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自己肯定できません。

閲覧数913 コメント数5 person退会したユーザー edit2018.04.09

今日、初めてここのサイトのことを知りました。本当なら少し様子を見てからトピックを作るべきだと思うのですが、どうしても話を聞いて貰いたくて話します。
何か規約などに反していれば申し訳ありませんが指摘して頂けると助かります。

私は今高校生です。小学校6年生の夏休みから卒業まで不登校でした。
理由は、相手の喜ぶ行動をそのまま取り過ぎたこと。私は今相手が何をすれば一番喜ぶのかわかるので、短絡的にその行動を取り続けていました。結果、相手に対してどれだけ心で怒っていても、表に出せなくなってしまい、卒業するまで休んでいました。

中学生になってからは自分を守る方法を考え、多少棘のある言葉をわざと言うようにしています。相手が嫌がることも言います。これが普通なのだと私は思っています。

ですが、私は未だに今までの経緯も含めて自分のことが好きになれません。

昨年、HSPという言葉を知りました。
私は大きい音や強い光が苦手です。喧噪も嫌いです。悲鳴や他人の怒りなどに強いストレスを感じます。他人が嫌いです。他人は気が利かないと思ってしまいます。どんな友達でも見下しています。いつも他人の表情を窺って過ごし、見下し軽蔑している友達のようになりたいと思っています。自分はいつも損な役割ばかりだと思います。ですがそれが驕りだというのも分かっています。自分を何も誇れません。
最近、他人と話す時にそれぞれ別の私がいることに気付きました。声色も表情も言動も違います。相手が一番話しやすいであろう性格と、相手の性格を混ぜ合わせた私で接しています。
初めてHSPを知った時、思わず泣いてしまいました。仕方ないことなんだよ、と許されているような気がして。

ですが、私はHSPという言葉に逃げていいのでしょうか。本当は違うのではないでしょうか。自分の考えを肯定できません。

書き殴っただけの見苦しい文章ですみませんでした。ごめんなさい、自分でもどれが質問なのかがよくわからなくなってしまいました。
お門違いなのはわかっています。ですが少しだけ、私のことを肯定してください。そうしたらまた明日から頑張ります。生きていていいんだって言ってください。お願いします。
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コメント一覧

  • refresh約6年前
    退会したユーザー
    お金を貯めて、お見合い結婚する目標があれば、悩みません。
  • refresh約6年前
    珈琲 20代後半 女性
    どうも珈琲と言います。
    mi4さんは今の自分に満足していますか?
    様々なことを敏感に感じてしまうがゆえに辛くなることも有ると思います。
    しかしHSPであろうとなかろうと「あなたはあなた」なのだから、
    HSPという言葉に逃げたくないという気持ちを私は尊重したいです。
    今の自分に満足するのも良いと思いますし、
    もっとこういう自分になりたいと思う事も良いと思います。
    もし、人の顔色や様子を窺うのが辛くなったらやめても良いと思います。
    私は今も人の顔色を窺いながら生きています。
    私は臆病な自分を誇りに思っています。
    失敗したくないし怒られたくない。
    その為にどうするべきかと考えて生きています。
    自分の臆病さで成功していることが多々あります。
    普通の人から見たらマイナス面のことかもしれませんが、
    私にとっては誇るべきものなのです。
    だから、mi4さんにとってのマイナス面が誇れるものになるかもしれませんよ。
    私の好きな言葉にこんなのがあります。
    「勝者とは常に敗者の中に居る」
    もしかしたら、誇れるものは身近なところにあるかもしれませんよ(^^)
  • refresh約6年前
    退会したユーザー
    mi4さん、おはようございます。


    今日はこちらの空は晴れていて、今、朝日が少しずつ昇ってきています。そちらの空はどうでしょうか?


    安心することができて良かったですね。あなたのコメントを読んで、私も心が落ち着きました。



    あなたのコメントに、「何が言いたいのかよくわからなくなってしまいました」とありましたが、私はあなたの言いたいことが分かる気がいたします。


    「自分を叱責しなければいけない時もある」と話していましたね。

    私もそういう時もあろうかと思います。

    ですが、それは自分自身がダメだからという否定的な思いを持ってではなく、自分自身は大切な存在だからという肯定的な思いをもってでもできることです。

    叱責することや甘えさせることと、否定することや肯定することは直接に繋がってはいないのです。


    事実を受け入れるということは、そうであっていい、そう考えてもいい、そのようにしてもいい、だって今の自分は自分なのだからということを受け入れるということでもあります。

    そして、それはあなたの言うように甘えに繋がってくることも多いです。(この場合は自分自身を大切に思っていないからなのですが)

    しかし、甘えに繋がってしまうと自分自身の身を滅ぼしてしまうことにも繋がってしまうことも少なくありません。

    ですから、あなたの言うように、時には自分自身の行動と考えをあらためたることも大切です。

    そうするために必ず叱責する必要はないですが、時には叱責してまでも自分自身をあらためることもあっても良いと思います。


    何が言いたいのかというと、今の自分はこれでいいし、甘えてもいいし、あらためようとするのもいいし、あらためるために叱責してもいいし、何だっていいのです。

    なぜならば、あなたはどのようであっても、どのような時でも、根本的には大切でかけがえのない存在だからです。


    それから叱責する場合、そこには何らかの目標がありますよね。

    何かに合格するために、理想の自分になるために、、、いろいろあると思いますが何らかの目標があると思います。

    しかし、ここで大切なのは、目標や理想に達していないことがダメなことではないということです。

    そして、ダメだからそこに達しないといけないということでもないということです。

    今の自分をダメだと評価することなしに、今の自分を今はこうなんだなと肯定的に思った上で目標を持ち、理想を持ち、それを達成するために叱責することもできますね。



    事実を受け入れるということは、あなたの言うように諦めです。

    それでは、事実を受け入れるときに何を諦めることになるのか。

    それは、自分自身の考え方です。

    学年最下位になりましたね。それは紛れもない事実ですね。

    その時点ではあなたは学年最下位です。ただそれだけの事実です。いいも悪いもありません。

    ここで、そこに学年最下位だということは・・・・こういうことだという考えがあるとします。そしてその考えがあれば、多くの場合何らかの感情が出てきます。

    そして、その考えと感情を元にさまざまな妄想が生まれます。ああだったら、こうだったら、こうなるんじゃないか、ああなるんじゃないか。自分はああなんだ、こうなんだ。

    ここで気がついてください。それらは全部自分自身の考えと感情が生み出した妄想です。事実ではありません。

    人間はこういった妄想に囚われたときに、悩みと苦しみを抱えるようにできています。


    事実を受け入れるということは、こういった自分自身の妄想を捨てること、妄想を生み出す原因となっている自分自身の考えを捨てること、つまり、自分自身の考えをあきらめて、ただ単に目の前にある事実だけを受け取ること。

    それが事実を受け入れるということです。


    人は必ず自分の考えや感情を正しいもの、大切なものとしてとらえるようにできています。

    だから、自分自身の考えを諦めて事実を受け入れることが大変困難で、時には苦しい事でもあったりします。

    ですが、実際は自分をあきらめ、事実を受け入れる方がとっても楽な事なのです。



    あなたにはこれは良い、これは悪い、これは正しい、これは間違いという考え方がたくさんあるのではないですか?

    その考え方に照らし合わせることで事実を判断しようとしていませんか?

    人は物事を事実通りに判断することがでいないようにできています。

    それはあなたと同じようにすべての人は、みんな自分が持っている考え方に照らし合わせて物事を判断するようにできているからです。

    しかし、先ほどお伝えしたように、事実とは自分自身の考え方を捨てて、諦めて、初めて観えてくるものなのです。


    他人から肯定されることは、とてもありがたく、安心と力を与えてくれるので、それはそれで素晴らしいことだと思います。

    ですが、それがないと不安で仕方がないという状態は他人への依存を生むきっかけとなります。

    その時々に、さまざまなものに依存しながら進んでいくことはあたりまえのことですが、そこに溺れることのないように気を付けることは大切になってくると思います。

    その時々で他人から肯定されることも大切ですが(他人の判断も事実とはかけ離れたものであることがほとんどですが)、自分で自分を肯定し大切に思える心を育てることがあなたの不安を本当の意味で無くすことができるきっかけになると思います。


    自分の考えを捨てて、自分自身を大切にできるようになればそういった不安は取り払われます。

    いろいろな考え方に触れたり、いろいろな人に助けてもらったり、支え合ってみたりしていく中で、自分自身のオリジナルな経験を通していきながら、あなたもわたしも、他のすべての人も、それぞれが抱えているものを手離していくのだと思います。


    それから、あなたは一人ではないのです。

    あなたもわたしも、他のすべての人も、自分自身のオリジナルな人生を通して、それぞれが抱えているものを手離していく道をそれぞれが複雑に関わり合いながら共に歩んでいるのです(^^)
  • refresh約6年前
    退会したユーザー
    yoshi-chanさん

    こんばんは。コメントありがとうございます。
    否定的なコメントが来るかもしれないと身構えていたため、一気に肩の力が抜けてしまいました。
    小学校の時のスクールカウンセラーさんに、「一人一人に合わせた自分も含めて自分自身」と言われたことをふと思い出しました。

    私は、自分のことを優しい人間だと思っています。ですが、そんな風に思ってしまう自分が嫌いです。どうしても、他人からの肯定がないと不安で仕方ないのです。
    自分を肯定することが悪い事のように思えてくるときもあります。自分に甘いのと自己肯定が出来ているの差が曖昧になっているんだと思います。
    yoshi-chanさんは事実を受け入れているそうですが、それは諦めとは違うのでしょうか。
    最近母に同じような事を相談したところ、一度全く勉強もせずに学年最下位にでもなって、自分を受け入れろと言われました。私はそれを言われ、何故だか分からないけど沢山泣いてしまいました。
    生きる事を放棄したくありません。自分を叱責しなければいけない時もあると思います。
    また何を言いたいのかよくわからなくなってしまいました。

    上手く言い表せませんが、あなたのコメントはとても温かくて優しくて、すごく安心しました。私と同じような境遇で、こんな人柄になれるんだと思うと少し嬉しいです。
    少し興奮しています。また明日、読み直そうと思います。
    ありがとうございます。最後まで纏まりのない文章ですみませんでした。
  • refresh約6年前
    退会したユーザー
    こんにちは。はじめまして。


    あなたが何を考えようが、何をしようが、どういう性格であろうが、どういう姿かたちをしていようが、あなたはあなたです。

    それを否定できるものは、この世のどこにも存在しません。

    言葉や態度で否定してみることはできますが、それは否定しようと試みているだけであって否定できるものではありません。

    あなたはあなた、そのことに良いも悪いもありません。

    これは、考え方ではありません。絶対的な事実です。


    私も音、ニオイ、肌触り、人の視線、嫌味な声、怒鳴り声、騒がしい声などに敏感に反応します。

    感覚過敏というやつです。

    ですので、私もHSPを疑いました。

    HSPかどうか診察を受けるとHSPだと言われたでしょう。


    私は発達障害の診断を受け、発達障害者として生きています。

    私の感覚過敏は、発達障害の障害特性として存在しています。

    長い事鬱症状もありましたが、鬱も発達障害の2次障害として扱っています。

    私は統合失調症ではありませんが、統合失調症も発達障害の2次障害であらわれることもあると解説する専門家もいらっしゃいます。


    ここで言いたいのは、何が正しいとかではなく、それらは全て考え方、概念だということです。

    HSP,発達障害、鬱、統合失調症etc,etc......それらは全て概念です。

    概念は人が作り出したもので100%正しいものではありません。どんな概念でもです。


    人が何故概念を創り出したかというと、そういう風に考えると都合がよいから、もしくは便利だからというだけです。

    ですので、概念は今の自分が今の社会を生きていくうえで、都合が良ければ都合のいいように使えばいいのです。

    あなたにとってHSPという概念が、今の自分にプラスに働く部分があるならばプラスに働くところをうまく使えばよいのだし、マイナスな部分は採用しなければよいだけのことです。

    それらの概念を使うことに、正しいとか間違いとかはありません。


    私もあなたのように人によって態度が変わります。あなたと同じような性質を持っています。

    その性質やその性質を備えているということは、否定したり非難したりするようなものではありません。

    単に相手に合わせていく性質を備えているというだけのものです。

    あなたが自分自身を大切に思えるようになり、そして相手を大切に思えるようになった時に、その性質をバランスよく使えるようになっていくと思います。


    今、あなたは自分自身を大切にするということを、間違って覚えているか知らない状態だと思います。

    HSPの概念からでもいいですし他の概念からでもいい、カウンセラーやクリニック、相談できる人や同じ悩みを抱えている人の話や交流からでもいい。

    自分自身を大切にするということをあらためて学び体験し、自分自身の心と体を大切にすることを学びなおしてみてはと思います。

    あなたがあなたを大切にすることを覚えなおし始めるとともに、あなたの中に自己肯定感が育ってくると思います。

    顔色をうかがい自分を抑えることから、言葉で防御、攻撃をするようにしてみたようですが、自分を守るテクニックを変えてみても、増やしてみても育っていくものではありません。

    そうしてきたことがダメな事だったということではありません。あなたなりに一生懸命考えながら対処して生きてきたということですから。

    自己肯定感を増やすポイントを押さえていなかったということです。



    それから、自己肯定感には2種類あります。一時的な自己肯定感と絶対的な自己肯定感です。

    一時的なものは、稼ぎが良いから、かっこいいから、頭が良いからなどの特別な条件に基づいているものです。

    それはあなたの価値観を明確にしてみると、どのよにすれば自己肯定感が得られるのかがはっきりしますね。


    絶対的なものとは、事実に基づいているものです。

    事実とは、わたしが冒頭であなたにお伝えしたことです。

    あなたはあなた、良いも悪いもありません。

    語弊がありますが、言葉を変えると、あなたはあなた、それでいいのです。


    私もあなたと同じように、長い年月自己否定感に苦しみ、自己肯定感を持つことができませんでした。

    さまざまな概念にや人たちに出会い、事実を受け入れ、少しずつ取り組んでいく中で自己肯定感を取り戻してきました。

    まだ完全とは言えませんが、そのようにして進んできています。

    あなたも私とは同じ進み方をしないかもしれませんが、きっと自己肯定感を取り戻せると思います。


    あなたの人生もあなたのオリジナルです。そのように生きていていいのですし、生きていっていいのです。
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