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ふんわりもやもやです 困り度:微

閲覧数1392 コメント数3 person退会したユーザー edit2016.09.07

以前、「あなた方が今、この場所に生きていることの意味を考えてください」と大学の講義で教わったのですが、いまになってふと思い出して少し考え込んでいます。

講義の中の意図としては、社会・時代をどう見るかというとき、いま世界では何が起こっていて、それがどの情勢にどう影響するのか考えることが大切だと、教授からメッセージを頂いた次第です。(あーちょっと日本語が…)
情報に翻弄されず自ら見極められる力を育てる、また、現状から先を見通せる力をつける必要がある、ということでした。

それはそれとして、なのですが
いま改めて「いま生きていることの意味」という言葉を反芻すると、授業で教わった考え方とは違う捉え方もあるような気もしてきます。でもそれが掴めなくてもやもやしています。何かが気になるのに、何が気になっているかわからない状態です。

よく言われる「生きる意味」とは違うかもしれません。また「なんのために生まれてきたのか」を考えても納得する答えはない、ということで一旦は自己完結させているので、今回はそういうことではないです。

うまく言葉にできないのですが、そもそも「生きるとは何か」「何をもって生きているとするのか」「そもそも意味づけすること自体に意味はあるのか」というようなふわふわした事項は、自分の中に答えがなくて、展開するほどに残らず意味が掴めなくなりそうだし、いま掴めていないことにも、深い穴に放り込まれてずっと落下し続けているみたいな不安を感じます。

支離滅裂な文章ですみません。もし、読んでくださって何か思ったことなどがあればコメントを頂きたいです。他の方のご意見をふまえて、自分も頭の中を整理したいです。「お前は何を言っているんだ」ということでも全然かまいません
よろしくお願いします
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コメント一覧

  • refresh約8年前
    退会したユーザー
    私たちがなんのために生きているのか、私たちに共通することがあるとすれば、生まれてきたこと、いつか死ぬこと、ですかね。
    ここからは私個人の考えに過ぎませんが、
    どのように宇宙が生まれたかと問われれば、ビッグバンによって生まれたとされてますが、何故宇宙があるかは誰も知りません。同様に、どのようにこの体が生まれたかは精子と卵子の結合ですが、何故この体があるのかは誰も知りません。そして何故か有るものは必ず無くなります。生きているということはいつか必ず死にます。全ての人に共通する死因があるとすれば、それは生まれたこと。
    この世界にはあらゆるものに二面性があります。1枚の白紙の片面を表と定義する瞬間、裏が生まれます。同じように、私たちが生まれた瞬間、死も生まれました。全てがそうです。暑いがわかるのは、寒いを知っているから。楽しいがあるのは、辛いがあるから。あらゆるものが有るのは、あらゆるものが無かったから。全ての一方があるのはもう一方があるから。一方を感じるにはもう一方が必要です。どちらも必要です。いつか必ず死をもって失うこの体を通して、沢山のことを日々感じて、経験して、あらゆる二面性を学習していく。皮肉なことに、人は何かを失ったときにこそ、それが有ったこと、その大切さに気づいたりします。大切な人も、健康な体も、経済的な豊かさも。いつか死をもって自分の全て(体も名前も)を失うとき、全てが自分に有ったことに気づき、愛おしくなるんだと思います。私たちは歳をとるにつれて、得るものもあれば、失うものもあると思いますが、「今」有るものの一つ一つその大切さを噛み締めて生を全うする。どうせいつか失ってその大切さに気づくなら、今それを大切にして、それが有ることの難しさ、本当は難が有ること、すなわち有り難さに気づくこと。生きる意味とまで言い切れるほど答えが固まっていませんが私個人の生きる指針です。
    考えることで気づくこともあると思うので、大学の講義とのことですが、良いきっかけではないかと思います。
  • refresh約8年前
    珈琲 20代後半 女性
    どうも珈琲と言います。
    ・いま生きていることの意味
    ⇒自分の見たことのない新たな面白い物を見る為にです。

    ・なんのために生まれてきたのか
    ⇒親が勝手に産んだのだから、意味も理由もないと思います。

    私たちは何もない人生におのおのが自分なりの物語を作っている。
    多くの失敗があってもその失敗が自分を磨いてくれたと信じて生きていく。
    多くの失敗と成功を胸いっぱいに吸い込んでこれから先の未来に活かす。
    そうしていくうちにいつかきっと君なりの納得のできる答えが見えてくる。
    まだ、分からないのなら死ぬまでにその答えを出せばいいのです。
    その答えを出すためにもいろいろな経験をして少しずつ考えましょう。
    数学の証明のように一つずつ考えていき、そしてやっと答えになるのです。
    焦ることはない、今は悩み続けてください。




  • refresh約8年前
    退会したユーザー
    これに関しては、答えはないですよ。
    不安になってしまうのもわかります。
    人は常に正しい方、答えを見つけようと教育段階で刷り込まれていますからね。
    世の中には答えのないものもたくさんあります。
    なぜ生きるのか、生きる意味、生まれた意味はきっと誰もが一度は感じ、気持ちが落ちている時にはより強く感じるものだと思います。
    答えのないものって不安ですよね。
    だから信仰や宗教が作られたのだと思います。
    答えがないから、人間が自ら創り出したものなのでしょう。私は宗教や信仰は別に正しいとも間違っているとも思いません。ただ、自己を安心させる一つの手段だと思っています。

    先を見据えて生きるということはとても計画的で大事なことですよね。でも、そうすることによって大事な今を見失ってしまうこともあります。
    結局未来は今の積み重ねで出来ていて、今を大切に生きるということがとても大事なことなのだと私は思っています。

    結局言いたいことは答えのないものを探し続けるよりも、今を大切に生きるということです。
    世の中にある自分の好きなもの、好きなこと、楽しいことをして、自分の人生に色を付けることで自分が出来上がり、自分の生きる意味を探求することが人生(生きる)ということではないでしょうか。

    これも個人的な解釈でしかありません。
    先生が言っていることも、宗教なども、人生哲学も個人的な解釈でしかないのです。
    答えはあなたの人生で生きて証明するものだと思います。


    あなたの納得いかない答えかもしれません。
    そして求めるものかどうかもわかりませんが、参考までに。悪しからず。
    よろしくお願いします(*^^*)
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