感じること、それが全てなのかもしれない。
edit2017.12.04 1,733
独りぼっちであることと、独りぼっちだと思うことは、少し違う。
1番分かりやすいのは『結婚』。
『独りぼっちは寂しいから』と結婚するパターンは多いけれど、あれは客観的に見てその人が1人である訳ではなくて、独り暮らしであるとかどーでもよくて、その人自身が『寂しい』と感じているかどうかが、実は全てだったりする。
私も年齢が年齢なので、周りの友人のほとんどは既に結婚して子供がいる。
その友人達は、旦那さんがいて、子供がいて、孤独ではないけれど、孤独だと感じない訳ではない。
子育てをしていても、孤独はあるし、実際そんなツイートを見かけることもある。
孤独に限ったことではなくて、幸せな気持ちであったり、楽しい気持ちもそうだ。
実際幸せそうな体験をしていたり、そんな生活を送っているかどうかは、根本的な問題ではない。
シンプルに言えば、感じていることが全て。
幸せだと感じればそれは幸せ。
不幸だと思えば、それは不幸。
幸せだから良い、不幸だから悪い。でもない。
その時その瞬間に、そう思った事実は残っても、それに善悪があるわけではないし、なんの感情を持ったとしても、その時の自分の感覚を否定せずに受け容れることは、本当はとても大切なんだと思う。
今、私は、自分の頭で分析したことや、考えた事と、心で望むもの、思うことが完全に真逆な方向に行く事がある。
ある物事への捉え方として、なぜそっちの方向に感情が向いているのか、自分でどうしても分からずに、戸惑うことがある。
そうしていると、自分の感情で選んだことを否定してしまうことも、どうしても多い。
頭で考えたことは、やっぱりどこか分析したことであったり経験則で考えているパターンがとても多くて…。
実は幸せな未来を、可能性を示唆してくれている、導いてくれているかもしれない、自分の感情や直観みたいなものを無視してしまいそうになる。
分析して出した答えは決して正解ではない。
でも不正解かどうかも分からない。
そんな時は、多分感情に従った方が良い。
『あの時、ああ思ったんだから、そっちに行きたいと思ったんだから、しょーがない。』
そう思えると、よく分からないけど、清々しいし、何だかんだ多少時間がかかったとして踏ん切りがつくことが、私の場合は多い。
周りが『ちょっとそれは止めた方が良いよ』と言っても、自分の感情が望むならそっちの方へ。
幸せそうに見えるか?周りからどう見えるか?ではなくて、自分が幸せなのか、自分がそうしたいと思うのか。
これは結局、自分の感情に、行動に責任を持つことになり、同時に自分のことを信じてあげることにもなる。
考えてないことや、分析出来ていないこと、問題から解決策まで筋が通ってないことや、一貫性がないこと、よく分からないことなどを否定する人は多い。
そういうものは恐いし、信じがたい。
私だって否定したくなることがある。
でも、自分の身に起こること、現実として目の前にあることですら、自分の感情が引き起こしていることだったりすることもある。
こうしたい、そう気持ちが動いた自分に対して、そうした現実が舞い込んでくる。
そう思えば、自分の感情に意識を向けたくなるし、良いことを考えよう、自分の感情がワクワクする方向へ向かおうと思うことも出来るから。
頭と心の折り合いを付けるのは、今でも私にとっては難しい。
でも心を信じて進むことは今まで少なかった。
『いつもと逆のことをしてみよう』
これは、仕事を辞めたあの6月から今もひっそり続けている。
今年に入って沢山の苦しみがあった前半と比べて、後半は激変の半年だった。
今向き合っているのは、今年最後に残った私の課題。
どう解決へ行くのか、自分で様子を見守っている。
頭ではなく、感情で思ったことが全てだ!!
そうしてこの課題に向き合い、その結果どうなるのか、何か見えるものや新発見があるのか、何となくワクワクしている。
答えを焦る気持ちもあるけれど、自分の何かしらの学びにしていこうと思っている。
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