無関心とは、絶望的な言葉か?

この前、友人とこんな話題が出ました。

無関心とは、プラスでもマイナスでもない状態。だから、やり方次第でプラスにできる。

美輪明宏さんが、愛の反対は無関心と言われていました。
そのことと、何だか矛盾するな…と思いました。

この矛盾について、少し考えてみました。

美輪さんが仰られている「無関心」とは、気に留めない、存在を否定するというニアンスがあるのかなと思います。

”知らない”のではなく、気に”留めない”とか、存在を”否定する”ならば、それは相手の存在を前提としています。
意識的に”関心”を”無く”しているんですね。

一方で、無関心には「それほど重要でない」という意味もあります。
冒頭の話は、そのパターンですね。

重要でないから、評価にはプラスもマイナスもない。
だから、相手の関心を惹ければ、評価をプラスにできる。

無関心=存在否定ではないんですね。

美輪さんが仰られている「愛の反対は無関心」とは、無関心ではなく、存在否定なんですね。
意識からも消したい…究極の嫌いなんですね。

意識からも消したいということは、それを”意識”しています。
つまり”関心”があるということ。
言葉尻だけ見れば、”無”関心ではないということなんですね。

愛とか何とかの話がしたいわけではありません。
ものは考えようであり、見方・捉え方次第というなんだなという話。

出会った瞬間、存在を知った瞬間、
その存在は無にすることはできないということ。
プラスかマイナスしかなく、マイナスならばプラスにできるということなんですね。

考えていたら、なんか希望が湧いてきました。

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コメント一覧

全2件
  1. schedule2017.12.24

    おっくん

    ぬいさん、コメントありがとうございます。
    存在したということは、何かを遺しています。
    その遺したものは、何かしらの関わりをもたらします。
    遺されたものの継承、それは今いる私たち。
    そういうリレーが今を育んでいるのだと思います。

  2. schedule2017.12.23

    ぬい

    生きている人間と亡くなられた方との大きな違いは
    この世に関わることができるのかできないかだと私は思ってます
    どう関わっていくかはその人と周りの状況いろんなものによって左右されるのかもしれませんが
    その関わりのひとつひとつがこの世の中を作っているんだなと私は思ってます

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