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亡くなった友人

閲覧数584 コメント数5 person退会したユーザー edit2018.02.20

初めて投稿させていただきます。
ネット上のお顔の見えない方々だからこそ、そのままの自分の気持ちを聞いていただけるのではないかと思いました。
よろしくお願い致します。

約一年前に友人が亡くなりました。
何の前触れもなく、突然でした。数日前には普通に会話をし、いつも通りふざけ合いました。普段と変わらず笑顔で元気でした。とても楽しかったです。
しかし数日後、亡くなったという連絡を受けました。一人暮らしの自宅で、亡くなっているのを見つけられたそうです。突発の病だったそうです。

祖父母を亡くした経験はありました。しかし同世代の友人が亡くなる経験は初めてでした。
祖父母のことは悲しいのは当然ですが、年齢を考えると、仕方ないと思える部分もありました。しかし同世代の友人は全く仕方ないとは思えません。何故と言う気持ちばかりです。

当初は悲しく泣いてばかりいました。しかし、日が経つにつれ少しずつ泣く回数も減りました。
ただ、ふと寂しくなります。会って話しをしたくなります。会えることが当たり前だったので、ありがとうをあまり言っていません。後悔しています。
友人の御家族に対して、申し訳無い気持ちばかりです。数日前に会っている私が、友人の体の異変に気づけたのでは無いかと思います。気づいて声をかけてあげればよかった。
また、自分が悲しいと言うのも憚れます。御家族の悲しみを考えると、きっと非ではないですよね。大切な娘を亡くした御家族を思うと、本当に唯々辛く申し訳ないです。

遅くも早くも、もう一年が経とうとしています。心に穴が開いた感覚は未だ続いています。どのようにしたら、この辛さは無くなるのでしょうか。
また、もう二度と同世代の友人を失いたくはありません。どのようにしたら失わずに済むのでしょうか。もうこのような後悔は二度としたくありません。

長々と申し訳ございません。
よろしくお願い致します。
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コメント一覧

  • refresh約6年前
    退会したユーザー
    親から独立して、自分の身の回りの事は一人で出来る様にしてから、しょっちゅう親を見に行くと悩みません。
  • refresh約6年前
    退会したユーザー
    自分の大切な人が多いけどねいなくなってしまうのは悲しいですね。

    かぞくであっても、友人であっても。。

    何かを出来たんじゃないだろうかって後悔は、どんな場合でも出てくるものだと思います。
    相手への思い強ければ強いほど。。

    しばらくは、その気持ちを持っていていいと思うのです。後悔だっていいと思います。

    確実に言えるのは時間が解決してくれるってことです
  • refresh約6年前
    Kukka 男性
    寂しさや、悲しさに大小はないと思います。その感情があるのは、友達が大好きだからです。誰かの悲しさと比べて小さくするのではなく、悲しさをそのまま自分で感じ取ってあげて下さい。頭で考えて、自分を責めるのは、もうやめましょう。
    悲しい、会いたい、話したい…心はとてもシンプルです。それを素直に、そうだねと何度でも思って、自分にうなづいてあげて下さい。
    後、できたらという提案ですが、お友達と人生を交換してみて下さい。
    実際にではなく、今の自分と、もし自分がこの世界から離れてしまったと仮定して、それぞれの立場から、相手にどんな事を思い、話すのか、手紙でも、声に出しても良いので表現してみて下さい。
    ふみさんの感情は尊いものです。だけど、前に進めない程の重いものは、必要な分だけにして、これからを進む必要があります。それは、この世界から、突然いなくなってしまったお友達と、新たな縁を繋ぐ作業でもある事を忘れないでほしいなと思います。
  • refresh約6年前
    cameo 30代 男性
    英語の「I miss you.」は良く出来た言葉ですよね。

    実際のところ、僕が思うに、本当の意味で人を苦悩させるものは三つしかなくて、「生きること」「恋愛すること」「死ぬこと」の三つだけなんです。
    あとは、「悩み」というように悩んでいることそのものが原因なんですよね。

    例えば僕は男性で身長が154cmしかありませんが、これを苦に「チビだから死にたい」とか言うことがつまり「悩んでいることそのものが原因」なんです。別に身長がどうでも、気にしなければ困らずに生きていけます。

    ですが、上に書いた三つに関しては違います。死にたくなるほど悩んでいいし、むしろ悩まなくちゃダメです。「どうやって生きていこう」ってことに対して無頓着で、ずさんな人は人として信用できません。「全力で愛情を伝えるにはどうすればいいだろう」ってきちんと考えないような人は、人を不幸にします。

    では「絶対に死んでしまうこと」についてきちんと向かい合わない人は、どのようになるでしょうか。

    僕は、ふみさんの姿こそ人として最も尊敬できる姿と思います。友人を亡くして、きちんと胸に穴が開く人で良かったと痛感してください。思い出しては心を痛めるたびに、ご友人を愛していたことを誇りに思ってください。

    死を乗り越えるというのは、痛まなくなることではなく、痛みに耐えられるようになることだと、僕は思います。
  • refresh約6年前
    退会したユーザー
    似たような経験をした者としてコメントします。
    少し酷なコメントします。

    その後悔は、大事なものを亡くした自分の心の穴を埋めるための理由作りでしかありません。
    ただ、人間ですから、そう思いたいことは当然ですから、気持ちは分かります。

    しかし、それで友人は喜ぶかなと思います。

    後悔するのではなく、友人との素敵だった日々を忘れないであげることが一番だと思います。
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