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自分の大学時代に虚しさを感じてしまいます。

閲覧数1122 コメント数4 person退会したユーザー edit2017.02.25

本当に悩んでることです。苦しいです。
感想ください。よろしくお願いします。
長いし、思ったことをひたすらに書き綴ったので、読みづらいかもしれませんが、少しでも意見を聞かせてもらえたら嬉しいです。

今年社会人のものです。

大学時代を振り返ってみて、自分は馴染めてなかったのかなって悩んでいます。

そんな風に思わせる印象的なエピソードがあります。

僕の大学では新入生の歓迎の期間に、花見をやるのですが、その時に、何日間か花見の場所取りをやらなければなりません。2年目の代の人でシフト制で入るというのが伝統になっているのですが、僕はどの日程にも割り当てられませんでした。僕だけではなかったのですが、こう言ってはアレかもしれませんが、目立っていなくて、もしかしたら僕以上に交流の狭い子が数人が割り当てられませんでした。

また、追いコンといって、卒業する先輩を送り出すイベントがあるのですが、その時に先輩達に花を贈ることになりました。先輩の代の方が僕らの代より少ないので、確実にやらない人が出るんですけど、僕よりも先輩と関わりの少なかった同期でもやっていた人がいました。

サークルの男子で旅行に行こうという企画が立ち上がり、全男子をグループラインに招待したことがあったのですが、僕だけ忘れられてたみたいで後から招待されました…

音楽系のサークルでライブをよくやるのですが、一つのバンドがやり終え、つぎのバンドが始まるまでの準備の時間を転換というのですが、転換の時間にみんな仲いい同士で固まってワイワイ楽しそうにしてるのですが、僕はそれを尻目にぼーっとしていたり、スマホを見ていることが多かったです。
僕にも仲のいい人は2名ほどいましたが、その人たちはこの状況を諦めに近い形で受け入れていたので、スマホを見たりぼーっとしていました。
自分はこの状況に惨めさを感じてしまっていつもしんどい時間だなと感じていました。

他にも仲のいい人はいたと思うのですが、そういう人とも転換の時間には話すことはなく、その程度の仲だったんだなと感じました。
自分からも話しかけたいとは思いましたが、仲のいい同士で既に固まっていたので、なかなか入る隙もありませんでした。

先輩にも同期にも後輩にも何名かしか話せる人がいない自分は扱いづらく浮いた人間だったのかなって悩んでいます。
女々しい考え方かもしれないですか、たった一度の学生時代、青春時代を充分に謳歌できていなかったと思うと悲しいんです。
みんなが学生時代の話を思い出していたり、後輩たちがサークルを引退したことを寂しそうにツイートしてたりするのを見ると、自分はそんな風に心から思えたのかなって悲観してしまいます。

今度は後輩たちが卒業する番がきます。僕らと同じように、送り出されます。後輩たちから僕らの代にお誘いがきました。僕は行かない予定です。行っても大して話す人もいないし、仲のいい人はいないんじゃないかと思うからです。
現に、一度卒業してからサークルに顔を出したことがあったのですが、久しぶりだったので、驚かれたし、話したことある人とは少し話しました。
ですが、それも最初の少しだけで、あとは各々仲のいい人と話してました。当たり前ですが。
それに加えて、僕の同期も後から何人か来たのですが、そっちの方が注目されていたように感じました。
人望の違いなのかなってそういうところでも痛感させられて辛かった覚えがあります。
だから今回も同じ思いをするのではないかとも思うんです。
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コメント一覧

  • refresh約7年前
    退会したユーザー
    What?
    https://youtu.be/ycvhRrwZNBA
  • refresh約7年前
    退会したユーザー
    初めまして。
    ご相談を読んでいて、ほんとうに共感できることばかりでした。
    わたしは いま高校生ですが、中学時代だれも友達がいなくて
    修学旅行をずる休みしたことがあるくらいです。
    高校は楽しいですが、お勉強熱心な女子高なので
    あんまり青春を謳歌してないです…笑
    中学高校と、なんとなく友達はいても
    クラス替えや卒業の折にはもう縁が切れてしまうような人ばかり
    だし、あまり人と関わるのは得意ではなく
    二人組組んで〜 なんて言われると
    余ったらどうしよう?とガクガクするタイプです。
    そして、自分の意思で女子高に進学した手前あれですが、
    女子高生の間、このまま異性に見初められることなく
    おとなになっていくんだろうなと思うと
    正直虚しいですね!笑笑

    なにが言いたいのかっていうと、
    そういうタイプはいっぱいいますよ!ということです。
    星新一さんの言葉に、青春とは商業化のための虚像た、
    みたいなのがあって、ふふって笑っちゃいました。
    確かにお友達が多そうで華やかに見える人たちも
    いっぱいいると思います。
    でも、どんな人であっても一番大事なのは、
    自分が心から打ち込めることを見つけて
    そちらの方面へ行けるか、と
    自分が心から大切にできるお友達を
    数が少なくても 見つけられるか、じゃないでしょうか。

    いまの状況が嫌なら、今からでも、
    だれかに一生懸命話しかけたり なにかに積極的に参加したり
    トライするしかないですね。
    案外 盛り上がる場所でワイワイしてエンジョイしているような
    人たちも、気を遣ったり、人前で失敗したり
    仲がこじれたり いろいろ大変な思いをなさっていると
    思いますよ!
    ぜひ、ご自分の過去を後ろめたく思うことなく、
    いまなにができるかを考えるようにしていただきたいです。
    あと、スマホをいじる時間が長いほど、
    自己肯定感が低下するんですって。
    そんなにスマホいじってないし!って
    思われたらごめんなさい。
    でも ずっと うつむいて画面を見る人がいたら
    暗く見えるしあんまり 話しかけたくないし
    少なくともわたしは スマホの時間を減らして
    明るくなれたので、ぜひご参考までに。

    ちなみにわたしにとっての青春は、
    中3のとき、絶対むりだと言われた高校にチャレンジしたことです。
    実際不合格でしたが、一生懸命頑張ったことは
    自分の中でも誇りです。
    よくある恋愛とか運動部とかのあれみたいなのでら
    ないですが、わたしにとっては、
    誰がなんと言おうと、青春の思い出です。笑

    年下がえらそうで申し訳ないです。
    たのしい 投稿者さんだけの青春を
    これからぜひ楽しんでいただたいです。
  • refresh約7年前
    退会したユーザー
    自分から話しかけるのが躊躇されるタイプですね。過去を悔いても時間は戻ってこないので、本当に変えたいと思うのなら、今、変えてみるべきですね。

    でもたぶん、それはそれでつらいかもしれません。自分のタイプを変えてみようと強い意志があるのであれば、変えてみれば良いし、それがしんどいなら、今のままでも全く問題ないと思いますよ。周りの人をうらやましいと思うかもしれませんが、自分は違うタイプだからと今の自分をしっかりと受け入れて、認めてあげることです。

    何も同窓会でみんなと話する必要はないし、仲の良かった友達と話ができたのなら十分だと思います。何の問題もないと思いますよ。

    あの時もっとああすればよかった、こうすればよかった、と考えることはありますが、今の自分を否定するのはよくないと思います。今の自分をまずは受け入れて、変えるもよし、そのままでも良しです。
  • refresh約7年前
    退会したユーザー
    はじめまして。失礼な言い方を書くかもしれませんが、おゆるしください。話を単純化して書きますので。「さびしさ」ということを仰っているように感じました。
    私も、中学の修学旅行では、特に仲が良かった人もなくて、だから、誰かグループに誘ってくれるか不安を覚えましたが、なんとか誘ってくれる人がいて、修学旅行に行けたという経験があります。ですから、そのグループの中心メンバーじゃなくて、ただいるだけ、無力な人、という点、私も同じでした。話を単純化するため、高校、大学、また社会などでのこと、すべて省きます。だいたい、どの時代も同じでした。同窓会などに誘われても、行ったことがない、そういうタイプの人間です。

    私の経験から、自分が、ちやほやされたかったです。それが、そうではなく、平凡な扱いをしか受けなかったので、寂しい、そういう思いは私もたくさんしてきました。人は「特別扱いされたい」わけです。でも、現実はそうではない。そこで苦しむわけです。では、どうすれば、それが苦しくなくなるのか? 私も修行の最中で、自信をもって答えられるわけではないですから、ヒントになりそうな記事を紹介します。

    「さみしい」という気持ちって、いったいどこから湧いてくるのでしょう?
    多くの著作で有名な、月読寺住職・小池龍之介さんにお話を伺いました。
    さみしさは“人とのつながり”では満たされない/月読寺・小池龍之介さん(前編)
    https://sololife.jp/article/1324
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