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やってしまった…

閲覧数976 コメント数2 person退会したユーザー edit2015.10.31

ただ今卒業論文を書いている途中です。
それで、方法の部分を書いていると、目的から考えるとマズイ失敗が発見され、しかし時期的に後戻りできないという状況です。
教員とコミュニケーションをきちんととれていれば避けられた事態であり、日々自分を追い込んでいる毎日です。
このような状態なのに、大学院の進学が決まっているので、なおのこと自分がみじめで、選択肢を間違えたのではないかと不安を抱えています。
それゆえ、大学院に進学することとはどういうことなのかを先生からたっぷりと言われております。
今回の件を通じて自分の視野や考える範囲の狭さを実感しました。

このような私に対して叱咤激励していただければと思います。
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コメント一覧

  • refresh約8年前
    退会したユーザー
    コメントありがとうございます。

    読んでいて気持ちが落ち着いて、これから冷静に対応できそうです。
    これから先同じ目に合わないように自分がどう動くべきなのかちゃんと考えて、実行していきます。

    とても参考になりました。
  • refresh約8年前
    退会したユーザー
    目的達成を阻んでいる事象が本当に「教員とコミュニケーションをきちんととらなかったこと」なのだとすると、
    「なぜコミュニケーションをきちんととらなかったのか」の原因の追究、と
    「これから先同様の境遇に置かれた場合、とるべき対応をとれるか」の対策、が
    きちんと今後のプロセス(反省)としてあなたの中に組み込まれているのなら、
    本質的な問題は既に解決しているんじゃないのかな。

    だとすると、
    このまま大学院へ進学しても本当に大丈夫なんだろうか、とか
    先生から何を言われたのか分からないけど、少し躓いた程度のことで卑下する必要もないんじゃないかな。

    できるできないではなく、これから向かおうとしている大学院に自分が本当にやりたいことや学びたいことが「今もある」んだとしたら。
    あなたは正しい選択をしていることになるよ。
    そしてその進学が決定事項なら、あなたは前に進めばいいだけじゃない?
    つまりやりたいことの「能否」と、やろうと決めた「選択」には関係性がないんだ。
    子供が初めて自転車に乗るときに大事なのは、「乗れるから」ではなく「乗りたいから」。
    最初は当然乗れないんだけど、親に後ろを持ってもらったり、補助輪をつけたりしながら乗れるようになる。
    こけて痛い思いをして、投げ出そうとしてもやっぱり乗りたいから乗る。そしてそのうち乗れるようになる。
    これは人の選択がたまたま能否に影響した結果、乗りたくても乗れないままの人もいるよね。
    でもだからといって、その人の「選択が間違っていた」とはならない。
    なぜなら能否を選択に影響させるようになると、人は「できることしかやらなくなる」からね。

    たまたま卒業論文という課題(目的)に必要なプロセスを欠いたことで
    その達成が予定より遅延することと、その挽回の方法や目処が立たないことに焦りを感じているだけ。

    詳しい内容は分からないから無責任な回答になってしまうけど。
    答えの出し方(挽回の方法)は無限にあるよ、なぜなら答え自体がひとつではないからね。
    なにやら胡散臭い話になってきたからそろそろ終わるけど。

    卒業論文の完成が今は「目的」だけど、それすらも長い目でみれば「目標」のひとつであることに気づけば、視野も広がるかもね。




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