頑張れない

コメント:10件 閲覧:2,427人 最終更新:10 ヶ月、 2 週間前 作成者:yunase

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なんのために生きるのかを考えたとき、子どもと旦那の顔が浮かぶ。

もうそれだけで、生きる意味は、私にはある。

でも、ただ「生きてる」だけでは人生なりたたない。

頑張らなきゃいけない。
子どもと旦那のためにも、自分のためにも、頑張らなきゃいけない。

ちょっと息抜きも必要だ、なんて言うけれど、実際のところ、息抜きが許される環境で生きてる人って、どのくらいいる?

心から休めたなぁって思える瞬間、みんなはあるの?

また、「明日から頑張ろう」って思える休み方を、私は知らない。

もちろん、「私だけじゃない」ということも、頭にはある。

私より、体を壊しながらも頑張ってる人はいるだろう。
生きる意味はまだよくわからない人もいるだろう。

逆に言わせれば、私なんかは、子どもにも恵まれて、優しい旦那もいて、職場にも恵まれ、何を甘ったれてんだって、思われることもあるだろう。

だけど、「人と比較してたらキリがない」ことも頭にあって

私には私の大きな悩みがあり、それを抱えきれなくなることもある。

一口に「頑張る」と言っても、その頑張りも人によって違う。

「私の中では最大の頑張りだったんだ」と、誰かに押し付けることは許されないでしょう?

体調を崩した人がいて、その人にとっては布団からでれない、ごはんも食べれない、会社にいけない、そんな具合だったとしても、それを理解してくれる人はどのくらいいると思う?

わかってくれる人が少しでもいればいい、というのは楽観的すぎて、実際、理解してくれない人たちばかりの環境の中で人生はなりたってると思う。

言い方は悪いけど、まだ小さい子どもだって、自分の理解者ではないのだから。当然だけど。

なら、理解者ばかりがいる環境ならいいのかといえば、そうじゃない。

心を許せる人は、その人たちこそ、時に重荷になる。

大事にしなきゃと思えば思うほど、離れたくなる。

それでも、大事にすることを、頑張らなきゃいけない。

どうでもいいと思ってる人たちはどうだろう?

近所の人、親戚の人、職場の人。

結局、この人たちのことも、大事にしなければならない。

最終的には、「自分のため」に繋がるから。

自分のために繋がるということは、子どもや旦那のためにも繋がる。

楽しいとか、嬉しいとか、そんなの感じなくても、生きていける。
自分を見失っても、生きていける。

生きる理由があれば、とりあえず生きていける。

でも、生きることが目的ではない。
私は、いい人生にしたいと、そう思って頑張ってる。

死ぬときに、いい人生だったって、思いたいから頑張ってる。

いつ死んでもいいって、思える生き方をしたい。

それに、親には、あなたを産んでよかったって思われながら、安らかに眠ってもらいたい。

旦那には、お前を選んでよかったって思われたい。

子どもにも、ママの子どもでよかったって思われたい。

それだけで十分に、頑張ってきてよかったって思える。

思えるはずなのに、そう思いたい、思われたいのに、私は頑張れない。

今は、頑張るとか、生きるとか、人生とか、そんなのどうでもいい。

何が大事とか、そんなのも、どうでもいい。

私の頭に入ってるごちゃごちゃしたもの全部取り出して、休みたい。

ごめんなさい

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コメント一覧

1-10件目(全10件)
  • 風草
    風草

    yunaseさん、初めまして。
    yunaseさんのお話、拝見いたしました。<p>

    yunaseさんのお話を、ゆっくりと拝見しながら
    過去の私を思い出しておりました。<p>

    私も、いい人生にしたいと思いました。
    そして、周りの人達にもそう思ってもらえるように
    自分なりに色々と考え、悩んでいた時期がありました。<p>

    ここからは、私の体験談を踏まえてお話したいと思います。
    気を悪くされる内容のものでしたら、スルーなさって下さいね。<p>

    私は、自分なりの答えを探すのに10年かかりました。
    結果、出た答えが「自分も相手も自由にさせてあげる」ことでした。<p>

    yunaseさんのお話には、yunaseさん自身の他にも
    大切にされているご両親、旦那様、お子様のこと。
    そして、近所の方や親戚の方、職場の方達のことも
    yunaseさんご自身で、大切にしたいと考えてこられたことが
    内容を拝見して、強く感じられました。<p>

    そして、たくさんのことを考えられたことで
    頭がいっぱいになってしまい、ちょっとお休みしたいという
    お気持ちになられたのではないでしょうか。<p>

    yunaseさんご自身の考え方とは違うものに
    なってしまうかもしれませんが
    私自身は、今日までよく頑張ってこられたと感じました。
    考え、悩みながらも自分ができることを行動に移し
    精一杯、頑張ってこられたのではないでしょうか。<p>

    そして、お話の最後のお言葉。
    私は、今はこちらの気持ちを大切にして欲しいと思いました。<p>

    >今は、頑張るとか、生きるとか、人生とか、そんなのどうでもいい。
    >何が大事とか、そんなのも、どうでもいい。
    >私の頭に入ってるごちゃごちゃしたもの全部取り出して、休みたい。<p>

    実は、私も考えて悩んで苦しんだときに
    yunaseさんと同じような気持ちになりました。
    「もう考えることに疲れた。もう、どうだっていい。」
    そう考えながら、過ごしていました。<p>

    そんなとき、上記でお話した
    「自分も相手も自由にさせてあげる」という
    考えが浮かんだんですね。<p>

    「自分の中の相手を気遣う気持ちを大切にする。
    でも、それによって相手がどう思うのかは相手の自由。」
    そう思いながら、私は今日まで生活を続けています。<p>

    ご両親、旦那様、お子様、近所、親戚、職場の方々、心の許せる人。
    全ての人達の気持ちを自由にさせてあげましょう。
    また、yunaseさんの気持ちも自由にさせてあげて下さい。<p>

    大切な人達に良かったと思われたい。
    そのお気持ちは、十分大切にしてくださいね。
    その上で、大切な人達の気持ちを大切にするために
    自由にさせてあげるんです。<p>

    相手の気持ちが相手のものです。
    相手はどう思おうが、それは相手の自由です。
    その為、自分が思っていたこととは全く違った反応が
    返ってくることで、ショックを受けることがありますよね。<p>

    でも、そこで傷付く心配はありません。
    相手の心が自由なように、yunaseさんの心も自由です。
    例え、お互いの考えや思いが違っていても悪いことではありません。<p>

    お互いの意見や感情を伝えあうことで、相手の個性を理解でき
    自分は自分のままでいい、相手は相手のままでいいと
    考えられるようになっていけます。
    それが「成長すること」「信頼し合う」ことなんですね。<p>

    まず、周りがどう考えるか?感じるかは相手次第です。
    その上で大切なのは「自分が何をしたいのか。」です。<p>

    ご両親、旦那様、お子様、近所、親戚、職場の方々、心の許せる人を
    これからも大切にしたいとお考えであれば、自分ができる
    おもてなしを続けていけば良いのではないでしょうか。<p>

    自分ができるおもてなしをしたことで、相手が自分の考えている
    反応とは違ったものになっても、自分の気持ちや相手の意見を聞いた上で
    そこから、また解決策を見つけていけば良いと思います。<p>

    最後まで、お話を聞いていただけたこと感謝いたします。
    yunaseさんの心が晴やかになりますように・・・。<p>

  • 匿名

    あなたはきっと「嘘つき」だね。

    たぶん、ずいぶん長い間、もう自分でも何が嘘で何が本当なのかも分からなくなってる。

    あなたには「自我」がないんだと思うよ。
    正確には、それを持たせてもらえなかった、という方が正しいはずだけど。

    そうだなあ、例えばあなたの言葉を借りると。
    親には「いい人生だった」と思って眠ってもらいたいし。
    妻にも「いい人生を送ってる」と思ってもらいたい。
    子供にも「いい人生でラッキー」と思ってもらいたいと思う。

    あなたとこちらの言葉のニュアンスが違うのはわかってもらえると思うけど。
    これは単純な「写鏡」なんだよ。

  • yunase

    風草さん、

    お返事ありがとうございました。

    自分の心も相手の心も自由にさせてあげる。

    私にはまだよくわからず、そう割り切るには時間がかかりそうです。

    例え、「どう思われてもいい」「傷つくこともそりゃあるさ」と思っていても、わかっていても、落ち込むことは自然現象のようなもので、自分の意思ではどうにもならないです。私の場合は。

    「人は人。自分は自分。」と、割り切れることもあれば、割り切れないことも、多々ある中で、私は整理の仕方が下手くそなようです。

    ただ、私が、「今は何もかもどうでもいい」と言ったことを、否定せずに、今はそれを優先してくださいと言ってくれた風草さんの言葉には、身近な人にはない優しさを感じることができました。

    私は、「楽しい人生にしたい」という、ただそれだけを考えていたはずなのに、今考えてみると、「器用に生きていく方法」ばかりを考えて生活してきた気がします。

    けしてそれか間違いだとは思ってないけど、人間誰しも、少し器用でないと、社会に馴染むのは難しいと思っていますし。

    風草さんのあとに、tokumeiさんという方もお返事をくれたのですが、心に刺さる言葉をくれました。いい意味でです。

    私は、「こう思っているのは、こう感じているのは、私だけではない」と思い、むしろそれを励みに、過ごしてきたつもりでした。

    逆効果だったのでしょうか…。
    私は色々考えすぎでしょうか。

    ただ、現時点では、何もわからないままでも、解決していなくても、またとりあえず頑張ってみようという気持ちです。

    本当にありがとうございました。

  • yunase

    tokumeiさん、
    お返事、ありがとうございました。

    「嘘つき」という言葉、「自我がない」という言葉、胸がしめつけられました。

    傷付いたというよりは、納得せざるをえなかったです。

    私は、「自分に嘘をついている」と感じたことが何度かあります。
    でもそれも、「私だけではない。」「みんな少しばかり嘘をつきながら生活している」と、それで片付けていました。

    見栄を張る嘘はつきませんが、社会に馴染むための嘘、嫌われないための嘘、心配かけないための嘘、この程度の嘘は、自分を隠すことになっても、みんなつく嘘でしょう?

    自我というのは、tokumeiさんはどういうものを指しているのか、
    これも、人によって返ってくる言葉が違うものかもしれなくて、答えのないことかもしれませんが…。

    人に流されやすい人は、自我がない人だ。と、よく聞きます。
    けど、「誰かがやっていたから自分もやろう」というのは、一見、「自分の意思がない」ように感じますが、その中には、「誰かがやっていたから、やってみたくなった」という意思なら、私はそれは、自分の意思だと思うのです。

    流されたと言えば流されたのかもしれない、でも、「やるかやらないか」を決めるのはいつでも自分で、脅されたり、強制されない限りは、どんな状況も「自分の意思」だと思うのです。

    自我をもたせてもらえない環境なんて、ないと思う。ないと思いたいです。

    だけど、写鏡を、単純に受け取っていいなら、私は、とても怖い。
    本当に単純に、「私を写した誰か」という風に考えると、一番に思いつくのは、子どもでした。

    いい母になりたい、そう思われたいと言いながら、私は自分を写されたら困ると思っている。

    tokumeiさんの言葉はとても考えさせられます。
    考えるのをやめたくなるくらいに。笑

    写鏡は、ちょっと私の心得にしてみようかと思います。

    次に進むための言葉を、ありがとうございました。

  • 匿名

    あなたのフレーズとこちらのフレーズのニュアンスの違いに気づいて欲しいと思うよ。
    あなたのフレーズには、本来相手の自由な気持ちでいいはずの中に「常にあなたがいる」。
    親、伴侶、子供、いずれにしても彼らがあなたに対してどういう印象を抱こうと自由なはずなのに
    あなたは彼らの中で好印象でいることを望んでしまっている。
    他者から認められたいという気持ちが強すぎるんだと思うよ。
    もちろんこれはあなた自身の育ち方に起因している要素も大きいから、あなたが悪いというわけではない。
    ただ、自身の価値観、考え方が自分の首を絞めているということに気づいたほうがいいということだね。

    「こう思っているのは、こう感じているのは、私だけではない」。
    例えばこういう言葉からでも、「共感思考」が強すぎることが伺える。
    実際には、自分よりつらい経験をしている人は数え切れないくらいいるだろうし
    自分と同じ境遇にある人も数え切れないくらいいると思う。
    でも自立した大人としては「それがなんなの?」と思えなきゃいけない。
    自分がどれだけつらい経験をしているかどうかを、「他人と比べて何の意味があるの?」と。
    つらいならそれに耐えうる強靭な精神力を手に入れる努力をすればいいわけだし
    どうしても耐えられないなら問題自体の打開策を講じればいい。

    親は親。
    いつまでもは生きていないんだから、自分を育ててくれたことにとりあえず感謝をして
    生きている間にどれだけ先人としての知恵や工夫を自分のものにできるかを考える。
    夫は夫。
    運命共同体ではあっても、所詮は他人。
    思いやり、愛することはあってもお互いのパーソナルスペースはきちんと弁えないといけない。
    結婚をして一人になったわけじゃない、そこには人が二人いる。
    子供は子供。
    愛し、慈しむことはあっても、彼(彼女)らも一人の人間。
    あなたがどういう育て方をしようと、子供が何をどう思い感じるかは子供の自由。
    良い親になる努力をするのではなくて、子供にどんな人生が待っていたとしても
    最終的には幸せだと思わせることができればそれでいい。

    あなたは「自立」しなければならない。

  • 匿名

    自分は学生時分から悩みを抱え、「人に迷惑をかけなくて済むように」「死ななくても済むように」
    常に考えることで打開してきたタイプなので、相性が悪かったら無視してくれて構わないよ。

    世の中で生きていくための「嘘」。
    相手を持ち上げる、自分をさげるための表面的な嘘。建前。
    そういうことなら誰でも抱えている嘘だと思うよ。

    説明不足で申し訳なかったけど、自分が言いたいのはこれは「自我」に対しての返答にもなるけど。
    「自分に嘘をついているかどうか」。

    アイデンティティ(自我)=自分の中だけの自分。
    パーソナリティ(自己)=みんなの中での自分。

    比較対象がなく、「自分がどういう人間か」というのが自我。社会との接点なし。
    比較対象があり、「自分は比較的こういう人間」というのが自己。社会との接点部分。

    なので、目上の人や面倒な人に対して小さな嘘をつくときに。
    「○○ですよねー」と良い顔をしてものを言ってるのが自己で、
    その瞬間「そんなわけねーだろ」と囁いてるのが自我。

    「誰かがやっていて自分もやってみたくなった、だからやった」。
    というのは確かに明確な意思に基づいているけど、「それ、本当にやりたいの?」と
    聞いたり、それに答えたりするのが自我なんだね。

    自分の核となる部分。
    周囲の人や環境、世の中全体がどういう変化を遂げようと
    その変化に対して「いや、それは違うな」とか「まあ、それなら妥当かな」と一石投じるのが自我。

    写鏡とは。
    他人の見え方は、自分の見え方という意味だよ。
    「この人は嫌い」「この人は性格が悪い」「この人は面倒くさい」というふうに相手が見えるんだとしたら。
    それは自分のことを指してるということ。

    すなわち、「(親にとって)この子を産んで良かった」「(夫にとって)この人と結婚して良かった」「(子供にとって)このお母さんで良かった」と思って欲しいと願うことは
    あなたも主張してる通り、「いい子、いい妻、いい母でありたい」というあなたの意思があることを意味するんだけど。

    自分が「自我がない」「自立するべき」としつこいように言ってるのは。
    その中に「あなた」がいないっていうことだよ。

  • yunase

    tokumeiさん、

    お返事ありがとうございます。

    まだ、自分の中で整理できていないのですが、先に伝えとこうと思ったことだけを書かせてください。

    私の書いたこと全てに、一つ一つ、細かく説明してくれたこと、
    感謝します。

    読んでいて、納得することばかりで、無視なんてできません。

    それに、tokumeiさんの返事は、私を否定するわけでもなく、何かを強要するわけでもなく、かと言って、教科書のように機械的でもなく、私に、自分を見直すヒントをたくさんくれています。

    私が最初に投稿した、あんななぐり書きのような言葉から、私の考えなどを察してくれたこと、感謝しかないです。

    今回のtokumeiさんからのお返事を読んで、「なら私は…」「なら私は…」と、頭の中で何度も繰り返してしまい、思い当たることがありすぎて、「なら私は」この先どう変わっていくべきなのか、目標は、「自我をもつ」や「自立」できっと間違いないだろうけど、

    もちろん、今すぐに何かをどうできることではないのかもしれない、けど、気持ちの切り替えは、きっと今がいいチャンスなのかもしれない、

    そんなことは大まかにだけど、考えることができて、

    うまく言葉にできなくて、本当に申し訳ないのですが、

    tokumeiさんの言葉を参考にしながら、少しずつ変わっていく努力をしていきたいと、そう思いました。

    感想文のようで、すみません…。

    まだ答えにたどり着けないから、返事をしようかどうかも悩みました。

    でも、無視したわけではなく、考える時間がまだ必要だったので、お礼を先にしたくて、返事させていただきました。

    何にもまとまってないのに、本当すみません…。

    本当に、ありがとうございました。

  • 匿名

    「プレッシャーを与えても、思考は早くならない」。
    これは自分が最近読んだ本に書いてあった言葉。

    自分を見つめ直すという作業には膨大な時間と労力を要する。
    急いでも良い答えは見つからない、あなたのペースでいいと思うよ。

    自分には有り余る、貴重な言葉をありがとう。
    何かが少し、報われた気がした。

    また、いつでもいらっしゃい。

  • 風草
    風草

    yunaseさん、こんばんは。
    お返事が遅くなってしまい申し訳ございませんでした。
    tokumeiさんのご回答で、何か良い気付きを得ることが
    できたご様子ですね。
    ご自身の悩みについて、考えることは
    悪いことではありません。
    むしろ、悩みと向き合うということは
    相当の勇気と覚悟が必要となります。
    辛い、苦しい、逃げたい。
    でも、それでも「何とかしたい」と必死で考える。
    その前向きな姿勢が「悩み」として
    表れているのではないでしょうか。
    私は、悩みについて考える方は
    とても勇気のある方だと、いつも尊敬しております。
    また、お話したいというお気持ちになったときは
    是非お話を聞かせて下さいね。
    yunaseさんのお気持ちが、晴やかになりますように。

  • yunase

    風草さん、
    こちらこそ、お返事が遅くなってしまい、すみません。

    tokumeiさんの言葉から、風草さんの「自分の心も相手の心も、自由にしてあげる」の意味がわかりました。

    理解力がなくて、申し訳ありませんでした…。

    意味を理解することはできた。お二人からお返事をもらい、良い気付きもあった。
    だけど、私には足りないものがたくさんあって、やっぱり今すぐに変わるのは、難しいですね。

    ただ少しだけ、
    何か嫌なことがあったとき、ぐるぐる考えがループしたとき、「自分は自分、いい意味で」という言葉を、自分に言い聞かせてみることにしてみたんです。
    もしくは、また考えがまとまらなくなったときに、風草さんとtokumeiさんのお返事を読み返して、整理しなおしてみたり。

    そしたら、考えやすくなったんです。
    悩みを中断するのではなく、開き直るのではなく。
    解決にむかって、気持ちの切り替えにむかって、考えが新しくなっていく。

    自然と、落ち込むことも減る。

    今は、落ち込んだときの逃げ方より、どう変わっていくべきか、そんなことをずっと考えています。

    こんなことを、誰かに話したこともなかったし、まともな返事が返ってくることも、実は期待してなかったんです。

    言い方が悪くなりますが、どうせありきたりな励ましの言葉しか返ってこないだろう…もしくは、こんなわけのわからない投稿、誰もコメントしないだろう…って思ってました。

    それでもその時は、ありきたりな励ましでも必要だった。
    もし、傷付くこと言われても、お礼だけ言ってシカトすればいいと思ってたから。

    ここに書いてみてよかったです。
    お二人の目にとまってくれて、本当によかった。

    本当に、ありがとうございました。

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