生きがいと健全な自尊心がない自分に効く処方箋を教えてください

コメント:19件 閲覧:2,199人 最終更新:3 ヶ月、 1 週前 作成者:AnonymousMan

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生きがいがありません。
愛するに足るものがありません。
また、健全な自尊心がありません。

この状態で、なるべく不幸を感じず、幸福感を最大にする方法はありますでしょうか?

表面的に見ると、私は生活に困っていないように見えます。
しかし、実際には多くの困難を背負っており、どれも対処が難しいと感じています。

・激務のために、健康を損ないつつあります。
 なるべく可能なタイミングで、まともな食事を取り、運動するようにはしています。
 ですが、既に食事から何から、どのような刺激に対しても、快楽を得にくくなっています。

・不安定な立場で働いています。
 私の年収は、平均より多いです。
 しかし、請負という立場で働いているので、案件があったりなかったりします。
 相手が企業様でこちらが個人なので、中には法令に違反するような取り扱いを受けたりする場合もありますが、何も言えません。
 なお、職場を点々とするので、長い付き合いのある人はもう、いません。

・離婚した両親の生活費を背負っています。
 兄弟はいますが、彼らからの借金も、戻ってきません。
 家庭内暴力の中で育ったのもあって、私としては、家族が重荷に思えます。
 しかし、それでも扶養義務は私にあるわけです。
 家族、親族には、借金魔から犯罪者、ヤクザの片割れまで、ガラの悪い人がいっぱいいます。
 私自身は、立小便以上の犯罪(それも子供の頃)を犯したことはないのですが……。

・楽しめる趣味その他がありません。
 知的好奇心がゼロになったわけではないので、気が向けば読書はします。
 音楽は、前は楽器を演奏していましたが、必死になって練習しても、自分の気持ちを伝えたいと思えるような人間が、この世界には一人もいないとわかって、やめました。
 飲酒や喫煙、ギャンブルなどはやりません。というか、体が持ちません。
 何かこう、アイドルのおっかけとか、ゲームに狂うとか、できればいいのですが、そうした娯楽も、十分な興奮を与えてはくれません。

・三十代後半ですが、結婚の目処がたちません。
 結婚という形にこだわるというより、愛情の対象が欲しいのですが、これが難しいです。
 別に肥満しているわけでもなく、醜悪な容姿をしているわけでもありませんが、自分にとっては女性の扱いがあまりに難しく、正直、お手上げです。
 また、出会いがないという根本的な問題もあります。
 更に、一種の女性不信も、自分の中にあるような気がします。
 私の知り合いの中には、夫が優しく、家事や育児にも熱心で、妻を束縛せず、十分な収入がある場合でも、不倫に走った女性がいますし、他にも不幸な家庭をたくさん見てきています。
 論理的に考えて、生物の本能としては、女性はより攻撃的で、愛情を持続することができないようにできているのではないか、と思うようになってきています
 (もちろん、女性より男性が不実な例も無数に見ています……浮気だけでなく、暴力まで振るう最低の男達も、大勢いましたが……私の思うに、女性はそういう男性をこそ、自ら求めているようにしか見えないのです)。
 加えて、私の背景にある荒れた家庭、更に額面こそそこそこ稼いでいるものの安定しない労働状況、というのもあって、女性が避ける要因が満載です。
 以前、ネット上で自分のプロフィールを詳細に書いた上で、女性から、結婚相手としての点数評価をしてもらったところ、平均点が15点、過半数が0点をつけるありさまでした。
 愛情のある人生を送るのは、難しそうです。

そういうわけで、日々、目を覚ましては惨めさを感じないではいないのですが、自分で終わらせるには、義務が邪魔になります。
もちろん、死を前にした本能的な恐怖や、苦痛を嫌う気持ちもあります。

また、惨めさからの復讐心がないでもありません。
自分に痛みを与えた人達が、まだ血を流していません。
さりとて、殺せば気が済むかというと……。

いきなり核戦争でも勃発して、それとわからないうちに、頭上でツァーリ・ボンバは炸裂してくれれば、どんなに楽かと思います。
一秒経たずに蒸発しますから。

こういう状況なので、万事につけ、モチベーションが低く、困っています。
カウンセリングにいったこともありますが、「愛情の本質とは何か、考えてみてください」といわれて、ばかばかしくなってやめました。

何か、快楽に刺激されて興奮したまま生き、死にたいのです。
自分が何者かを完全に忘れ去りたいのです。
それこそ、麻薬中毒者のように。

いい方法がありましたら、教えてください。
やり方は問いません。
ハマれるなら、宗教に洗脳されてもいいです……ただ、無理でしょうけど。

よろしくお願い致します。

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コメント一覧

1-19件目(全19件)
  • tanpopo

    生きていく上で大切なものの順位を聞く心理テストがあります。
    「お金」、「家族」、「友人」、「健康」、「仕事」、「趣味」
    この6つを貴方が生きる上で大切なものだと思う順番に並べるものです。
    今回は、貴方に心理テストをしてほしいと言うわけではなく、どれが無いと物理的に生きていけないかということです。
    私は「健康」でなければ、他の5つのことを楽しめないと思います。
    極端な話、家族や友人に恵まれ、仕事も順調でお金の心配はない…でも余命は半年。
    それでも前向きに生きれる人もいるでしょうけど、健康であったならこの上なく幸せを感じることができます。

    AnonymousManさん自身、健康を損なっていると感じている中では、いろんなことを楽しめる余裕がないのだと思います。
    収入のこともあるので難しいと思いますが、仕事をセーブするだとか、精神面でも負担のある御家族と距離を置くようにするだとか、まずは体を立て直すところから始めてはどうでしょうか?
    心身ともに健康になったら、その時に生きがいなどを考えればいいと思います。

  • AnonymousMan

    > tanpopo 様

    まず、コメントありがとうございます。

    おっしゃっていただいた対策は、

    ・健康状態を改善する
    ・家族と距離を置く

    ですね。

    前者に関しては、かなりのところ、頑張ってはいます。
    時間に余裕がある状況(つまり、仕事がない)では、食事に運動にと、平均的な同世代より、遥かに努力をしているはずです。
    ただ、もともと虚弱な体質でもあり、年齢的な問題もあって、衰えるのもやむを得ない面もあります。

    もうすぐ四十になろうという年齢です。
    老化とともに、ますます体力は落ちていきますから、健康状態はこれからどんどん悪化していくでしょう。
    若い頃のような元気はもう、取り戻せないと思います。

    今はかろうじて、ものを考えたり、動いたり、働いたりできます。
    ちょうど今は、一ヶ月ほど仕事があいている期間(つまり、折悪しく収入が途絶えているわけですが)で、体を休めつつ、自前で仕事を作り出そうと、ちまちま動いているところです。
    だから、健康状態は比較的、悪くないのですが……。

    これがもっと健康になるのを待つ、というのは、現実的ではないと思っています。
    今より元気には、たぶん、なれないからです。

    いずれにせよ、私にはもう、時間がありません。
    今、今をなんとかできないなら、この先はもっと悲惨になるでしょう。

    家族と距離を置く……
    それは、そうしたいです。

    家族がいるから、自殺すらできません。
    というようなことを言えるということは、まだ自殺まで距離があるわけですけど。

    お金は、まぁ、しょうがないです。
    でも、とにかく、家族というのを意識しないで生きられれば、ストレスは大きく減るでしょう。
    家庭という強い力の働く環境に引き戻されると、私はまた、あの非常に卑屈な自分自身を思い出すでしょうから。
    まるで囚人にでもなったかのように振舞うようになるのです。

    それがわかっているなら、ですが……
    それだけに、距離を置くやり方が難しいです。
    離れて暮らすようにしていますが、それでも顔を合わせる機会があるので、それでまた、息が詰まるのです。
    かといって「来るな」といえば、それはそれで、恐ろしい騒ぎになりそうで、手が出せません。

    私は、反抗期もなかったくらいで、徹底的に服従を仕込まれました。
    理由なくぶたれても、文句どころか悲鳴一つあげないようになりました。
    それだけに、今でもなんとなく、家族がいるだけで不安や恐怖に縛られます。

    ……海外勤務のある会社にでも入って、島流しになればと思うくらいです。

    が、健康になって家族を始末しても、まだそれで終わりにはなりません。
    荷物がなくなっただけで、生きる理由ができたわけではないので。
    むしろ、「あー、楽になれる」と衝動的にビルからダイブできるようになるだけかな、と思っています。
    まぁ、それはそれで前進だと思うのですが。

    長生きなんて、しなくていいです。
    むしろ、死を忘れられるなら、死が明日やってきても構いません。
    本当の意味で心残りなものは、もう何もないのです。

    ただ……日々がつらいのと、あとは「恨めしい」だけですね。
    普段はフタをしていても、どこかで溜め込んだ憎悪が噴き出る気はします。

    健康の改善と、自由を手にするのは、状況改善の一手だと思いますが、
    それだけでは足りないと思います。
    できれば、もっと積極的な手段があれば、ご教示ください。
    お願い致します。

  • 恭子
    恭子
    ココトモメンバー

    こんばんは。AnonymousManさん。メンバーの恭子と申します。はじめまして、こんばんは。
    本文&コメントバックを読ませていただいてどうしても直接対話したくなってこうして書きこんでおります。
    私はAnonymousManさんよりもかなり年上の46歳で、育った家庭環境の影響か、伴侶を持つ・誰かの親になることをあえて避けて生きる事を選んだものです。私に『家族』はいらない、自分の、自分だけの人生を味わって終えたい。。とその一心で、二度と戻れないことを覚悟で4年悩んで37歳の時に戸籍も抜いてしまいました。が、その一大決心・選択を今も全く後悔していない、むしろよかったというところは伝えておきたいです。AnonymousManさんもそうしてきたように一子供として、親の扶養義務とかに対する恩返し的なところ。それってある程度で止めてあげることが両親にとっても「まともな人間」でいさせてあげられる最後のきっかけのような気がしてならないです。人は弱い。楽な方に流される。。だからこそ厳しく突き放せるとしたら血縁関係しかないのかもしれませんから。そして同時に、いずれ老いる子にもその先の人生の糧となるものを蓄積する必要があるのですもの。どこかで、なんとしても、親が子から搾取する流れを断つしかない場合もあるように個人的に強く考えるところです。
    何よりもAnonymousManさんはもう十分恩返ししてきたのではないでしょうか。。。もう、もう、本当に充分すぎるほど、やりつくしてきたように感じましたが。。。人は最低限、安寧の中生きるくらいの権利は誰しも有していますよ。誰かを、切り離さなければならない。。それがもし親であったなら、なおの事、子の未来の為に自力でどうにかすることが親の最期の務めなんじゃないかと詰め寄ってみたっていい気がします。辛辣なことを最後に申し上げますが、一部の親たちは時間経過と共に子の足かせにしかならない場合も実際多くあります。「搾取するだけの親」は他人事ではないと頭のどこかに置いておいてほしいです。何よりも大事なこと。それはAnonymousManさんがあなた自身の人生をまず始めることなのではないでしょうか。一気にそれは無理だとしても、少し筒でも手筈を整える行動を起こすことです。
    なんでしょう。。私は。。なんとしてもAnonymousManさんに生きる喜びを味わってほしいって思いました。

  • bosemm2
    bosemm2

    突然のコメント大変申し訳ございません。通りすがりで読ませて頂き
    キーボードを打たせて頂いています。
    愛するに足りるものが無い。と仰っていましたし、
    出来るだけ不幸を感じないで幸福を膨らませたいと言うお気持ち。
    自分はそれって健全じゃないのだろうか?と思いました。
    出来るだけ不幸を感じないでと書かれているからには、本当は凄く不幸な思いを強いられている中で
    凄く理性を持ってその険しい状況を打開しながら、処理しきれない重荷を背負ってこられたのかと
    僕は読んでいて感じました。それだけ色々な事柄があり、嫌気がさすほどの人間関係の中で
    出来るだけ不幸を感じないで幸福を膨らませたい。これって健全どころか、凄い切実な思いだと思います。

    そして愛するに足りるものが無いと言うのも、それだけ複雑な人間関係、様々な状況、場面を見てきて
    だけど働いて収入を得なければ生きてはいけない。と言う現実を知った中で
    簡単に愛するに足りる人、物、事柄、つまり心をゆることを行うって、ひとつ凄く心に大きな勇気や
    踏み出しを迫れる事でもあるのかなって思います。

    ただ、まずは愛する者は自分に向けてはいかがでしょうか?
    様々な中で折れずに、時に折れかけても、貴方を支えてきたのは、貴方です。それは誇るに値し
    周りの人がどんなにずる賢く生きようとも、どんなに見た目華やかに過ごして居ても
    どんなにスマートに物事やりこなしているように見えても、それよりもはるかに凄い事なんです。
    自尊心が無い。と仰いました。でも自尊心が無くても全然いいのです。自分も自尊心なんて
    無いですし、AnonymousManさんよりも緩い環境に居るのに折れてばかりの人間です。
    だからそれだけでもAnonymousManは凄いし、ガッツがあって、強いし、面倒見の良い人だと思います。
    けど、面倒みるのにも、周りに気を配るのも、頑張りすぎていませんか?
    自分を「ここまでよくやってるもんだよ、俺」って愚痴半分でも良いです。毒吐くくらいの気持ちでいいです。
    自分をまずほめてあげて頂きたいです。理性は現実を生きる上ではこれ以上に無いツールになります。
    けど、理性で抑え込んだ感情は、どんなに切り刻まれても、死にません。
    感情も自分そのものですから・・・。だから、シャウトしたい事はシャウトしちゃっていいのです。
    勿論相手にぶつけることに抵抗があるなら、その心、音で表してみませんか?
    もし読書でそんな自分の毒を吐いてくれる本があるなら、そこに感情を思いっきり入れ込んでみませんか?
    まずはご自分を大切に、それは高級な食べ物でも、良い生活でも無く、自分に素直な気持ちを
    時には解放してあげる。全然的外れで、何の役にも立たないコメントになってしまいましたが、
    お時間があれば、お試しを。また機会があったらコメントさせてくださいね。
    自分が溺れていては他人は助けられません。まずはご自分を大切に大切に。

  • AnonymousMan

    >恭子様

    親というのは、難しいものです。
    過去の自分の決断について、後悔している部分はあります。両親の離婚は自分が中学生の頃で、それから高校卒業まで、割と貧しい生活を送りました。
    しかし、高校の次は大学です。そして有名大学に合格するくらいの学力はありました。なら、上京すれば……もし、進学しないで地元で暮らしたら、まだ「ここにいなくてはいけない」。それは息苦しい、と本能的に感じていました。
    では、どうすれば進学できるか? 親の援助を受けることです。別居中の父親には家も土地も仕事もあり、お金がありました。援助を受けないという選択肢はない、と思ったのです。

    お金を受け取った。
    家庭を崩壊させた両親の元から、自分で独立しなかった。
    今思えば、筋道を通す機会は、中学二年生の夏にしか、なかったのです。
    誰の世話にもならずに生きれば、誰にも責任は負わずに済みます。
    でも、それをしなかった。

    だから、まぁ、お金が出て行くのは、しょうがないかな、と思ってはいます。
    寿命が縮まるような職種ですが、時間でお金は買えます。
    丸48時間も眠れないような過酷な労働にしても、過去の家庭生活に比べれば、ちょっとした徹夜イベントみたいなものです。
    もっともそれは、兄弟三人のうち、私一人だけが背負うものではないはずなんですが。

    相互理解はとうに捨てています。
    だから、接点を小さく小さくしようとは思うのですが……。
    この辺は、時間が経てば解決(!)する問題だと思ってはいます。

    しかし、問題は未来です。

    「私に『家族』はいらない、自分の、自分だけの人生を味わって終えたい」

    私は、少し意見が違うのです。
    もちろん、恭子様がそれを選択したことについては、何の問題もありません。

    自分だけの人生。
    でも、それ、私の場合、何があります?

    友人も、多くはありません。
    深い繋がりのある人はいません。
    このココトモで愚痴をこぼせば、メンバーの方々が、やさしいコメントをしてくださるでしょう。
    でも、手の届くところにはいません。
    つまり、今のところ、誰かの笑顔で私自身を照らし返すことは、できません。

    となると、今後、私が追求できる幸福感は、私自身の内部にしかないことになります。
    でも、何によって快楽を呼び起こせばいいのでしょう?

    肉体的な刺激は、限度があります。
    もともとお酒はあまり飲めませんし、胃も弱いので、美食にも限度があります。
    運動は苦手で嫌いですが、健康のためにやむを得ず、頑張っているといった感じです。
    ギャンブル、女遊び……好きな人なら、まぁ、ご自由になされればいい分野ですが、論外ですね。

    では趣味、とはいえ、のめりこめるほどのものはありません。
    今日も今日とて、パソコンの前に座り込み、JavaScriptだけで3Dをグリグリ動かすにはどうしたらいいか、ああでもない、こうでもないといじくりまわしてはいました。
    読書もしますから、本を読んではなるほど、と思います。
    でも、興奮はしません。
    しても、すぐ冷めます。
    我に返ってしまうのです。

    日々の苦痛を忘れさせてくれるほど、楽しいものなど、もうないのです。
    少なくとも、思いつきません。

    果たして、愛するに足るものがない世界で、これから体も衰えるばかりなのに、何を楽しみに生きていけるのでしょうか?
    恭子様は、どうやって「自分だけの人生」を楽しむ手段を見つけましたか?

    —————————————-
    >bosemm2様

    「まずは愛する者は自分に向けては」

    つまり、健全な自己愛をもってはどうか、というお話ですね。
    弱さや欠点も含め、自分を認めてあげては、と。

    前にカウンセラーとお話した時、自尊心には二種類あると言われました。
    根拠のあるものと、ないものです。
    そして、肝心なのは、後者だと。

    根拠ある自信は、努力で作れます。
    というより、ある程度は私にもあります。
    名前を言えば日本人なら誰でも知っている大学を卒業しましたし、平均以上の収入は得ていますし。
    また、立場は請負とはいえ、いろんな現場に出入りして、そこで働く人々の能力を目の当たりにすれば、自分がどの程度できて、できないかくらいなら、わかります。
    大企業の正社員の方々にしても、「なんだ、この程度か」(まぁ、大企業の皆様だからこそ、この程度だったりするのですが)というのが率直なところで、何が何でも彼らに勝たねばならないとなっても、まず力で劣るとは、微塵も思っていません。
    もちろん、自分で自分を天才だとか、特別有能だとも思ってはいませんが、少なくとも卑屈にならねばならないほど、無力ではないはずです。

    しかし、後者がないのです。
    どんなによく切れる刀も、剣術が廃れればただの刃物でしょう。
    せいぜいのところ、骨董品としての値打ちが認められれば、博物館の展示品にしてもらえるといった程度。
    人々は遠巻きに私をちらりと見て、すぐ去っていきます。
    刀が現役だった時代のように、自分自身に命を預けて握り締める剣士はいないのです。

    その値打ちは、まったく異質なものです。
    無銘の刀でも、戦場でそれを握り締める武士にとっては、何にも替えがたいものでしょう。

    「シャウトしたい事はシャウトしちゃっていい」

    そう思います。
    でも、わざわざ叫ぶまでもないのが、現状です。

    ほとんどの人間とは、そこまで深い接点がありません。

    —————————————-

    私は、自分自身を含む人の「価値」は、「意志」によっていると考えています。
    しかし、これを口にして、理解してもらえたことは、ほとんどありません。

    よくあるのが、「理性」と「衝動」みたいに、きれいに物事を切り分けて考えるパターンです。
    でも私は、「意志」とは、「環境」「肉体」といった要素を器とした中で、不規則に沸騰するお湯のようなものだと思っているのです。

    私達の意志は、決して自由にはなりません。
    生まれた場所、受けた教育、立場、肉体……
    意志は、本能と切り離された理性なんかではなく、それらと密接に結びついていて、いかにも不自由です。
    だいたいのところ、私達の意志らしきものは、平凡な結果しか生みません。
    おなかがすいたからご飯を食べたい、といったように。

    でも、ときとして、それらのランダムに生み出される気泡は、思いもしない何かを作り出すのです。
    鍋の中を水で満たし、下から火をかければ、水は沸騰します。
    それ自体は誰でも知っている、当たり前の反応ですが、どこにどんな風に気泡が生まれるかは、予測できません。
    私達の意志とは、そんなにも頼りないものですが、そこにしか、価値を見出せないのではないかと思うのです。

    意志によって選び取られた何かを得られなければ、きっと私は満足できない気がします。
    さもなければ、そのうちに憎悪や虚無感にとらわれてしまうでしょう。
    わかっていても、私はあまりに無力です。

  • bosemm2
    bosemm2

    こんにちは。本日はお仕事でしたか?それともお休みでしたか?
    投稿者さんの文章、凄く深く深く書かれていて、自分、本当に理解力無い物で(汗
    何度も何度も読み返してみました。昨夜の私の返答はお酒が入っていたこともあり
    だいぶ的外れでしたね(笑 申し訳ありませんでした。
    また改めて自己紹介もしておりませんでした、北海道に住んでる32歳になる男性会社員です。

    とにかく理解力が乏しい私なので、まだピントきてないというか理解できてない所だらけですが
    考え方が違ってもお互いの心の思う事を書き合う事は消して無駄ではないかなと思いコメントさせて
    いただきました。
    ご多忙化と存じますので、面倒でしたら返信して頂かなくてもかまいませんので^^

    ご無礼に値することは知っておりますが、それぞれ障壁になること、心としてつっかえること
    疑問になる事を一つずつフォーカスして投稿者の感情をお教えいただきたいです。
    気になるのは、環境的に面倒な事柄が多く、そして多忙、楽しめることが無い、愛情ある人との付き合いも
    背景にネガティブなイメージが見えてしまって、考え込んでしまう。
    とっても、色んな部分で起こる感情をどこか諦めで塗りつぶしてしまっているような。
    そういう雰囲気を感じてしまいます。もしそれがいつしか癖になっていったことなのか
    元々、家庭内暴力を目にしている中で生きる道としてそれを選ばざるおえなかったのか
    など、なにかご自分の感情の沸き方や抑え方、など思う所あったらお教えくださいませんか?

  • AnonymousMan

    >bosemm2様

    お酒……orz
    まあ、気を取り直しまして。

    「色んな部分で起こる感情をどこか諦めで塗りつぶしてしまっているような」

    では、略歴と、その時点での物の感じ方、記憶などを、あれこれ伏せた状態で書いていきます。
    お酒でも召されながら、笑いながら気楽にご覧ください。

    家庭内暴力が常態化した家に生まれ、育ちました。
    なので、子供の頃の記憶は、ほぼ「怖い」一色です。
    玄関の扉の開け閉めの音に、いちいちビクッと反応していました。
    また、封建的な価値観が強い環境でもあったので、「兄弟なら平等では」などといったところ「何をバカなことを」と言われたりする環境でした。
    はじめから、命には価値の高低があり、自分が生まれながらに低い側にあることを認めて育った、というところでしょうか。
    たとえば、親にからかわれて怒った時に「子供の癖に怒るとは何事だ」とひどく叱られたりしましたっけ。
    あと、中学にあがるまでは……ご存知です? 少年のお尻は、まるで少女のそれみたいなんですよ? あんまり書くと18禁になってしまうので省きますが、私が中学校に上がったあと、その手のはけ口をなくした父は不倫相手と旅行に出かけ、母にニューベッコウの安物のネックレスをプレゼントした、とだけ申し上げておきます。

    中学生だった時に、父方の祖母が病気で倒れまして、自宅で介護することになりました。
    それに合わせて、祖母一人のために家まで建て替えると父が言い出し、これに一家揃って反対したのですが、結果として日々、これまで以上に苛烈な暴力が繰り返されるようになりました。
    人間、慣れると激痛にも悲鳴をあげなくなります。もう、今は軟弱になったのか、無理になりましたけど。
    実際、泣き喚く余裕なんてなかったです。なんとか耐え切らないと、しのがないと、今度こそ両親が離婚するのではないか、という心配がありました。
    まあ、今考えれば、もっと早く離婚しておくべきだったのですが、当時は、それが最悪の事態だと思われていたのです。
    でも、父は母を入院するまで殴りますし、母も積年の恨みを、動けない祖母相手に晴らしていましたし、私は私で我が身かわいさに逃げ隠れするばかりでしたし……それでいて当時の自分が口にしていた言葉はというと「自分が我慢して頑張れば済むのなら」とかなんとか。我ながら失笑モノです。

    それから、必然的に母の元で生活することになりました。じゃないと、生存すら危ういのではないかと思っていたところもあります。
    大きなゴキブリがワンサカわく汚いアパートで、中学の半分と、高校時代いっぱいをすごしました。
    昼食はいつも決まってワカメ入りラー油カップラーメンです。今でもパッケージが目に浮かびます。
    最初は生活が本当に厳しくて、電気もガスも止まって、真っ暗な中で特売の卵だけ食べてすごしたりしましたね。もちろん、入浴なんてできません。
    そんな中で、兄の一人は道を踏み外しました。最初はシンナー、最後は覚醒剤。万引きの達人になりまして、私にもやり方を教えるほどになりました(実行にうつしたことはないですが)。結局、犯罪者まがいの連中と付き合うようになって、最後に見たのは拘置所です。
    もう一人の兄が、父親の援助を受けて大学にいったのを見まして、自分も進学するなら、この手を使うしかないと思いました。何より、当時の日本はまだまだ学歴偏重の社会でしたし、有名大学にいけるなら、進学しておいたほうがいいと思ったのです。それに何より、当時の私にとって魅力的だったのは「一人暮らしができる」こと。
    地方の大学じゃダメです、東京の、それも名の知れた学校にいくのなら、見栄っ張りの父もお金を喜んで出すでしょう。というわけで、目標を定めて半年(浪人してから、目標を決めたのです)、無事に東京の大学に合格しました。

    でも、いろいろ手遅れだったのかな、と今では思います。
    学力は勉強すれば身につきますが、健全な人付き合いの経験とか、情緒とかは、ちょっとやそっとではどうにもなりません。
    異様に低い自尊心と、服従に慣れた精神構造は、もうしっかり根を張っていました。
    当時の私を一言で言うと、「ピエロ」でしょうか。
    その場に一瞬のインパクトをもたらすことはあっても、誰かにとって、個人的に重要な役割を果たすことはありません。
    で、そんな当時の私にも、一応、彼女ができはしました。でも、同じくらい情緒がぶっ壊れている女の子で、小学生高学年の頃から、父親の玩具にされてたっぽい感じで。類は友を呼ぶ、でしょうか。
    半年くらい、付き合ったのか付き合ってないのか、今ではなんとも説明しにくい人間関係のあと、しばらくして彼女は新興宗教にハマり、キャバクラやヘルスで働き出し、しまいに精神を病んで、休学して故郷の病院に入りました。

    で、私は私で、割と頭がおかしいのですが、それでも若干の理性というか、「納得するまで考える」がモットーなのもあって、感情にただ飲み込まれるのをよしとせず、なぜ自分がこうなのか、突き止めようと思ったわけです。
    もともと本の虫でしたが、当時は読書に読書を重ねまして、ついにはお釈迦様の悟りとは何かを「体感」するところまでいきました(と自分では思いました)。
    しかし、同時に、人間関係はいいことが何一つなく、思えば当時から、「自分と本気で繋がれる人はいない」と思うようになりました。自分を受け入れてくれる人は決していない。それを思い知らされた時、人のために何かをする、ということがなくなりました。たとえば、音楽が趣味だったのですが、音楽というのは人に演奏してきかせるもの、人を喜ばせようとして何時間も努力するものですから、これはもう、意味がない。何度ももったいないと思って、演奏しようとはしたのですが、どうしてもダメでした。一応、音大受験くらいならできるレベルにまで練習していたんですけどね。

    とはいえ、そこは「悟りを開いた」わけですから、何ができるかは考えます。過去は過去、これからはこれから。幸い自分はまだ二十代前半、これから社会でバリバリ働くわけで、勉強することもたくさんある。やってみなければわからないことがたくさんあるじゃないか! ということで、これから伸びる分野と考えて、IT業界に入りました。
    お約束のブラック勤務が始まって、徹夜徹夜で仕事をしましたが、その辺、今思う限りでは、恨めしいことなど、ほとんどありません。仕事が大変なのは当たり前ですから、それに見合う報酬さえあれば、公平ではあります。第一、理由のない暴力が日々継続する状況に比べれば、過労死ラインの労働なんて、そよ風みたいなものです。
    ただ、知り合いに誘われて最初の会社を一年半でやめ、二社目も五年でダメになったのもあって、請負で開発をやるようになってからは、理不尽なことが増えましたね。法律の外側にいますから、脅迫、横領、情報漏洩、労働基準法違反の不当解雇(偽装派遣でした)など、一通りは味わいました。

    そういう労働状況なのもあり、また三十代後半という年齢にも差し掛かると、人付き合いは非常に希薄になります。
    もともと少ない友人はみんな遠ざかり、また久しぶりにあっても詐欺師になっていたり、大企業勤務が続いたせいか尊大な態度が皮膚から剥がれなくなっていたり、いろいろです。
    彼女ですか? 一時期、いました。でも、健全な情緒を持たない私に、やっぱり健全な女性はくっついてこないもので、当時の彼女は自尊心がゼロに近い状態でした。で、何年か付き合ったのですが、とにかく私の家族との折り合いが悪いのと、私が甘やかしたせいか、何かあるとすぐ半狂乱になるので、まともな話し合いができないのとで、結局、結婚までこぎつけられず、彼女から別れを切り出されました。

    加えて、親もまともに働けない年齢になってきますから、私としてはお金が欲しいわけです。それに、お金がなければ、女性も相手にしてくれませんからね。
    それに、自尊心をそろそろ取り戻したくもあり、そのためには何か成功を収める必要がありまして。
    過去に二度ほど、起業じみたことをしています。が、自分ひとりでできる範囲のことはいいのですが、この通りのキャラクターなもので、他人を使う段階で、いろいろトラブルが起きまして、結局、それらの試みは失敗に終わっています。
    懲りずに今、三度目をはじめつつあるのですが……これは、ほぼ一人で完結するものを考えています。ただ、これが成功しても、お金は手にできても、なんとなくですが、自尊心の回復には至らないでしょう。自分の好きな分野ではなく、稼げそうだからやる、という状況だからです。

    というわけで、無駄なことばかりしてこの年齢になりました。

    今の感情の動きとなりますと……。
    そうですね。夕方に近くの公園にいって、夜風を浴びてきたのですが、自分でわかるのは「リラックスしていない」ということです。
    頭の中にノイズが多すぎる。やるべきこと、問題がありすぎて、どうにも安心できていないのです。
    もっと勉強しなくては、もっと作業しなくては、という感じが抜けなくて、逆に「これやってると楽しいなぁ、時間を忘れるなぁ」とか「今のまま、順調だし、この調子で頑張れば将来は明るい」といった、着々とやっていけている感じというものがありません。
    「これでいいのだ」と言えない状態なんですね。だから、平衡を失っているかもしれません。

    ざっと申し上げてこんな感じですが、気がつかれた点などありましたら、宜しくお願い致します。

  • bosemm2
    bosemm2

    AnonymousManさん、ご返答ありがとうございました。お酒片手に安易に返信をしてしまったことも
    大変申し訳ありませんでした。

    家庭内の環境と言うのは本当に残酷なもので、子供は何の罪もなくてもその被害を浴びてしまいます。
    そして、AnonymousManも過酷な家庭環境の中で「自分が我慢をすれば」と当時思っていたと言う事は
    AnonymousManさんが本当に純粋に真っ直ぐな素直で優しいお子さんだったことは間違いないと思います。
    そして素直だったが故に、理不尽な格差のある兄弟間の問題も、様々な苦痛も、吐く場所を見つけらず
    どうにかご自分の中で処理をしてこようとされてきた幼少期であったのかなと私は感じました。

    私の幼少期もAnonymousManさんのように激しく暴力が行きかう家庭ではありませんでしたが、
    父は自営業で、借金まみれ、小学校へ登校する時間にも父はまだ布団で寝ていて
    学校を終えて友達の家から遊びに帰れば、すでに晩酌が始まっているような日々。
    夜中には階段から落ちるほど酒を飲んで、愚痴を言いながらブツブツと壁を殴る父。
    そんな経済的にも雰囲気的にも良い状況では無い中、母は一心不乱に仕事をし、家計を支えました。
    なので母は世の中で生きる事の厳しさを本当に知っているため、勉強が出来ない自分ではありましたが
    人にやさしくすること、人様の家でご飯を頂いたらお米一粒残さない事、他人に迷惑をかけない行動を
    常に胸に置くこと。など、今思い返しても辛い教育と言うか、教えの中育ちました。
    (勉強は全くできませんでしたが、勉強は出来ませんでしたが。大事な事なので2度言いました。)
    その後、私は高校生くらいで自分が同性愛者であると認識をして、それを親にカミングアウトして
    一時期また波が立って、父親とは心の溝が深まったりもしましたが、なんとかそれを今
    修復したいと思っています。

    そんな中でも僕もやっぱり幼少期は「自分が頑張れば家族は仲良くなる。きっと」と思って過ごしていました。
    言い換えれば「自分の育ちが悪いから皆機嫌が悪いんだ」そうも思っていたような気がします。

    けれど、子供の時の傷って、分度器の1度の線のようで、時間がたつほど自分の心のズレを目立たせてきました。
    子供の時には気にならなかったことでさえ、自尊心を失うようになりました。結果、今も仕事で悩みを抱えて
    ココのサイトにたどり着いたわけですが、このようにお話しをお伺い出来て大変に光栄に思います。

    私はAnonymousManさんのように苦境の中で真っ直ぐを保ってこれた人間ではありません。
    AnonymousManさんのご兄弟の状況に近い「薬物依存の手前まで」道をズレたりしたこともありました。
    本当に汚点だらけです。ただ、薬物に依存しても、全て忘れることも、ずっと興奮が続く事も、ありませんでした。
    薬物は、どうにも逃げ場のない心に、幻の逃げ場を数時間見せてくれるだけで、時間がたてば辛い現実はなにも変わらずにありました。
    そして、薬物を使って心が惑わされている時間でも、やっぱり嫌な自分は消えてくれなかったです。これは本当です。

    話がそれました。申し訳ありません。
    お仕事の事ですが、どうしても稼げそうだから、そちらをやる。と言うお仕事の選択肢しか選ばなければいけませんか?
    親御さんのためにもお金が必要と言うのも本当に理解は出来ます。
    ただ、そこの負担を何か制度や利用できる公共のサービスなどを利用してAnonymousManさん自身の負担を
    少しずつ減らせる道はないでしょうか?そこもこういった共有の場で考えていけたらと思います。
    女性とお付き合いするのに所得が必要と言うのもご尤もですが、そのお仕事をしている時の表情が
    充実した笑顔でいられるか、いられないか、の方が、私は女性が心許す大きな入り口ではないかとも思います。

    夜風に吹かれてもリラックス出来ていない。やらなければいけないことが多いと言うのは安心できないですよね。
    AnonymousManさんの真面目さが、まだやる事あるのに、ボケーっとリラックスすることを許せないって所もあるのでしょうか。
    でも、頭の中のノイズがとにかく多いときって何となくですが、僕もあって、少しわかる部分があります。
    そういう時に僕は少しでも良いのでマインドフルネス(宗教的とかそういう観点を抜いた瞑想)の時間を作るようにしています。
    知識が大変豊富なAnonymousManさんは、そんなの知ってる!って言うくらいに既にご存じかもしれませんが
    意外とこの瞑想、少しでもやったあと、スーッと頭のノイズが減ってきます。もしお時間があれば、お試しを。

    また、長々と、建設的にならない話になってしまい申し訳ありませんでした。

  • 恭子
    恭子
    ココトモメンバー

    AnonymousManさん。コメントバックありがとうございました、なのにレス遅くなってゴメンなさい。
    どうやって「自分だけの人生」を楽しむ手段を見つけたか?という問いですが制限のあった子供時代を経験していると見つけるのってそんなに難しくないように思うんですよね。忘れているようだけれど、子供時代、純粋な興奮ってたくさんあったと思うのです。えてして大人というのは情報だけで知った気になってるもんですし、それ以前に辛辣なこといっちゃえば感覚の劣化のよってそうそう熱狂なんてね、簡単に起こるもんではないと思っています。そうですね、個人的には興奮にとって「理性」なんて一番の邪魔者なんではないかしら?なんて感じます。ではあるのですが、なぜか、大昔楽しくてもっともっとと思ったこと、そういうのって大人になっても度合いとしてはそんな変わらないみたいです。私は2歳の時に家を脱走して大騒ぎになりかけたんですけども、その時の解放感とか見た夏の海のキラキラした風景とかうれしかった気持ちがこの歳になっても廃れないで脳裏に焼き付いています。今でも見知らぬ場所へ行く計画をたてることが生涯自分だけの喜びのベースって感じていたりします。なんせ行きたいのに行けてない地球上の場所はまだまだかなり残っていますもの。でもこれは私の人生の中のごく一部、生きてる間に実現したいことが人3倍はあるかもしれません。願わくば全部やりつくして逝きたいので、この体力・知力のまま100歳くらいまで時間がほしいって最近考えることもあります、筋金いりの希死念慮もちのくせにです(笑)。そういう生き方を選んでしまったので家族って持てないなあっと。こんな、年数回ふらっと一人で旅に出ちゃう母なんかもったら家族が可哀想じゃないですか?という考えの元で生涯単身を選んだわけでございます。たぶんちっとも参考にならないお話をしてしまいましたね、失礼いたしました。AnonymousManさんには何かそういう強烈な熱狂の記憶。。。ありませんか?ひとつも。

  • AnonymousMan

    コメントくださり、ありがとうございます。

    > bosemm2様

    お酒の件は、まったく気にしていませんよ^^
    むしろ、楽しみのために適度にたしなまれてはと。
    私はほとんど飲めないので、その楽しみを味わえないのですが……。

    > 「自分が我慢をすれば」と当時思っていたと言う事は
    > 本当に純粋に真っ直ぐな素直で優しいお子さんだった

    いいえ。
    自虐的とか、自分に厳しいとか、そういうことではなく。
    では、今、眼前にある問題のために、私が何をしてきたか?

    母が入院するまで暴力を受けた時、私も重傷を負うまで、それをとめようとしたか(ただ、この件については、血を流して放り出される場面になって、ようやく駆けつけたので、どっちにせよ、介入できなかったのですが……他の場面でも、積極的に暴力を防いできたわけではありませんでした)?
    その母が、祖母に鬱憤晴らしをしていると知って、とめようとしたか(祖母は脳梗塞で、言語障害が出ていました)?

    自分を傷つけずに済むところで逃げ回っていたのです。
    それに罪悪感があるかといわれれば、ひどい言い方に聞こえるかもしれませんが、ありません。
    自分を守るのが第一です。
    しかし同時に、犠牲者面をするのもどうかと……
    いえ、確かにその状況を積極的に作ったのは私ではないのですが、事実上、追認していたわけでもありますから。

    ある意味、私も暴力の参加者だったのです。
    良くも悪くも。

    しかし……
    大変なご経歴ですね。

    > 酒を飲んで、愚痴を言いながらブツブツと壁を殴る父

    シラフで、絶叫しながら人を殴る父と、どっちがいいですか?
    なんて皮肉な笑いが浮かびます。
    当事者としては、たまったものではなかったでしょう。

    ですが、

    > 母は一心不乱に仕事をし、家計を支えました

    心も支えたのでしょう。

    この年になってつくづく思うのですが、親が尊敬できるというのは、財産ですよ。
    学歴でも能力でも財産でもなく、どう生きたか。

    後になってから、父の不倫について知ったりとか、その元不倫相手の不幸をあざけったりとか、いろいろあると、ガクッときます。
    なんて下品なんだろう、と。

    > 自分が同性愛者であると認識をして

    日本はいろんな意味でマイノリティに厳しい社会ですから、これは大変なことだったでしょう。

    > 薬物を使って心が惑わされている時間でも

    あー、つかっちゃったんですね……
    私は、薬物はもちろん、酒も煙草もやらない、というか、体が受け付けませんので。
    ただ、何かにおぼれたい気持ちはわかります。

    > 負担を少しずつ減らせる道はないでしょうか?

    お金ももちろん、小さくない問題です。
    ただ、これについては、悩んではいません。
    稼ぐか、無理なら生活保護を考えるか、それくらいしかないからです。
    できることをして、できなければ諦める。
    だから、迷いはないのです。

    ただ、私が余程のお金を稼がないと……
    嫁姑の仲が悪いのは、どこの世界も同じでしょう。
    たとえ今の年収が倍になっても、私が母に送金すれば、妻となる女性は、きっといい顔をしないと思います。
    何より、そういう案件を抱えているというだけで、妻になる前に逃げていくかと……。

    > そのお仕事をしている時の表情が充実した笑顔でいられるか

    業務自体は嫌いではないのです。
    ただ、仕事にかかわるどこかで、必ず理不尽に出会います。
    法律の外にいるのと同じで、本当になんでもありですから。

    独立起業して、安定してやっていけるようにでもなれば、また話が違ってくるのでしょうが……
    これも簡単ではありませんから。

    頭の中のノイズの件ですが、一日をなるべく充実させると、少し楽になりました。
    とにかく、ずっと仕事をして、何がしか結果を出せれば。

    > 恭子様

    コメントありがとうございます。
    自分だけの人生をどう見つけたか、のお話ですね。
    お待ちしておりました。

    > 大昔楽しくてもっともっとと思ったこと、そういうのって大人になっても度合いとしてはそんな変わらないみたい

    私の場合は、そうでもありません。
    体力の衰えが、制約になってきています。

    > 今でも見知らぬ場所へ行く計画をたてることが

    海外旅行は、私も好きでした。
    これまで、二十カ国くらいは回りました。
    東南アジア、インド、ヨーロッパ、南北アメリカ……イスラム圏は一カ国しか見ていませんが。
    あとは中華圏とアフリカですね。

    もちろん、未知の国に出かけるのは、大きな楽しみです。
    言葉が通じない場合が大半で、英語で何とかなることもあれば、現地語しか通じない場面もありました。
    その緊張感のある状況は、もちろん好きでしたし、今でも好きです。
    何より、自分の手元にあるのはミニマムな荷物で、状況とミッションは常に切り替わっていくのです。
    感覚が鋭敏になり、だいたい旅行から帰る直前くらいになると、言葉自体が通じなくても、相手が何を言っているか、わかるようになります。
    ついでに、英語の語順で考えたり、喋ったりするようにもなります。

    が、体力がついていきません。
    恭子様は46歳とのこと、自由に旅行できる時間は、あとどれほどでしょう?
    三十代後半の私にして、もうかなりの衰えを感じています。

    それに……
    歴史にも興味があって、旅行先ではそれを確かめにいくような面もあるわけですが、かなりのところ、見終わってしまいました。
    自分の楽しみとしては、もう充分かなぁ、と思いつつあるのです。

    > 願わくば全部やりつくして逝きたいので、この体力・知力のまま100歳くらいまで時間がほしいって

    うらやましい話です。
    私はもう、おなかいっぱいです。

    というより、自分の目の前のお皿に、これ以上料理を積まれても、あまり食べられないのです。
    もし、今、ジャンボ宝くじにあたっても、私が買うものは、そんなにはありません。
    家も欲しくはないし、車もいりません。
    お酒? ギャンブル? 女遊び? やりたければやってもいいですが、まずのめりこめないでしょう。
    海外旅行には、行くかも知れません。
    行き残した数箇所を回って、それで終わりです。
    働かずに済むのが、最大の幸福かもしれませんが、何もやることがないとなると……。

    正直、次に海外旅行にいくとしても、一人で行きたいか、疑問です。
    いろんな思い出があるわけですが、それを一人で消化して……
    一度行った場所には、余程でなければ、もう一度は行きませんから、つまりある意味、ここに誰かとの思い出を作りにくることはもう、できないんだな、と思い知るわけですし。

    思うに(これは性差別の意図があるわけではありませんが)、今まで出会った多くの女性は、自分で自分を愛せる方が多かったです。
    確かに、いろんなことを考えると、女性というのはそれ自身、ひとつの「ゴール」のようなものなのかな、と思います。
    でも、残念ながら私は男性で、人生を自己完結させられる気がしないのです。
    限りある自分の肉体の感じる、か細い快楽だけでは、有意義な人生を過ごせるとは思えないのです。

    意味のあることをしたい。
    それと、胸の中にある、からっぽな部分を、可能であればですが、埋めたい。

    という感じなのですが、いかがでしょうか?

  • 恭子
    恭子
    ココトモメンバー

    AnonymousManさん。こんばんは。

    「私はもう、おなかいっぱいです」といいながら「胸の中にある、からっぽな部分を埋めたい。」とおっしゃるのね。。。フクザツ極まりない心境ですね。女性に関するいくつかの見解もっていらっしゃるようですが、あながち間違っていない気がします。たぶん。ええ。誰かの登場を待ってると無駄に年を取るだけ、時間を浪費するだけだと途中で気づいちゃうからですかねえ。女性が加齢と共に強靭化していくプロセス、とてもよくわかります(笑)そうは言いながら、一人に決してならないよう人間関係を途切れさせない工夫をするマメさや、いい人材を見つけたら接触する狡猾さも持ち合わせている。。と思うので一部の女性はあまり自分を偽ってまで、ぼっち老後回避の為に何かしようとはしなくなってきてるかもしれないですね。実際いざという時体張って何か行動をするのや頼りになるのは女性、てとこはAnonymousManさんもよくご存知かも。あ、失礼。余計な事を云いました。

    AnonymousManさん。あのですね。これまでをざーっと読んできてちょっとした疑問がわきおこってしまいました。良かったらお答えを聞きたいです。もし不愉快なお気持ちにさせてしまったら申し訳ございません。先に謝罪しておきます。

    その1.おなかいっぱいになったといいながら、空っぽって結局どうしたいのですか?なんだかとっても矛盾してますよね、どっちなのか、それともどっちでもなかったりするのか。あと前者と後者(いっぱいとからっぽ)は同じ、もしくは別個の要素を指して言ってるのでしょうか?ぜひ分かるような説明をおききしたいです、率直にどうしたいだろう?って感じました。

    その2.他の方へのコメントもちょっと拝見しましたけど、二十代で不動の悟りを開いたかのようなことおっしゃってたとお見受けしましたが、今AnonymousManさんは人生の5割に手の届きそうな三十代の終盤にきて、なぜゆえ空虚感におもいきり翻弄されているのですか?それが健全な自尊心がないからということなのでしょうか。私ね、悟りってこれまで、人間が生あるゆえの四苦八苦をやむなしと受け入れることで生きる苦悩から解放されることかと認識してたのでなんとなく??って思ってしまいました。私の解釈違いでしたら申し訳ありません。またAnonymousManさんがどうにかしたいのは 求不得苦(ぐふとくく)というよりも体力の衰えによる 老 それによる消沈を救う何かを知りたいということなのですかね。。?

    その3.からっぽな部分を、可能であればですが、埋めたい。とありましたが、可能じゃないと分かった時どうするおつもりですか?諦める?それとも可能な方法を探し続けますか?

  • AnonymousMan

    なるほど……では、お答えさせていただきます。
    どうしても言葉足らずになるのは、仕方がないです。

    > 女性が加齢と共に強靭化していくプロセス

    この辺については、長い長い持論があるのですが、今回は大幅に省略します。
    精神的な点でいうと、生まれつき、平均的にみて、女性は「強さ」に優れる一方、「愛情」については薄くなりがちな特徴をもっているのかな、と思っています。
    ごく若い頃、モテる男性から「女性に優しさを求めるなんて、アホやで!」と言われたことがあります。
    一概にそうとは決め付けられないとは思いますが、一理はあるかな、と。

    > その1.おなかいっぱいになったといいながら、空っぽって結局どうしたいのですか?

    快楽を積み重ねたいのではなく、苦痛をなくしたいのです。
    これ以上、自分のために、贅沢をしたい、という気持ちにはなれません。
    しかし、日々、目が覚めてから、寝る時に意識がなくなるまで、なんらかの苦痛は必ず存在します。

    > その2.他の方へのコメントもちょっと拝見しましたけど、二十代で不動の悟りを開いたかのようなこと

    仏教における悟りって、たいしたものではないという解釈です。
    現に、お釈迦様の有名な弟子の一人も、サックリと自殺していますよね。
    仏教の一派の中には、悟りに「堕ちる」ことを戒めるものさえあったのです。

    禅のお話にこういうのがあります。
    師匠と弟子の二人組の僧侶が川岸にたどりついてみると、そこに一人の女性がいて、川を渡れず困っていました。
    すると師匠は「向こうに渡して差し上げましょう」といい、彼女を抱き上げて、自身は足を濡らして川を渡りました。
    しかし、仏僧にとっては、女性に触れるなど戒律違反もいいところ。
    それで弟子は、ずっと悶々として、それからやっと師匠に質問したのです。

    「なぜあなたは、さっきの女性に触れたのですか?」

    すると師匠は答えました。

    「お前はまだ、あの女性を抱いていたのか」

    また、道を誤って狐に変じた元僧侶のお話もあります。
    正しい答えを述べるまで、呪いから解放されない、ということで、ずっと人間に戻れないで、成仏できずにいました。

    「悟りを得たものは、道を誤らない」

    と答えて、その姿になったのです。
    で、ある時、高僧からこう言われました。

    「悟りを得たものは、誤りに留まらない」

    それで成仏した、といいます(この辺はうろ覚えですが)。

    物と物との区別がない「認識」とか、何もかもが苦しみであること、それらに原因があるのなら、それを解決すればいいこと。
    理屈として難しいものは、本来、何もないですし、そんなに高尚なものでもないと思います。
    別に、それがわかったからといって、不死身の肉体を得るわけでもないですし、何物にも動じない、鋼鉄の精神を得られるわけでもありません。
    ただ、ちょっとだけ効率的になります。

    具体的には、実体を持たない執着からは自由になれます。
    でも、実体を伴う苦痛はなくなりません。
    なくしたければ、死ぬのを待つしかありません。

    > なぜゆえ空虚感におもいきり翻弄されている

    毎日、目覚めると、苦の始まりを感じます。
    意識がなくなるまで、この苦しみは続きます。
    それも、毎日毎日、死ぬまでこれは、悪化していくだけです。

    すべては苦しみだと、それは事実でしょう。
    それに原因があるのもそうです。
    しかし、原因はかつての結果であり、それらの原因にも原因が……
    遡れば、そこにあるのは、自分が牢獄の中にいるという事実です。

    仏教的にいえば、欲を消すというより、執着を消すべし、ということなのでしょうが。
    しかし同時に、欲やそれに伴う苦痛は、本来、どうしようもない、ということでもあります。
    どうあがこうとも、生きていれば、本能的な感情は生じてくるからです。

    悟りを開いたお釈迦様といえども、日々何かを食べずにはいなかったし、睡眠も必要でしたし、最後の下痢は苦しかったでしょう。
    現に、病気に苦しむ信者には、その自殺に罪はないと言ってあげたりもしています。
    悟りは何も、無敵になれるスペシャルチケットではないのです、私の知る限り。

    般若心経を読まれたことはおありでしょうか?
    はじめて写経して中身をちゃんと読んだ時には、アホかと思ったんですね。
    確かに宇宙スケールでみれば、人間なんてチリ同然です。
    でも、だからって今ある自分自身の苦しみがどうでもいいなんてことにはなりませんから。
    ただの字面だけでは、何の救いにもならないものだと思います。

    > 生きる苦悩から解放されること

    涅槃に行けば、つまり死ねば解放されます。
    正確にいうと、生まれ変わりを信じる立場で言えば、輪廻から抜け出れば。
    私は、それは信じていないので(古代インドの基本的な考え方なので)、死ねば終わります。

    意地悪な言い方をすると、お釈迦様でさえ、現世にあるうちは、苦しみから解放されてなどいなかったわけです。

    > 健全な自尊心がないから

    肉体と精神をわけることはできません。
    自尊心というのは、集団で生きる動物の本能だと思います。

    高い自尊心は、集団内の高い地位にあることで得られますし、それがまた、彼らの生存に大きく関わります。
    犬を見ればわかると思いますが、序列の高い個体ほど、優先的に餌を食べ、交尾します。
    よって、それが得られない個体は、ストレスを感じ、苦しむようにできています。

    たとえば、自殺遺伝子なんかは、あれは私はあって当たり前のものだと思っています。
    集団内の地位低下に伴って、自殺したくなるスイッチが作動するんですが、かつての飢餓状態にあった人類にとっては、役立つ装置だったわけです。
    群れの中で奪い合うより、低い地位にあるものから、勝手に死んでいってくれるので、無用な競争によるコストを削減できたわけですね。

    人間もサルの仲間で、群れて生活しますので、似たような仕組みの中にあります。
    この点、集団における価値を承認されるという点では、男女それぞれに必要性があるのですが、やや質が異なるものと認識しています。

    私の思うに、男性は「自己完結できない」ものなのです。
    それはたとえば、誰かに子供を生んでもらうという形かもしれないし、
    或いはまた、宮本武蔵みたいに、自分の剣術の後継者を探すという形になるかもしれませんが、
    自分で自分をゴールには設定できない苦しみがあるのです。

    意味のあることをしたい、裏を返すと、そうでなければ無意味であるという苦しみがある。
    でも、私は、たとえば宮本武蔵ではないので、この手に剣の道があるわけではありません。
    また、家庭や職場など、自分の価値を保証するものをもちません。
    それが最初に述べたところの、

    「愛するに足るものがありません。また、健全な自尊心がありません」

    というところに繋がってくるわけです。
    ご理解いただけるでしょうか?

    もちろん、私が有意義な何かを得たからといって、苦しみはなくならないでしょう。
    愛情ある家庭を持ったとすれば、今度は妻や子供をなんとか守っていく苦労が待っています。
    崇高な使命を得たとなれば、そのために日々、努力を重ねなければなりません。

    ただ、その「苦」は、合理的解決に落とし込めるものです。
    つまり、黙って座って痛みに耐えるのではなく、あくまで行動して、よりよい結果ににじり寄ることができるのです。
    縛り上げられた状態でただ首を斬られるのか、全力で戦って死ぬのかの違いですね。
    私は後者がいいです。

    よりよく生きたい。
    つまり、よりよく死にたい。

    これは、そういうご相談です。
    長文ですが、ここまで目を通してくださり、ありがとうございました。

  • bosemm2
    bosemm2

    こんばんは、本日はいかがお過ごしでしたか。
    すっごくコメントについて、色々考えました。恭子さんへの返答も拝見させて頂きながら。
    理解力が本当に乏しい、自分としては、本当に「自分て頭わりーぃ!」と髪の毛グシャグシャ
    しながら、何度か読み返しました。

    ただ、理解力無さ過ぎて至った答えは。
    今までAnonymousManさんは、色々な書籍や仏教の書、自問自答や動物的にみた人間とは
    心とは、環境とは、それでも何故苦を伴うのか、などなど、相当色々調べて考えたけど。
    とにかく、楽になるって、わからねえええ!って事でしょうか(笑
    ざっくばらんすぎてごめんなさい。ただ、僕は複雑な表現を使うほど、色んな事にフォーカスが
    定まらず、つまり何が今!解決したいのだろうか!と言う事が曖昧になってしまいまして(汗
    よりよく生きたい。つまり、よりよく死にたい。と言う事がメインだとするなら
    僕が今まで生きて感じた中で大切だと思うのは自分が無駄と思える事でも人と交わる事だと思います。
    そしてその人との会話の中で「自分こういう考え良く分からないんです」とか、いっぱい話す事だと
    思います。苦しみは消えなくとも共有することで、一緒に歩むことは出来ます。
    そして感情は木の幹のような物じゃないかと僕は思うのですが、大きく楽しみを持ってる、快楽を知ってる
    人程、誰から見ても見えない土の下、木の根のように、同じくらい大きい悲しみと苦しみも持っていると思うのです。
    なので苦痛を取り除けば除くほど、きっと快楽や楽しみと言う物も希薄になってくると思います。
    どんどん平凡になると言えば聞こえが良いかもですが、どんどん何も感じなくなるって事じゃないかと。
    良く生き、良く死ぬと言う事は、やはり他人へどれだけ自分の心を与えられた人であるか?
    自分をどれだけ深く労われた人であるか?
    そういう部分が重要かなぁと自分は今まで色々悩みつつも感じてきたことでした。

  • 匿名

    この際、信仰をすればいいと思います。哲学を学ぶことが最終手段のように感じます。私は創価学会の女子部でまだ28ですが、あなたと同じ年代の方も楽しく活動されて幸せになっています。
    自分で自分を幸福にしてあげないとです。自分を幸せにする役割(薬)が力のある宗教であり哲学です。

  • AnonymousMan

    コメントありがとうございます。

    > bosemm2様

    本日はいかが、ということですが……
    私の身分は、不安定な請負なもので、今は事実上のニートです。
    八月半ばに仕事が決まりかけたのですが(ぜひ来て欲しいとその場で言われた)、具体的にどんな技術で仕事をするのか、詳細説明をお願いします、と言ったら……
    三日間待たされて、何の音沙汰もないまま、別の人に決められてしまっていました。
    割と日常的にコケにされてます。

    > 楽になるって、わからねえええ!

    まったくわからないわけではないです。
    もっともシンプルな手段は、自殺です。
    死ぬ瞬間の苦痛と恐怖以外、何も支払わずに済みます。

    それはひどい? いえいえ。
    そもそも、自殺が「悪」とされているのは、ユーラシア大陸(日本も含む)など、戦闘的な文化を持つ地域だけですからね(世界の大部分の人口を占めますが)。
    ポリネシアの島々とか、アマゾンの奥地なんかだと、自殺に寛容な文化があったりします。
    そういう地域の人々は、定期的な自殺が、資源戦争なしの人口調整に役立つのもあって、たまに(行く当てのない)「冒険航海」に出かけたり、首からぶら下がったりしてます。
    環境の許容量が小さくて、外部の集団との闘争で富を増やせない状況では、そういう道徳ができるものなんですよね。

    それはそうと、

    > つまり何が今!解決したいのだろうか!と言う事が曖昧になってしまいまして(汗

    私の相談内容がよくわからない、と。
    そうおっしゃっていますか?

    > よりよく生きたい。つまり、よりよく死にたい。と言う事がメインだとするなら
    > 自分が無駄と思える事でも人と交わる事だ

    ふむふむ……
    お話は後にまとめることにして先へ。

    > 感情は木の幹のような物じゃないかと
    > 苦痛を取り除けば除くほど、きっと快楽や楽しみと言う物も希薄になってくる

    つまり、それが死んでいる、ということですね。
    よりよく生きて、よりよく死にたいのであれば、くたびれる仕事をして、ガッツリ給料をたくさん受け取ればいいことになります。
    逆に、苦痛をゼロに、快楽もゼロに、というのなら、文字通り、命を絶てばいいわけです。
    けれども、それは私が問題としていることではありません。

    人生、そんなに公平にできていません。
    支払った苦痛の分だけ、幸福が戻ってくるわけではなく。
    強制的に苦痛税を徴収されるのに、幸福の還付を受けられないことのほうが、多いのです。

    欲をいえば、最小の苦痛の支払いで、最大の幸福をリターンできる方法を、と言いたいところですが、そこまでテクニカルなことは、さすがに求めていません。

    で、

    > 良く生き、良く死ぬと言う事は、やはり他人へどれだけ自分の心を与えられた人であるか?

    これは、とても難しいことです。
    結局のところ、人の価値、人生の価値となってくると、突き詰めればそれ自体は無価値。
    でも、そこに「意志」が伴うことで、意味が出てくると思うのです、既に述べましたが。

    考えてみてください。
    たとえば、ディ○ニーランドなんかに行って、何か生産的な意味がありますか?
    温泉旅行でもいいですが。

    それ自体、たいした中身なんかないですよ。
    だって、ディ○ニーキャラクターが好きなら、テレビをつければ会えます。
    お湯に入りたければ、自宅の湯船に浸かればいいのです。
    自分を忘れるには、こんな程度の刺激では、ぜんぜん足りません。

    でも、ここで仮に、一緒に旅行にいく友人とか、家族とかがいれば、話が違ってくるわけですよね。
    ただ、ここで問題です。

    そこに、私の心は介在するか?

    成田離婚するカップルに多く見られるパターンで、海外旅行中に大喧嘩して別れる場合、男性は途中で帰国し、女性は最後まで一人で観光を済ませる、なんていうのを聞いたことがあります。
    私は、帰国する派ですね。
    どんなものであれ、その場のコンテンツは、相手を喜ばせたいという「意志」に沿った道具ですから、それがなくなれば、もう意味がないわけです。
    でも、それは相手も同じような意志をもっているか、そこにかかっています。

    私があれこれ頑張って幸せにしようとする一方で、たとえば妻に相当する人がいたとして、彼女がずーっと遠くのほうを見ていて、私に注意を払っていなかったら?
    相手にとっての自分が「目的」ではなく、「手段」であると悟った時点で、その人は妻ではなく、間違って家に連れ込んだ娼婦と同じになります。

    で。
    私の心はどうも、与えにくい性質を持っているようなのです。
    私の言葉自体は、割と正しい日本語でもあり、そんなに変な表現はしていないはずなのですが、bosemm2様自体、

    > 理解力が本当に乏しい、自分としては、本当に「自分て頭わりーぃ!」と髪の毛グシャグシャしながら、何度か読み返しました。

    ……頭をかきむしっておいでです。

    明らかに感情の回路とかが、世間の正常範囲から外れつつあるのは、自覚しています。
    文字通り、語源通りにエキセントリックになってきているわけですね。

    しかし、私と同じ世界で生きられる人は、どうもほとんどいないようなのです。
    同じ、といっても、まったく同じ価値観を持つことを強要するつもりはありません。
    ただ、まるで理解できる範囲にないらしく……

    宇宙人みたいなものらしいです。
    普通のことを言ってるつもりなんですけど、どうにもズレるんですよねぇ……。

    まぁ、なるべくわかりやすく、あれこれ細部をはしょって書きます。

    私は、他人を幸せにしたいとは思うのです。
    もちろん、他人の幸せが自分の幸せといえるほど利他的な立派な人ではないですが、自分の幸福に限度がある以上、そうするしかないのです。
    少なくとも、なんらかのインパクトを与えること(これは普通の人間にもある、一般的な感情ですが……好意が得られないなら、悪意でもないよりはマシ)が必要です。
    でも、私からみて、わざわざ幸せにする値打ちがあるような人間は、いません。
    あるのは、わずらわしい義務と責任、重苦しい、痛みだらけの体だけです。
    人生続けるのも面倒なのですが、何か、いい仕事(収入のための、じゃなくて、人生のための)、ありますか?

    ということです。
    わかりにくかったら、すみません。

    > cocotomolove様

    はじめまして。
    コメントありがとうござい……

    > 信仰をすればいいと思います

    ヒョエッ!?

    > 哲学を学ぶことが最終手段のように感じます

    仏教もキリスト教もイスラム教も、そうしたメジャーな宗教以外の、それこそ少数民族とかの生活習慣や宇宙観にも、それなりには通じているつもりです。
    なので、自分なりには勉強してきたつもりですが、あとは何を学んだら……

    > 私は創価学会の女子部でまだ28ですが

    アフッ……。

    先日、「ものみの塔」の布教活動で、二人組が家まで来たんですよ。
    忙しかったので、パンフレットだけもらって、すぐに帰ってもらったのですが、追い返してから、少し後悔しました。

    布教に来た女性、結構、おしとやかそうな感じだったんですよね。
    きっちりスーツを着込んで、清楚そうな印象で。

    一言、尋ねておけばよかったです。

    「神様に仕えれば、優しいお姉さんと仲良くできますか?」

    さて。

    創価学会の方ですか。
    そうか、ガッカリだ!
    ……言ってみたかっただけです、ごめんなさいorz

    世の中には、「創価」というだけで「アレはダメだ」という人もいます。
    実際、前に東京都の大田区に暮らしていた時には、近所に住んでいた時計屋のお爺さんが、その布教活動の乱暴さを語ってくれました。
    主人を出せ、じゃないと俺達は帰らない、と家に座り込みされて、仕方なく押入れに閉じこもっていたり(その間、ずっと奥さんを盾にしていたそうです)とか、大変だったらしいです。
    大学時代にも、同じサークルのとある男性が、やはり創価学会の方々に数時間も捕まって、トイレにも行かせてもらえず、無理やり説法を聞かされたとか、言ってました。

    が、その辺の問題は、とりあえず脇に置きましょう。
    では、この辺から、少し真面目に。

    結論だけ申し上げると、私は創価学会にそこまで興味がありません。
    信心することはないでしょう。
    もし、私の苦しみに付け込んで布教することだけが目的であれば、お引取りください。
    そうではなく、一人の人間として寄り添おうとしたのであれば、乱暴な言い方は謝罪します。

    一応ですが、理由を詳しく。
    日蓮宗の流れを汲む創価学会ですが、多少は教義を存じ上げております。
    まず、釈尊の最後の説法を是とする考え方ですね。

    その前に、前提となるお話を。
    ご存知かもしれませんが……
    仏陀は苦行の後にこれをやめ、スジャータからミルク粥をもらい、その後瞑想して、悟りを開きました。
    それから人生二度目の説法(一度目は、アージーヴィカ教徒を相手にしたのですが、フラレてしまったので、黒歴史として封印されてますよね)にて、五人の弟子を目覚めさせました。

    この時、五人の阿羅漢は、こう述べています(原始仏典の和訳によると……数年前に読んだきりですが)。

    「これ(今の人生)が我々の最後の生存である」

    どういうことかといいますと、古代インドにおいては、生まれ変わりが常識でした。
    しかし、生まれ変わるとまた人生が待っています。
    人間の、それもまともなジャーティに生まれればまだいいですが、シュードラとか、それ以下の不可触賎民になったり、動物になったりしたら、もう悲惨です。
    生きることは、それ自体苦しみで、死んではまた生まれるので、苦しみには終わりがない、それが大問題だったわけです。
    どうすればこの、苦痛に満ちた輪から抜け出られるのか、つまり、解脱できるのか。
    みんな、それを知りたかったわけですね。

    そして、仏陀の説法によって悟った弟子達は、まさしくその「解脱」への道を得た、つまりもう二度と生まれない、これが最後の生存だと言っているわけです。

    ところが、ですね。
    去年、たまたま職場でお会いした創価学会の方がですね。
    熱心に私に、仏教のお話をなさるものですから、詳しく聞いてみたのですよ。

    彼の言ったことを再現すると、こんな感じでした。

    創価学会では、釈尊の最後の教えを正しいとみなす。
    それは法華経である。
    そこで御釈迦さんは、こう言っている。

    「今までの教え、ぜーんぶナシ! 人はずーっと生まれ変わるよ! んで、よりよい生まれ変わりのために、今をよく生きないとだよ!」

    この世界に、神はいない。
    しかし、人の行いは、彼自身の魂に影響する。
    たとえば、単に悪意から殺人を犯したり、欲望のままに暴力を振るったとする。
    すると、相手ももちろん傷つくが、本人もその結果、魂に悪い業が積まれてしまう
    (だから、金銭欲や性欲のために暴力を振るうのと、愛する息子を守るためにやむなく暴力に訴えるのとでは、同じ行為でも、魂に対する影響が異なる)。
    これが来世の不幸に繋がってしまう。

    もし、今幸せな人がいて、悪いことばかりしているとしたら。
    それは、せっかくの前世のよい業を、急速に使い果たしているのだ。
    魂が、自分で自分を不幸にもし、幸福にもしている。
    だから、その生まれ変わりをよりよくするには……
    その方法が、つまり正しく仏教を学ぶ、ということで、もっとも効率的な方法を選びたいなら、創価学会にどうぞ。

    ……と、要約すると、こんな感じでした。

    要するに、解脱なんかない! というお話です。
    初期仏教と、言ってること違うじゃん?
    最初の阿羅漢達、どうなっちゃうんだろう?

    で、私は根本の部分を彼に尋ねました。

    「生まれ変わりが実在することを証明できないと、これまでの話、全部ひっくり返るよね? で、その科学的な説明は、できますか?」

    ここでいう「科学的説明」とは、
    「無作為に抽出した任意の第三者に、明白な形で生まれ変わりがあることを、確認できるようにすること」
    を意味しています。
    誰か、霊能力があると自称する人が「見える、見える……」と言っても、それは他の人にはわかりません。
    あの世の母を見て泣いたモッガラーナならいざ知らず、凡人たる私には見えませんので。

    もし、私に布教するのであれば、誰にでもわかる、科学的に証明できる形で、生まれ変わりの実在を示してください。
    実体もないのに「大衆の麻薬」を注射する気にはなれないのです。

    それと、私の見解も。
    なぜ仏陀がそんな言動をしたのか?
    彼がもともと政治家(王子様ですから)で、現実主義者だからだと思います。
    解脱に至る道を説くより、現状をとにかく改善するには、現世利益的な訴えを強くしたほうが、役立つと考えて、舵を切ったのではないかと。
    論理的な正しさより、いかに人が幸せになるか、結果を追い求めての判断なのかなぁ、と考えています。

    ちなみに、創価学会に入信しても、素敵な女性に出会う機会はないとわかっているので、現世的な意味でも、やはり興味がわきません。
    私に布教してきた男性は四十代でしたが、まだ独身でしたしね……。

    というわけで、これが私の返答です。
    ご希望には添えそうにありません。

  • tanpopo

    こんばんは。返信が遅くなりましてすみません。
    他の方とのやり取りも拝見して、私が思ったことを書かせてもらいます。

    そんな中で、AnonymousManさんのバイタリティーのある行動にはびっくりしました。
    大学の進学にしても、趣味と言われるようなことを色々試していることにしても…。
    海外旅行の下りを読む限り、人生を楽しんでいるようにも感じました。
    それでもAnonymousManさんは生きている幸せを感じないんですよね。
    ただ、生い立ちを含めて家族によるしがらみが大きい中では無理からぬことだと思います。
    今まで楽しいと思えたこと、その他大勢の人が楽しいと感じることが、例えば、突然解雇されて「もう来なくていいから」って言われた日とか、交通事故にあって半身麻痺になってしまった日とかに、同じように楽しめるかといったら楽しめないです。

    社会人になり、自分の人生を歩めるはずが、お金の関係も含めて縛られ続けている状態で、それをどうにかしたいと思っても、虐待により植え付けられた恐怖がAnonymousManさんに家族を捨てさせる足かせとなっているのに楽しみも何もないですよね…。
    そのうえで、家族とは縁を切るくらいの距離を置いてほしいと思います。
    会える距離にいてしまうから辛いなら、海外へ移住するのもAnonymousManさんにはできるのではないでしょうか?
    英語が通じない国だと刺激があって家族のことも一瞬くらいは忘れられるかもしれない。
    生活の糧を得るためだけで1日が終わってしまうような未開の地なら、生きがいとは?と考える余裕も無くていいかもしれない。
    かなり極端なことを書きましたが、正直、家族によるストレスが減らない限り変わらない気がします。
    >荷物がなくなっただけで、生きる理由ができたわけではないので。
    確かに苦しみがなくなればイコール幸せになるとは思いません。
    でも荷物が大きくて重すぎて潰されている状態で、見えなくなっている幸せがある可能性はあります。
    荷物がなくなっていない状況ですので、~かもしれないとか、可能性の話しかできません。
    何度も繰り返しになってしまいますが、私としては家族との縁を切り捨てることからだと思います。

  • AnonymousMan

    コメントありがとうございます。

    > tanpopo様

    私が8/18に返信してから、バッタリとコメントがなくなりました。
    理由を考えると、少し憂鬱でしたが……
    宗教の勧誘をバッサリ断ったら返信が止まる、ということは、このサイトの目的は……

    > バイタリティーのある行動にはびっくり

    バイタリティーがあるというより「もがいている」というべきかもしれません。
    ほら、水に落ちてバシャバシャ溺れてる人を見て、

    「おおー、あいつ元気だなぁー、バイタリティーあるなぁー」

    なんて、普通は言わないかと^^;

    まぁ、今もそうなのですが。
    自分の得意分野でなくても、何か見つかるかも、と首を突っ込んでしまい……
    常に過負荷をかけている感じはありますが、それで消耗するので、グッタリしている時の生産性はひどいものですorz

    > 海外旅行の下りを読む限り、人生を楽しんでいるようにも

    どうしても、遺跡やらなにやら見ると、好奇心は湧き出てきますね。
    しかも、中途半端に知識があるので、物を見ても「フーン」では終わらないのです。
    ガイドブックに書かれた説明とかも「これは間違っている」と指摘できる程度にはわかるので、じっくり堪能するところはあります。

    もともとは悪あがきの一端で得た知識の数々ではありますが……
    逆に不思議なのです。
    世間の人々は、どうしてこれをスルーできるんだろう、と。

    世界地図をバッと広げた時、そこには見覚えのない地名や国名があります。
    「気付かない」
    ならともかく(地図上にかかれていないものには気付けませんから)、
    「わからない」
    という状態に、どうして満足できるのでしょう?
    知識にせよ、芸事にせよ、積み重ねれば重ねるほど、味わいが増すものなのに。

    ただ、海外旅行を楽しむというのは、環境がミニマムだからでもあります。

    一人で旅に出て、最小限の荷物を持ち、そしてその日の目標、その週、旅行の終わりまでの予定を組み立てます。
    絶対にやらなければいけないことは、生きること、そして無事に出発日に空港に到着することです。
    そして、毎日毎日、ホテルも決めず、何を食べるかも予定せず、移動します。
    見た先で、今、その場で必要なもの、できること、やりたいことを決めて、行動します。

    そこには「今」しかありません。
    私が誰だったかという過去もないし、帰国後の未来も関係ありません。
    日常のくだらない暇潰しもなければ、快適な環境もありません。
    全力で集中して、今に取り組むしかないのです。

    だからでしょう。
    私は、国内旅行はあまり好きではないのです。

    昔、彼女がいた時には、国内旅行にしか連れて行けなかったのですが、それはもう、私の中では完全に別枠でした。
    そして今、たまに一人で国内のどこかに行っても……
    前に美しいと聞いた尾瀬なんかを見に行ったこともありますが……
    集中と緊張がないと、いやでも普段の生活や日常がにじんできます。
    あの、切り離された感覚にはなれないのです。

    > 突然解雇されて「もう来なくていいから」って言われた日とか

    今、まさにそれに近い状態なんですけどね。
    請負なので、解雇ということではないのですが、

    「すぐにでも来て欲しい」

    といわれた現場に「業務内容の詳細が何もないので、教えてくれ」と言ったら返事がなくて、
    おかしいと思って三日後に確認を取ったら、他の人で決まってた、とか。
    おかげでニート状態です。

    能力不足と判断して「他の人にしたいです」というのなら、腹は立ちません。
    がっかりはするでしょうけど。
    でも、この対応は、人をバカにしています。
    余計にへこんでしまって、今はズーンと沈んでいる状態です。
    沈んでいても、効率が出せなくても、家で勉強やら作業やらは、ずーっと続けていますけど。

    こういう現実と、切り離された空間にいる間だけ、私は元気で活発で、社交的になれます。
    現に、一人で海外旅行に行ったりすると、言葉が通じようが通じまいが、無理やりコミュニケーションもとったりします。
    一般の民家にあがりこんで一緒にお酒を酌み交わしたりもするほどですから。

    なんか、バーチャルリアリティの技術が進んで、寝たままで都合のいい夢を見られるようになったらいいな、とか思います。
    きっと私はすぐにジャンキーになるでしょう。

    > 縛られ続けている状態で、それをどうにかしたいと思っても、虐待により植え付けられた恐怖がAnonymousManさんに家族を捨てさせる足かせとなっている

    まさにそれですね。
    大学に進学した時は、「これで自由だ!」と思ったものです。
    でも、甘かった。
    今、この年齢になって、お金と一緒にあれこれ降りかかってきましたから。

    でも、お金はまだ「モノ」の問題です。
    もっと貧しければ「出せない」で終わり、裕福になれば「支払う」だけで済みます。

    たぶん、よくないのは、「会う」ことです。
    卑屈な態度を思い出し、その環境に適応していた頃の私に引き戻されるからです。

    ということは。
    昨夜も眠れず、真夜中にずーっと外を歩き回って考えていたのですが。
    私に必要なのは、よりよい「場」です。

    私が生まれ育った場所は、私を奴隷とみなし、価値のない存在として扱う環境でした。
    そして、それ以外の生き方を知らないまま、今も請負という、日本社会では半奴隷状態(但し額面が稼げているだけマシ)に身を置いています。
    さっきの案件の話のように、そもそも下っ端扱い、どうでもいい人間扱いをされているのがわかるでしょう。

    だから、私に必要なのは、健全な意味で私を評価し、その価値を認める人々の集団の中で生きることです。
    それが生活の中心になれば、その他の問題は脇に押しやられるでしょう。
    日々の行動はそちらの社会に適合したものとなり、私の頭の中を占める物事も、そうした思考や発想に埋め尽くされるはずです。
    実際、仕事においても、まず重要なのは「行動する」ことで、その結果、まず動くことのできる「環境」「習慣」ができあがっていきますから。

    しかし。
    それはわかっていても、ではどこでその「場」を得るか。
    それがわからないのです。

    先の宗教の勧誘については……なるほど、私が入信すれば、その演出はしてくれるかもしれません。
    ですが、教理に論理的整合性のないことは自明で、私はそれを忘れられないでしょう。
    同じ意味で、たとえばキリスト教なんかも、矛盾が見えてしまってダメです。
    何より、不平等を前提とした平等(信者>信者以外)の中に、自分から招き入れられたいとは思えないのです。
    これは、不平等な環境の最下層で生きた私だからこそ、痛感するものでもあります。

    > 海外へ移住するのも

    これは、検討しました。
    しかし、あまりに収入が下がるので、断念した件でもあります。

    たとえば、タイ、シンガポール、インドネシア。
    東南アジア全般、駐在員以外は厳しいです。
    シンガポールなんかだと、TOEIC800点以上の実力が必須で、しかもマンションでルームシェアして生活することになります。
    しかも、物価は日本と大差なく(食費は安いけど住居費などが高い)、給与は半分です。

    インドネシアも調べました。
    現地採用だと、当時の私のキャリアと同じくらいで、日本の半分以下の給与かつ現地のブリッジ&リーダーという重責を担わされます。
    しかも、駐在員ではないだけに、現地社員の妬みの対象にもなりますから……。

    実は懲りずに、もっと日本人にとってマイナーな国々について、今、調べてはいるんですけどね。
    でも、なかなかこれが難しいのです。
    安全面、衛生面、国家体制……定住のハードルは、そんなに低くはありません。

    > 荷物がなくなっていない状況ですので

    難しいです。
    正直なところ、私には具体的な助けが必要なのかもしれません。
    たとえば、それこそどこかに婿入りするくらいの、大きなインパクトが。

    でも、男女平等といっても、やはり今でも、問題を背負うのは男、守ってもらうのは女、というのが世の常識です。
    金銭面を除いても、情緒的にも私の荷物を軽くしてくれるような「場」を得るのは、難しいかもしれませんね。

  • bosemm2
    bosemm2

    こんばんは、台風に見舞われて友達とのライブに行きそびれたboseです。

    AnonymousManさんの日本語にも説明的にも全然問題は無くてただ自分が
    すぐ頭ゴッチャになるので頭グシャグシャすることが多くw
    良く会社でも、他の人の言っている意味分からなくて、頭グシャグシャしてます。
    それで最近、グシャグシャする部分がはげてきました。って関係ないですねw

    そんなもので自分、ごく狭い範囲の話を何度もやりとりすることしかできなくてw

    ただ仰ってた
    支払った苦痛の分だけ、幸福が戻ってくるわけではなく。
    強制的に苦痛税を徴収されるのに、幸福の還付を受けられないことのほうが、多い。
    これって、自分いっつも思ってますwww特に仕事に関してはですw
    ただ、最近それについても、戻ってくる形がそれぞれ違うのかなと思うときがあります。
    勿論、還元率で言ったら元を超えることは無いのかもしれませんが
    くたびれて働いて現金として戻ってくるものが3割とか、そしてそのお仕事による信頼と言う形で1割
    お仕事の結果が後に自分の知らない人の役に立って、自分でも実感としてあるか分からないけど
    人からの感謝が2割・・・とか。そういう形でいずれ時間がどの位かかるか、実感できるかは分からないけど
    それ相に帰ってくるんじゃないかなと思うときがあります。
    ただ、どうしても苦痛を感じている。と言う事を自分で実感しながら、そのことを考える比重が重く
    なって行くと、こちらから払っている苦痛と言う対価の負担分がどんどん増えて行ってしまって。
    そして眼に見えない状態で帰ってくるものに対しても鈍感になって行ってしまうんじゃないかと思ったりします。
    これは自分も本当に、変えていかないといけないなと思いながら、全然進展していってないのですが、
    心の天秤にかけてる苦痛の重り。の測り方、を変えていけたら、また状況も変わるのかなと思ったりします。
    と言っても、自分もそこはまだ答えの出てない事で、生きながら(生きるのも正直辛いのですが)牛歩のように
    糸をほどいていくしかないのかなと。思ってみたり^^;
    本とか人の意見だったり、色んな情報だったりを用い見てみても、どんなものもその人ぴったりのHow to本には
    やっぱりならないのだと思いますし、糸の絡まり方は人それぞれなので、色んな声をチョットだっけエッセンスとして
    取り入れながら、自分もほどいていかないと・・と思っています。昔から団子結びしか出来ない奴なもので(汗

  • AnonymousMan

    こんばんは、いつも通っている病院がお盆休みだったせいで、明日の台風の中、通院しなければいけなくなったAnonymousManです。

    > bosemm2様

    えっと……

    > グシャグシャする部分がはげてきました

    それはよくないです><
    まず、なぜわからないかを、ポイントごとにわけて考えてみてくださいorz

    > 支払った苦痛の分だけ、幸福が戻ってくるわけではなく。
    > 強制的に苦痛税を徴収されるのに
    > 還元率で言ったら元を超えることは無いのかもしれませんが
    > くたびれて働いて現金として戻ってくるものが3割とか

    これは、私の表現が悪かったですね。
    では、たとえばこうしましょう。

    「いきなり誰かがbosemm2様をぶん殴ったら、どう思いますか?」

    ふざけんな!
    痛ぇじゃねぇか! この野郎!

    ですよね?

    仕事をした、給料は安い……
    でも信用はしてもらえるようになった、感謝もしてもらえたし、世のためにもなった……
    そういう話なら、まだ理解できなくもありません。

    そもそも、(今はともかく、昔は)給料の安い公務員とか、たとえば危険に向き合うことの多い警察官や消防士とか……
    が、苦労しても給料があがるわけでもなく。
    だけど、自分が社会を守っているんだという誇りもあるし、それで納得できるといえば、できるのでしょう。

    でも、「一方的に殴られた」というのは、納得できますか?
    私なら、できません。

    何かこちらの態度が悪かったからじゃないか、とか、いろいろ反省するべき点はあるかもしれません。
    でも、自分が殴っていないのなら、殴られるおぼえはないはずです。
    しかしながら現実には、そういう一方的な暴力のようなものが、満ち溢れています。

    > 心の天秤にかけてる苦痛の重り。の測り方、を変えていけたら

    というのは理解できるのですが、それとは別次元のお話をしています。
    釣り合いをどう取るか、ではなくて、今、まさに攻撃を受けているのです。
    少なくとも、私はそれくらいの切迫感があります。

    敵意と悪意満ち溢れる、この苦痛だらけの世界で、何か少しでもマシな、生きるに値する何かがあるのか、ということなのです。

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