に信じられないことがある。

それは誰より、自分を信じていないこと。

でもね、そうなってくるとね、人が言うことは信じられるけど、自分は信じられないってパターンが多くなるんだけど…

『周りを信じられる』って自分の言葉も、自分が言った言葉だから、自分から見たら信じられる訳ないんだよね…。

結局、自分も周りも、誰のことも信じ出ないのでは…?

と考えてしまう。

だから、どんな時でもまず自分自身を幸せにしよう、自分を信じてあげよう、と言われることが多いのかもしれない。

自分を信じてあげられたら、『この人が好きだ』『この人は友達だ』という自分の思いも、自分で信じてあげられる。

自分を信じると、自分で思うことは勿論、周りへ対する自分の気持ちや行動や、色んなことを信じられるようになる。

結果的に、『自信』となる。

自信は、『自分は大丈夫』という安心感もくれる。

自分を信じられれば、何を信じて良いか分からずに混乱したり、何か1つのものに盲信したり執着したりすることも減る。

安心感があると、冒険出来たり、人は時間や心を割いたりすることもしやすくなる。

ここまで、今辿り着いてる人もいれば、何十年かかったり、見つけられない人もいて、それは人によって全く違う。

早ければ良いのかもしれないけど、遠回りしてもその長くかかった分思うことや得られることもある。

こんな文章でサラっと書いても難しいけれど、親よりも友達よりも、この世の誰よりも、自分が自分のことを一番大事にすること。

それを本当に分かることって、学校じゃ教えてくれないし、ある年齢で必ず誰かが言ってくれる訳でもないけど、1番大切なことの気がする。

そういう『先生』みたいな人が、社会に出る前に、この世に産まれてきて1番初めに教えてくれたら、嬉しいよね。

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コメント一覧

全4件
  1. schedule2017.10.31

    ohana

    ぬいさん★
    自分は自分で1番見えますからね。
    見えすぎて目を背けることもあるのかもしれませんが、それでも、ずっと付き合っていく『自分』だからこそ、ぬいさんの言う通り、大切にして行けたらいいなぁと思います。
    生きてちゃいけないなんてないですもんね。死にたいと思うことが例え何度あっても、『生きててもいい』と思えることも何度もあってもいいと思います。

  2. schedule2017.10.30

    ぬい

    自分の失敗したこと
    自分の嫌な部分
    それを全て知っているのは
    他でもない自分だったりするので
    そんな自分を認めろと言われてもなかなかできないのかもしれません
    けれど
    きっとどんなにダメだろうと
    なんの取り柄がなかろうと
    基本的に生きてちゃいけないなんてこともなくて
    自分自身を大切に思えることができれば
    そうできればいいなって思います

  3. schedule2017.10.18

    ohana

    おっくんさん★
    コメントありがとうございます。
    『経験という先生』響きました。
    確かに経験は、先生のようですね。それがあるから対策出来たり、それに導かれたり…。
    捉え方も考え方も、正に自らやってみないと分からないような気がします。
    人に言われて腑に落ちたとしても、やっぱりそこからどう行動するかは自分自身。
    自分の行動から学べたら、それはある意味最強なんだと思います。

  4. schedule2017.10.17

    おっくん

    そういうことって、自ら”感じ”ないとわからないものでもありますよね。

    経験という「先生」とでもいうのでしょうね。

    自分自身で、どう感じるか、それをどう捉えるか。
    結局は、”自分自身”なのかもしれませんね。

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