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両親の喧嘩、離婚について

閲覧数623 コメント数1 person退会したユーザー edit2018.02.12

長文になってしまいましたが、読んでいただけると嬉しいです。
私の両親はよく喧嘩をします。根本的に仲が悪いというわけではないですが、価値観が合わず衝突することが多いです。ほとんどの場合が父が一方的に怒りだすのですが、母も強気なのでそれに言い返します。

私の記憶の中で一番古い喧嘩の記憶は幼稚園の頃、私の枕カバーを洗うために父が変えたのですが、それに母が気付かずに変え直したことでした。「俺が変えたのにどうして変え直すんだ!!」「見てなかったし気付かなかっただけなのにそんなに怒ることないでしょ!わかったよ戻すから!」「いい!もう二度と変えるか!!」という、本当にくだらない、些細なことでした。

それから、記憶がある限り人生で初めてディズニーに行った小学生の時、楽しい記憶で終わったはずだったのに、夜遅く帰ってきたせいで私たちが次の日の朝起きれなくて、母は「少しくらい遅刻してもいいよ、学校にはちゃんと連絡してあげるから」と言ってくれたのですが、父が「遊んで帰ったのに遅刻なんてさせない!学校に行け!ほかの子は遅刻なんてしないだろ!」と言い争いになったこともありました。楽しい記憶は、辛い記憶で上書きされて思い出すことができなくなりました。

それからも、小さなことで父は怒りました。父が帰ってくるときに電気をつけ忘れていたこと、防犯上帰ったらすぐ鍵を閉めることが習慣化されていた中で父が帰ってくる前に鍵を閉めてしまったこと、寝室の空気の入れ替えをして窓を閉め忘れたこと、細長いサンマをすこし小さめの皿に乗せたこと。

父に非があった時も、逆ギレして結局同じことでした。二人分の食事を大皿に乗せて、半分は母の分という説明を待たずに食べきってしまい、「ちゃんと説明してから置け!!一人分は一人分で分けてよそえ!!!」と怒鳴り散らしました。それ以来、うちは人数分の小さな皿になり、ボウルのサラダを好きなだけ取ることや、唐揚げの取り合いなんかしたことありません。

そして父は怒った時、物に当たる人でした。皿を投げ捨てるように置く、扉を壊れそうな勢いで閉める、ハンガーラックを階段から投げ落とす、当たり散らすように床をきしませて歩く。私はそれがトラウマになって大きな音が怖くて仕方がなくなり、重いものを置く音(そっと置いたとしても)や花火の音が恐ろしくなりました。

そんな中で、我が家一番の問題は、片付けが苦手なことでした。母も姉弟もわたしも、もちろん父も。片付けについての夫婦喧嘩は数え切れません。母は家族の給与明細や保険、子供の学校の書類など、保管しなければいけないものも多くあり、整理整頓をしっかりしないとすぐに溜まっていってしまうので、どうしても物が多くなってしまい、共働きなので母自身の時間も少なくて、なかなか片付けられませんでした。片付けては増え片付けては増えの繰り返しでした。

しかし、父が年のせいで腰を悪くし始め、ソファが欲しいと言い始めたことで、母もようやく決心し、母の実家に頼んで親戚(私の伯母、いとこ、祖母)に家の片づけを手伝ってもらって大掃除を始めました。父も許可をくれました。私も母も、思い入れのある物や使わないけど捨てたくないものなど、たくさんのものを諦め、大事なものはちゃんとファイリングして整えたり飾ったりして、散らかっていたリビングと、荷物置きになってしまっていたダイニングを片付け、五人家族になってからは使わなくなっていた四人掛けの円卓もきれいにし(父はこれをずっと使いたがっていた)、部屋がとてもすっきりしました。これで父も喜ぶだろうと思って父の帰りを待つと、初めは感心してくれて、伯母にも感謝の連絡を入れていました。しかし、母が「これももう使えないから捨ててもいい?」と聞くと「いいけど、俺はその辺片付けろってずっと言ってた」と言いました。私は頭が真っ白になりました。そうです、父が片付けろとずっと言っていたから片付けたのです。泣く泣く捨てたものもありました。父の物には手を付けると怒ると思ったので、捨てたものはほとんど私や母のものです。姉弟にも聞きながら子供のときのおもちゃなんかもたくさん捨てました。それを、感謝もほとんどなく、「俺は片付けろってずっと言ってた」などとほざくのです。私はこの瞬間、20年間育ててくれた父への恩や情をすべて忘れてしまったような気がしました。あの男を、母の努力を踏みにじった下劣な男としか思えなくなりました。それでも母は何も言わずに、掃除を続けました。親戚手伝いの大掃除も三回目になったころ、おばが寝室の布団を干す、といって家族共同の寝室の掃除をしてくれました。寝室の父の寝床や、そこと繋がる小さなクローゼット部屋は、父のテリトリーでした。私は別の場所の掃除をしていたので、まさか伯母たちが父のテリトリーに触れるとは思っていませんでした。きっと、父の物は何も捨てないから纏めるくらいは良いと思われたのでしょう。帰ってきた父は激怒しました。「俺の場所は触らないでほしかった!」と伯母に怒りの電話を入れました。家を掃除してくれた、本来なら感謝すべき義理の姉に。そして、壁に飾ってあった幼稚園の時の作品を、埃をかぶってしまっていたからはがしたことに対し、「仕事のストレスをうちに帰っても誰も癒してくれないからあれを見て癒されていたのに!」と言いました。

この瞬間、あの人は私の父親ではなくなりました。私はもう、あの人に尽くせないと思いました。

癒すとはどうすればよかったのでしょうか。父が仕事に行くときはわざわざ玄関まで行って「いってらっしゃい」と言い、帰ってくるときには父の邪魔にならないように荷物をどかし、可能な限り父と同じ時間に食事をし、父がお気に入りの大きなマグカップを使うせいで私たちと同じ場所に仕舞えないので、出すときに忘れがちになる母に代わり父の食事の用意はとてもとても考えながら慎重にし、ドレッシングも調味料もなるべく最初は父の周りに置き、父がいる間はテレビのチャンネルもすべて父に任せ、風呂も一番か二番には入れるようにし、父が早く眠れるように努力してきたつもりです。父の仕事の愚痴も聞いたし、面白くもない古いダジャレも笑いました。「最近の若者は」みたいな発言にも「そうだね」と返しました。私の家での行動原理は、「父が怒るか怒らないか」だと言えるほど父に気を使ってきたつもりです。父が母と喧嘩したときも、父のご機嫌取りに全力を尽くしました。姉弟が怒った父に関わらないようにする中で、私だけが必死に父のご機嫌取りをしてニコニコと笑いを浮かべ続けました。父の機嫌を取ることで、母のストレスが少しでも減るなら。大好きな母のために。大好きな兄弟のために。ほんの少しでも情の残る父のために。そう思って、ずっと頑張ってきました。しかし、「誰も癒してくれない」らしいのです。私は、父を癒せてなかったようです。もっと典型的に肩でも揉むべきだったでしょうか。父の日にマッサージチェアでも贈れば良かったのでしょうか。父のすごいところを書いて大好きだよという言葉でしめる手紙でも書けばよかったのでしょうか。正直、もうよくわからなくなってしまいました。いつもこんな風に怒ってるわけではないのです。普段は博識な父親で、少し昭和が抜けきらないだけの、少し亭主関白な人というだけなのです。
今はもう、あの人を父とは思えませんが。

今、母は伯母の家に行っています。伯母たちは、私や母が苦労しているのはよく理解してくれているので、離婚を勧めてくるかもしれません。母がどのような答えを出すのかはわかりません。恐ろしくて今まで聞いたことがなかったのです。子供をみんな置いて一人で実家に帰るかもしれません。私は、それでもいいと思っています。もちろん叶うなら私は母についていきたいけれど、私は病気で今は留年しながらようやく高校を卒業できることになったものの、不定期に軋む体ではまだしっかりした職には就けないでしょうから、母の荷物にはなりたくないのです。それならば、正社員であり収入が安定している父のもとで、ご機嫌取りをしながら扶養してもらった方が母のためかもしれないとも思っています。もし両親が離婚した場合、私はどうすればいいのでしょうか。離婚しなかった場合、どうすればいいのでしょうか。誰にも相談できなくて、ここに書き込ませていただきました。
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コメント一覧

  • refresh約6年前
    退会したユーザー
    お父さんはもっと愛情が欲しかったのでしょう。
    気を使われる事は愛情の一種かもしれませんが、
    お父さんが欲しかったのは、もっと素直な愛情だったのだと思います。

    お母さんも気が強いから言い返す、似た者夫婦だったのかもしれません。
    でも、あなたにはお父さんが怖く映っていましたね。
    お母さんもあなたの繊細さに気付けず守れなかった。

    お父さんは確かに我儘です。
    見捨てられても仕方ないとも思えます。
    それでも、その奥にあるのは愛情が欲しかった寂しさがある事も
    少しだけ理解してあげて下さい。


    そして、あなたが見捨てられる必要はありません。
    あなたが心に傷を負ったのは両親のあり方が原因です。
    一人自分を責めていますね。
    こうなったのは自分が悪かったのではないかと。

    あなたのせいではありません。
    両親はお互いに尊重し合う事が出来なかっただけです。

    あなたは自分の傷を癒す事を優先して下さい。
    お父さんの我儘過ぎる暴言も、もう流して聞かない事です。
    言葉を受け取らない事です。
    あなたに向けられた言葉ではないと理解し流す事をして下さい。
    そして、離婚する事になったら自分を守る事です。
    お荷物などではありません、お母さんと一緒に暮らせば良いです。
    自分を責め痛めつけるような事はしてはいけません。
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