ハッキリ親に伝えられることは、ステキなことだと私は思う。
edit2017.12.30 1,323
親に対して、「生きていたくない!どうして生まれてきたの?!」と勢いで言ったとしよう。
ちなみに、私は、この類のことを思っても言えなかった。
親の悲しそうな顔を見るくらいなら、本心を我慢したほうが自分が傷つかなかったから。
でも、もしそう親に本音を、本心を、ハッキリ伝えられる人が目の前にいたら、
私は、その人を全力で素敵だと言いたい。
褒めたい。
尊敬する。
その親がどんなに悲しい顔をしていて、その発言を非難されたとしても、
周りがとやかく言っても…
だって、親にそういうことを言えるような関係性を、気持ちを、あなたは持っているということだから。
チキンな私は、そんなこと出来ない。
そんな勇気ない。
そんなことをハッキリ言うほど、親を信用していないんだと思う。
相手が傷つくから…と我慢することは、『良い』と言われることが多い。
ハッキリ言わないこと、オブラートに包むこと、気を遣うこと…人として『正しい』と。
そういう常識や固定観念は、親にだって使うもの。
特に大人になるにつれて、そういうことを言えなくなるもの。
でも、親に全力で言いたいこと言って、時にはぶつかって、なんなら物投げたりとか出来る関係…
そういうことすることを、勇気だと私は思う。
反抗期みたいことが出来るって、素晴らしいことだ。
そう思うと、人を悲しませることイコール悪いこと。とは言い切れない。
人を笑顔にさせるだけが良いことではない。
言いたいこと、思ったことを言うのは「恐れ」が伴う。
その恐れに、私は大抵負けることが多かった。
特に、親は切っても切り離せないから、特に負けていた。
だって、恐いもん。
死にたい、と思った時も、そんな事口に出さなかった。
死にたい、生きていたくない。
心ではこれまで何万回も思ったことはあるけれど、そんな気持ちを親に吐き出せたことは、今まで多分ほとんどない。
なかったかもしれない。
だから、親とそんなやり取りをした話を聞くと、素敵だなと思う。
勿論、生きていたくないと思う事に対して、『良い』と思うわけではない。
そう思うってことは、何かしら苦しんでいるということだから。
幸せだと感じられていないということだから。
でも、そんな気持ちを、『親』という存在に言える気持ちは、尊重したいと思う。
みんな出来ることじゃない。
そんなことを言う子供として、自分を責めることのほうが多いのかもしれないけど。
前に「不登校は自分を守っているということだと思う」という思いをブログにしたことがあったけど、その時と似たような感覚を覚えている。
多分、どっちも勇気がいることだ、少なくとも私にとっては。
もし、親に酷いことを言ったことがある人がいたら、それは『酷い』ではなく、『勇気あること、そんな関係性を親と築けているということ』にも目を向けて欲しい。
誰かを笑顔にすることが、全てではない。
ぶちまける関係って、素敵だ。
悲しい顔は、一生そうじゃなければそれで良い。
笑顔もあれば、悲しい顔も怒った顔もあって当然。
くるくる変わる表情や気持ちがあるのは当たり前のことだから。
大切なのは、笑顔にすることとかではなくて、自分の本心を伝えるということ。
きっと、親子関係だけに言えることではないだろうけど。
お互い険悪な雰囲気になることがあったとしても、最終的にどこかで笑い合っていれれば、それで最高なんだと思う。
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