両親の死から考える(その1)

こんにちは、やっさんです。
本日2回目のブログ投稿です。

毎年10月になると、12年前の10月に亡くなった母のことを思い出し、何だかほろ苦い気分になります。
12年前となると、当時の僕は20代前半でした。
12年前に起こった出来事を思い出したときに、母の死以外の出来事に関しては「もう12年経ったんだ。時が経つの早いなぁ」と思う。
でも、母の死に関してだけは「まだ12年か・・・」と思う。
どうしてまだ12年と思うのか、自分でもよくわかっていません。

母の死因は交通事故。
母が交通事故に遭ったときには、僕は母とは別居していて、母がいなくても生きていける状況にありました。
母は、僕が父と弟と3人で暮らしていた家からはかなり遠い地で、母の親族が身近にいる環境で1人で暮らしていました。

母が交通事故に遭った直後に、母の親族からもらった電話で「もうすぐ亡くなりそうだ」ということを知らされました。
その後、再び電話をもらったときには「一生植物人間になるかもしれない」という話をされました。

その時、当時生きていた父と台所で、
父「一生植物人間になると本人だけでなく、周りの人間が大変。一生植物人間になるくらいなら亡くなった方がいい」
僕「そうだよね・・・。今すぐに会いに行った方がいいのかな」
父「いや、会いに行かなくていい」
というような会話をしたのを、今でも覚えています。

交通事故に遭ってから4日後、母は亡くなりました。
結局、母が交通事故に遭ってから、僕らは生きていた母に会いませんでした。

母が亡くなったという知らせを聞いて、僕らは新幹線で母が暮らしていた地に向かいました。
その地の葬儀場で、僕は母の親族に胸ぐらを捕まれました。
その直後に、父が間に入ってくれたので、大事には至りませんでした。

「母親が生死の境をさ迷っているときに、長男であるお前がすぐに会いに来なかったのは、人としておかしい」と言いたいのはわかった。
父の制止を振り切って、まだ生きていた母に会いに行こうと思えば行けた。

まだ生きていた母に会いに行かなかったことに、当時も今も僕は後悔していません。
でも、本当は会いに行った方が良かったのかもしれない。
結局、現実を直視するのが怖かったのだと思います。

母に関しては、本当にいろんなことがありました。
良い思い出もたくさんあったけれど、辛い思い出の方が明らかに多かった。
母を親として人として許せないという僕の気持ちが、生死をさ迷っていた母に会うことを留まらせたのかもしれません。

親との関係だけでなく、人との関係は近くなればなるほど、「愛」だけではなく「憎」も感じることになると思います。
僕は亡くなった両親、特に母に対しては、「愛」よりも「憎」が強かったような気がしています。
でも、そう感じることが、不幸で悲劇なことだとは思いません。
親との関係は人それぞれ違いますし、親に対する思いも違っていていいはずです。
人はそれぞれ異なった思いや事情を抱えながら生きています。
そのことをきちんと認識して生活できるようになると、様々な人と良好な関係を築けるようになると思います。

今後も不定期で「両親の死から考える」を書いていきます。
特に親との関係で悩んでいる人に読んでいただけると幸いです。

それでは。

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