積極的な(?)意味で死にたくなりつつある

コメント:8件 閲覧:1,770人 最終更新:3 ヶ月、 2 週間前 作成者:BMB

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最近、死後の世界に魅力を感じ、死んだらどんななんだろうという好奇心が芽生えました。
ある意味ポジティブに死にたいと言えるかと思いますが、これはなかなかに人として生き物としておかしいし、まずいのではと思うのですが、どう思いますか。
ちなみに本当に自殺行為に走るようなことは、おそらくまずないと思います。
迷惑かかるし痛いのやだし。

死後の世界をいいなと思ったきっかけは、山岳信仰に触れる機会があり、実際に山にてその世界を感じる機会をもったことです。
宗教とか信仰とか現代日本人にとってうさんくさい話になってしまって恐縮ではあるのですが。
死んだら、この魂のあつまる素晴らしい山に還って、この魂たちと一体となれるなら、それもいいなと。

昔から私は希死観念(死にたい・消えてしまいたいという思い)自体はもっていました。
子どものころ親が亡くなったショックでふさぎこんでいた時に強く持ち、それ以来、多かれ少なかれずっと持ち続けてはいました。
でも、それなりに折り合いをつけ、割りきって今まで生きてきたと思っています。
生きる意味も一応は自分の中で答えがあります。
決してポジティブなものとはいえませんけどね。
また、周囲の「普通の」人から浮いている気もしています。
どことなくこの世・一般社会といわれるものは、自分の居場所ではないのかなと感じています。
それが決して嫌なわけではなく、ただただそう思っているというのが現状です。
そんな中で、山岳信仰というものが自分に馴染みすぎたのだと思います。
初めてなのになぜか懐かしく恋しいのです。
もしかすると私の居場所はここだったのかもと感じ、それならそこに行きたいと思ってしまいます。
でも、生きた肉体をもつ私がそう簡単にそこにいられるわけではないことはわかっています。
死ぬわけにはいかないこともわかってはいるのですが、死んであの世界に行ってみたいと思ってしまうのですよね。
もちろん死後の世界は私が思っているものと全く違う可能性もあるのですが。

とりとめもなく書き綴ってしまいましたが、ここまでおつきあいいただけた方がいてくださるのなら嬉しいです。
なにか思ったことなどコメントいただけると小躍りして喜びます。
長文乱文におつきあいいただき、ありがとうございました。

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コメント一覧

1-8件目(全8件)
  • orangedays
    orangedays

    こんにちは!私は医療関係者でありカウンセラーでもあります。私も死後の世界や生きる意味などスピリチュアルなことなどに興味があってたくさん調べたりしていました。
    簡潔に言うならば、死んでも。いいと思います。(^_^;)
    だって生きる意味は宗教以外ないですからね。しかも宗教は人間の拠り所を与えてくれるものだと思って作られています。
    死後の世界なんて無でしかないです。科学的に証明されていませんし。生きていても鬱状態となり無欲になれば死んでるも同前です。私もその無欲状態が1年以上ありました。地獄は生きている時に見るもので死んだら無でしかないと思います。
    ただ生きる意味を誰かが教えてくれる訳もなく人生に正解はありません。生きる意味は生きている今探し続けることです。
    どうせ人間死ぬのだから生きている内は山が好きなのだから山に寄り添って生きればいいのでは?
    それで貴殿が死ぬ時になったらその山の死後の世界に行けばいいのではないでしょうか?
    欲があるだけまだいいと思いますよ(^_^;)

    そして貴殿が【普通】と仰っていられますが普通なんてことは人が常識として作ったもので。普通も人が勝手に作り上げたものです。
    貴殿が考えていることも特別異常ではありません。
    ぞくに言う普通の人なのかもしれないあまり嫌なことがなく生きている人。もしくは元から性格が楽観的な人はあまり考えませんが。
    人生、生きている間に何かしら心に傷を負った人は貴殿と同じこと。少なからず考えていると思いますよ。
    私もそうですからね。
    だから別に貴殿が特別な訳ではありません。
    そういう意味では安心して下さい。

    あとこの世界は自由ですし、常識も非常識もありません。
    もっと広い世界で考えればこの世界は愛で満ち溢れています。

  • TARA
    TARA

    こんにちは。
    私も「正しさ」は自分の中にしかないと思っています。時代や国(人)によって変わる「普通」とか「正解」とか「常識」にとらわれることはないです。唯一変わらないのは「変わっていく」ということですから。
    天国とか地獄などの死後の世界は私は無いと思ってますがあったら楽しそうですね。
    私も死後のことやスピリチュアルなことを考えたりします。肉体ではないところの「自分」がいつ生まれたのかとか。私がいるのも、他人がいるのも、その他の自然があるのも、愛を感じるためなのかなと思ったりします。
    やはり傷ついたり挫折した人は色々考えてると思いますよ。色々気づかせてくれるという意味では辛い経験は全く無駄ではないです。
    orangedaysさんの最後の文の「もっと広い世界」とはなんですか?深い話が聞けそうで興味があります。

  • BMB

    >orangedaysさん

    コメントありがとうございます。
    返信遅くなり申し訳ありません。
    そうですね。
    死んではいけないという価値観もそもそも作られたものかもしれませんし、いずれ変わるものでもあるかもしれませんしね。
    少し前に「最終的に死ねば済むと思っているでしょ?それじゃあダメだよ」といったことを結構否定的な感じで人から言われたことがあり、少し引きずっているかもしれません。
    そのあといろいろ考えても、やはり自分のそれまでの考え・生き方が自分にとって悪いとか間違っているとか思えなかったので、自分は普通ではないのかなと思ってしまったところもあります。
    そういう考えもあることはもちろんわかっていますし、確かにそのほうが生きやすいのかなとも思いますが。
    私と同じように考える人もたくさんいますよね。
    周りに捕らわれず、自分の思うように生きてみようかと思います。
    死ぬ瞬間まで生きるしかないのだから、生きているときくらい面白く過ごしたいですね。
    TARAさんもおっしゃっている「もっと広い世界」について、私も伺いたいです。
    よろしければ聞かせていただけると嬉しいです。

  • BMB

    >TARAさん

    コメントありがとうございます。
    返信遅くなり申し訳ありません。
    そうですね。
    「普通」なんて時と場所と人によって変わるものだとは重々承知しているつもりではあったのですが、まだまだ認識が弱かったかもしれません。
    他の方もいろいろ考えていらっしゃいますよね。
    私にとっては傷ついていろいろ考えられたことは、今の自分に欠かせないことで確かによかったと思っています。
    私はまだ「愛」というものをちゃんと感じたことがないのですが、TARAさんの世界観が感じられます。
    「愛」感じてみたいですね。

  • orangedays
    orangedays

    「周りに捕らわれず、自分の思うように生きてみようかと思います。
    死ぬ瞬間まで生きるしかないのだから、生きているときくらい面白く過ごしたいですね。」
    この言葉いいですね!

    TARAも返信遅くなりすいません。
    もっと広い世界。そんなに方々が期待するもの奥深いものでもありませんよ(^_^;)

    ただ、スピリチュアルや人間同士の横軸の世界だけではなく同じ生き物として動物や植物。そして天文学から見た私たちの視点などを考えると見える世界が広がります。また、同じ人間同士でも先進国と発展途上国で生活する全く別世界で生きているのかな。とも感じられます。私はボランティアでカンボジアの貧しい村に2年間生活させて頂いた経験があります。その時に幸せってなんだろう?って改めて考えさせられました。今は唯物主義で物に満ち溢れている時代です。しかし、発展途上国では唯心主義で心を大事にされています。人と人の温かさをより感じることができました。昔の日本はきっとこうだったのかな。と感じさせられました。私は今の日本ではなく唯心主義の発展途上国で住む方が私には合っているのかもしれないと思いました。結局生きる意味だとか喜びだとかは人と人の心と心の繋がりなんだなぁ。とかわかりました。一人でも今の日本は物に溢れているので楽しいとか幸せとか思うしれませんが、心と心が通じ合える喜びには勝てないのかも知れません(^_^;)同じ人間の横軸でも文化の違いで世界の広さを感じた実体験でした。
    上記にあげた学問だとかは自分がこの世で生きている喜びを感じるために色々と視点を変えて調べたりしました。その時は知識は人生をより豊かにするものだからと思っていたからです。実際に以前よりは色々な視点で世界や人を見れるようになりより人生を豊かにすることができました。しかし、それと同時に色々と物事を考えるようになり昔見たいに欲望のままに自由に生きていた自分を見失った気がします。無知は罪なりというソクラテスの言葉がありますが、反対にことわざにもあるように無知は幸福なのだとも思い知らされました。
    あまり人生が豊かになると知恵ばかりつけても、広い世界から見えすぎてしまうと肝心な目の前の自分にあるできごとが全て冷めて見えてしまうのです。
    逆に子供の時のようにあまり周りを知らないで目の前のことに夢中になっていた方が人生楽しいのだなと気付きました。宮崎駿監督も上空から東京を見ても絶望しかない。反対に半径3メートルくらいのことだけで生きていた方がまだなんとかなる。と言っていました。自分もなんとかなるというか、身の回りのことを幸せに感じた方が良いのだなと思いました。

    長々と書きましたが、悩んだ時は広い世界を感じて広い視野で物事を判断する方が突破口は見つけやすいのかなということと、自分が幸せを感じるためには身の回りの喜びや楽しい、好意に目を向けて生きていった方が人生輝くのかな。と思いました。
    改めて書くと当たり前のことしか書いてないのでしょうけど、何事にもプラスとマイナスがあってそれをどう活かしていくのかは人が生きていく上での知恵なのかも知れませんね(*^^*)

    皆さんが期待するような奥深い話じゃなくてすいません(^_^;)
    鬱になるまでは私は時が過ぎていくのが早く感じでいたのですが、鬱になって人生観変わるとあっ。こんなにゆっくり時間って流れていたんだ。と気付きました。なんだか鬱になるまで生き急いでいたようです(^_^;)

    まあ共に焦らずゆっくり生きていきましょう!

  • TARA
    TARA

    TARAです。
    orangesaysさん、素晴らしいお話をありがとうございます。
    私がorangesaysさんのお話に興味を持ったのは、完全に一致する訳ではないと思いますが私と近い考え方を持っていると感じたからで、背景に鬱病等のお辛い経験によるものがあると思ったからです。
    私も数年前に鬱病を経験してから色々考え方が変わりました。
    全ての動植物も、宇宙も、人間の体も、生まれいつか無くなるものは私たちに大切なことを教えてくれますよね。
    「無いこと」は「有ること」の素晴らしさを教えてくれます。
    私はカンボジアに行ったことはないのですが、きっと日本と比べるとあらゆるものが「無い」からこそorangesaysさんは大切なものがそこに「有る」ことに気付けたのではないでしょうか。おっしゃるとおり今の日本は極めて裕福で物に溢れています。あらゆるものが「有る」ことが当たり前になりすぎて大切なものを見失っている人が多いように感じています。「有る」ことが当たり前になるということは、そこから幸せを感じることが出来なくなることだと思うからです。私たちは日本という小さなな箱、人によっては、学校や会社などもっと小さな箱の中で暮らし、日々悩んだりしますが、そんなときはorangesaysさんが言うように「もっと広い世界」に目を向けると良いと私も思います。カンボジアの人々にとって日本に溢れるあらゆるものは、当たり前のようで本当は有ることが難しい「有り難い」ものばかりなんでしょう。私たちは「有り難い」ものに「有り難う」を忘れるべきではないと感じます。
    プラスとマイナス、何事にも二面性があって、そのどちらもが必要なんですよね。凍える寒さを経験した人は、日差しの暖かさを知っていて、病気を経験した人は健康への感謝を知っていて、飢えを経験した人は一膳のご飯の美味しさを知っていて、孤独を経験した人は絆の大切さを知っていて、絶望を経験した者は、希望の有り難みをよく知っています。光が美しく輝くことを支えているのは「闇」であり、 光が存在できるのは、闇がそこに在るからです。だから辛い経験も大事なんだと私は思っていますし、鬱病になってしまったことにも今は感謝しています。
    BMBさんのカテで私事を長々と書いてしまい恐縮です。なんだか嬉しくなってしまいまして。有り難うございました。

  • orangedays
    orangedays

    TARAさんありがとうございます!
    そうでしたか(*^^*)
    なんだか私も嬉しくなりました。
    こんなに素敵な言葉を文章にして下さりありがとうございます。
    凄く共感し合えて、このネット上の空間ではありますが幸せを頂きました。
    本当にありがとうございました。

  • BMB

    orangedaysさんもTARAさんもありがとうございます。

    とてもいい話が聞けて嬉しいです。
    狭い世界にとらわれず視野を広くすること、目の前にあるものごとを素直に感じとることどちらも大切ですよね。
    有るということ無いということについて読んでいて、少しずれるかもしれませんが、ふと「色即是空 空即是色」を思い出しました。
    「すべての目の前にあるものは実体はないけど、その実体のないものが今目の前にあるのは意味があること」
    私はこのように解釈してますけど、やはり身の回りに「有る」ものは「有り難い」ものなんだなと思います。

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