受け入れたくない気持ち

世の中にはいろんな偏見や差別が存在します

差別や偏見はいけないことだから止めましょう

そんな言葉が世の中を駆け巡る中

差別や偏見が依然として存在するのはいったいなぜなのか

それはもしかしたら“受け入れたくない気持ち”が人間には存在するからなのかもしれません

受け入れたくないという気持ち

差別や偏見をなくすということ

そのために必要なこととしてその相手を理解することということがあがるんだと思います

相手を理解する、対象を理解する

それはとても大切なことだと思います

けれど理解すること

それは必ずしも容易なことではないんだと思います

そもそもそれに対して知識を充分につける機会が豊富にあるわけでもなく

物事の理解には相応の時間と労力が必要だったりするんじゃないかなと思います

また知識が充分にあったとしても感情的な部分をクリアできなければ

それを完全に理解したとは言えないのではないかなと思います

受け入れたくないと思うこと

そのものごとに対して

理解が充分でなければ当然

それを受け入れたくないと感じることは自然なことだと私は思います

なにかを受け入れることに嫌だと思うこと

何かを受け入れたくないと表明すること

それは社会的に非難を受けることがあるのかもしれません

それに対して理解を示さないのは悪だ、差別だ

それに対して寛容な態度をとらないのは悪だ、偏見だ

とくにインターネット世界では受け入れられない気持ちというのは批判の対象になってしまうような気がします

受け入れられないと思うのなら受け入れなくていい

けれどどれだけ世の中が批判しようとも

自分が受け入れられないと思うものは受け入れる必要はないんだと思います

それが差別であっても偏見であっても

自分が受け入れられないことが悪いわけではないんだと思います

自分が受け入れないことを無理して受け入れようとすればするほど

結局は偏見や差別の助長になってしまうんじゃないかなと私は思ってます

自分が受け入れられないからその対象に攻撃していいわけではない

それは守らないければいけないことだと思います

けれど自分が受け入れられないものがあることをしっかり自覚しておくこと

それが無意識に他人を傷つけてしまうことや

自分自身の感情を無下にしてしまうことを防ぐことにつながるんじゃないかなと

私は思ってます

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コメント一覧

全2件
  1. schedule2018.09.25

    ぬい

    おっくんさん
    コメントありがとうございます

    適度な距離感
    とても大切なことだと思います

    その対象との適度な距離を考える上で
    対象に対して自分がどんな感情を抱いているのか
    ということが基準になっていくのかなと思います

    受け入れられない対象がある
    それに対して許すことはなかなかできないかもしれません
    けれどそれが存在することを許す
    それはとても大切なことだと思います

    許すことって意外と奥深い概念なのかもですね

  2. schedule2018.09.25

    おっくん

    おっくんです。
    寛容さとは、適度な距離感なんだと思います。
    そして、そのベースは、許すこと。
    そこには、自分自身も含まれているように思います。

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