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人生観と、死にたい気持ちについて。

閲覧数749 コメント数10 person退会したユーザー edit2016.12.04

私は日々苦しくて死にたいと思っています。
なにか虐待やいじめなどの特別辛いことがあるわけではありません。
ただ、生きる必要がないと感じていて、生きていたくないと感じています。
今すぐにでも死にたいのですが、飼い猫が亡くなってからにしようと決めているので死ねません。
私にとって人生とは自分さえ幸せであればいいもので、私の大切な人や私を大切に想う人の幸せは、私が幸せでありたいがために願うものだと思います。
交流を求める反面、それによって傷つくことにうんざりして、死ねばそういうこともないという考えに救われてすらいます。
私の大切な人が悲しめば私も悲しいですが、私が死んで悲しむ人がいても、それを悲しむ自分はもう消えていますから。
心が子供でワガママだと言われても、治そうとしても治らなかったので私としては悲しむことしかできません。

私は幼い頃から腹痛もちで怠け者でしたが、いつしか「やらなくちゃ」が「やりたくない」に負けてしまいました。
皮算用ではないですが、「猫の寿命までの人生なのにやる必要ない」という言い訳まで増えてしまいました。

「やりたくない」を一緒にやろうと言って私を愛して支えてくれる人がいれば変われるんじゃないかと思う反面、その考えはただの「逃げ」だし、そんな人はいない…とまた苦しくなります。

ずっと、救いを求めてます。誰も私を助けられない…そもそも私は助けを受容するのか…葛藤し思い悩むのが苦しくて仕方ないです。

私の考えを否定するなら、私を納得させてください。
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コメント一覧

  • refresh約7年前
    退会したユーザー
    こんばんはー。ねむです。

    >ハピが病に苦しみながら亡くなるのを看取ったとき、悲しさと後悔と、色んな感情で辛くなり、ゆきは幸せ
    にしてあげたいと思いました。

    imuraさんはゆきのことを幸せにしてあげたいんですね。ゆきもimuraさんに懐いているみたいですし、ハピも喜んでいるのではないでしょうか。

    >私の心で、「大事にしたい、大事にしなきゃいけない」と思う反面、強く死にたいと思う故にこの子の死さえ望んでしまいそうで、恐ろしく、情けないです。

    ゆきを大事にしようとするあまりに自分自身に負荷をかけすぎてしまっているんだと思います。
    たまには自分自身もいたわってあげてください。
    imuraさんは十分がんばっていますよ。

  • refresh約7年前
    珈琲 20代後半 女性
    imuraさん
    私も考えてみました。あなたと同じように生きる意味、生きる必要性。
    私は私の答えが出ましたが、それはここでは置いておきますね。
    考えているうちに思ったんです。
    あなたは生きる意味を求めているんじゃないかって。
    ここから先は推測です。間違っていたら申し訳ありません。
    あなたは愛し愛されたいのだと思いました。
    そうすることで、自分の生きる意味が見つかるんじゃないかと思っているけれど、
    それを、求める為に人と関わり傷つくことも嫌だと思うから、諦めている。
    そして、甘えだとすら思っているのではありませんか?
    悩みというのは常に自分が持っていないものから生じるものだと私は思っています。
    良い方に転びたいなら、今までの自分がやらなかったことをやってみると良いと思いますよ。
    最後まで諦めなければ、数年後なりたかった自分になれます。これはマジですよ。

  • refresh約7年前
    退会したユーザー
    返信ありがとうございました。
    もう私にできることはありませんが、少なくともいまはじさつするつもりはないと聞き、嬉しいです。
    性格を変えることは難しいですが、ゆっくりでも、考えは変わることもあります。
    この先、少しずつでも考えが変わることを願っています。
    そして、変わることは恥ずかしいことではないです。
    返信不要です。
  • refresh約7年前
    退会したユーザー
    >camposさん
    コメントありがとうございます。
    生きたいと思っている方に死にたいと言うのは大変不躾ではありますが、camposさんのような気持ちに応えたいという思いもあるのも事実です。
    絶対に自ら命を絶つような真似をしないかと問われると難しいですが、少なくともいまはまだ、そうはしないつもりです。
    私の考えを、性格を変えるのは難しいですが、私自身このままでいいとも思ってはいないので-他人事のように言ってしまいますが-改善されることを祈っています。
  • refresh約7年前
    退会したユーザー
    >珈琲さん
    コメントありがとうございます。
    私は確かに大分逃げて生きてきました。
    正直亡き父の遺産分、このまま逃げて生きて、皮算用の通り死んでいけるように感じています。
    ですが家族がそれを咎めます。ある程度の出資をしてもらっている分当然ですが。
    そして小心者の私は交友を求め、プライドを捨てきれません。
    惰性を貪り何もかもを怖がり拒むくせに、愛されたくて、与えられた情では足りなくて、とても苦しくなります。
    そのループから抜けるために「うるさい」と声に出して思考をとめたり、「大丈夫」「私は私を愛している」と暗示して現実逃避するのが常です。
    仰られている「虚勢」を、私は捨てようにも捨てきれずむしろしがみついてしまっています。
    進むことを選ぶのも逃げることを選ぶのも、難しいですね。どちらにせよ、少しずつでも変われるように、転がっていけたらと思います…。
  • refresh約7年前
    退会したユーザー
    ↑ toねむ様です。失礼しました;
  • refresh約7年前
    退会したユーザー
    コメントありがとうございます。
    初め二匹(ハピ、ゆき)いたのですが、ハピがこの夏に乳癌で亡くなってしまいました。動物の病気を甘く見ていて、病院に連れていったときにはすでに治せる状態ではありませんでした。
    私は兄と二人暮らしですが兄は猫に無頓着なのでお世話の何もかもが私の役割でした。
    付きっきりでいたいけど学校がある…学校に行かなきゃいけないけど行きたくない…行かない理由を猫のせいにしているようで、とても悩みました。
    ハピが病に苦しみながら亡くなるのを看取ったとき、悲しさと後悔と、色んな感情で辛くなり、ゆきは幸せにしてあげたいと思いました。
    亡くなってからしばらくは、ゆきが少しじっとしているだけでも生きてるか不安になったりしました。

    正直、ハピが病気だと知るまでは、今夜私が死んで家族が後悔すればいいと思ったり、私は猫を幸せに出来ているのかの不安や自責の念を同じように感じればいいと思ったりもしました。
    ですが、ハピは母にも私と同じくらいなついていましたが、ゆきは私に一番なついていて、私がいなくなったらいけないなと改めて感じました。

    ゆきはきっと、ハピのことをしっかりとは覚えていないと思います。でも心に隙間があるのか、以前より鳴いてまわるようになりました。
    普段はそれに私が返事してあげたり、ぎゅっとしたりして、甘えられたり甘えたりしています。
    私が大の虫嫌いなので、外に出たがってもあまり出してやれないのが情けないですが…

    私の心で、「大事にしたい、大事にしなきゃいけない」と思う反面、強く死にたいと思う故にこの子の死さえ望んでしまいそうで、恐ろしく、情けないです。

    なんだか、癒しにゃんにゃん生活みたいな内容じゃなくてすみません。
    でもゆきが私の癒しであるのは確かです。
  • refresh約7年前
    退会したユーザー
    imuraさんこんばんは。ねむと申します。

    >飼い猫が亡くなってからにしようと決めているので死ねません。
    「飼い猫のために生きる」って素晴らしいじゃないですか。
    猫も人間と同じで命をもって生きています。
    立派な生きる理由です。誰かから否定されるべきものではありません。

    脱線するかもしれないですが、imuraさんの飼い猫のこともっと知りたいですね。
    飼ってはいないのですが、私も猫好きなんですよ。
    差支えなければ、猫とどんな風に過ごしているか書いてくださると嬉しいです。
  • refresh約7年前
    退会したユーザー
    これは、imuraさんが自分で考えを変えなければどうにもならないと思います。
    私の言葉が届くかどうかわかりませんが、全力で筆舌を尽くします。
    私のことを紹介させてください。
    私は、難病です。
    進行性で治療法がありません。
    この命も数年しかもちませんし、この先苦痛に満ちた終末期が待っています。
    私に比べてどうこう言うつもりは毛頭ありません。
    ただ、私の分まで生きて、生きた末に見えるものを見てほしいと思います。
    これはお願いです。
    あと、じさつで親族を亡くしたものとして知っていただきたいことがあります。
    それは、残されたものには、消えない喪失感と後悔の念が残るということです。
    10年経った今でも、消えません。
  • refresh約7年前
    珈琲 20代後半 女性
    どうも珈琲と言います。
    なるほど。否定できないくらいに深く考えていますね。
    確かに「人は一人で勝手に助かるだけ、誰かが誰かを助けることはできない」
    特に精神的なものはこうだと思うんです
    例えば、ある部活の顧問が何気なく言った言葉で生徒が救われたと思ったとしても、これは別に顧問が助けたわけではないと思うんです。これを言ったらこの子の悩みや不安から救えるという考えからやったわけではないんですから、助けたとは言えないと思うんです。ただの偶然で、助かったのはその子が勝手に助かっただけだと私は考えています。
     それと、逃げることが悪い事だなんて誰が決めたのでしょう。逃げてはいけないなんて、己の弱さを見ずに虚勢を張っている者の考えだと私は思います。
    戦うと言っても沢山の戦い方があります。だから、堂々と逃げなさい。それも戦い方の一つです。
    ただ慎重に生きるだけでは駄目、臆病に生き残れ。戦績を焦る必要はない、生きてさえいれば次がある。そして勝利の機会も必ず来る。玉砕は歴史しか残さない。
    自分のために生きられなくても、誰かのために生きれば良い。
    私はそう思いますよ。

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