最近見つけた気になる言葉(AERA)
edit2015.11.21 1,376
ばななさんが表紙のAERAで、小島慶子さんの連載の中にありました。
「不当な扱いをされていることに怒る自分を認めること」
(だった。たぶん。)
なんでこの言葉が印象に残ったかというと、喜怒哀楽の中で「怒る」ことが一番苦手だからです。怒る対象と程度に気を使うから。怒るという行為が美しくないと思うから。怒っても気力と体力と時間の無駄に思えるから。
また一方で最近、「被害者である自分を認めること」について考えていたのです。「いじめにあいました」とか「痴漢にあいました」とか、なかなか認めたくない自分がいるのはどうしてなんだろう。
こといじめに関しては特に、自分が至らなかったからじゃないかとか、なんであのときうまく立ち回れなかったんだろうとか、いう気持ちが、認める心を邪魔していました。
「私がその状況を作り、受け入れてしまったんじゃなかろうか」
「誘発してしまったんじゃないか」
「自分にも否があったんでは」
痴漢にあったときは、電車降りてホームでしばらくしゃがんで泣くしかできなくて、やられっぱなしで情けないなぁと思っていたのです。どこにも気持ちの持っていき場がなかった。
どちらも不可抗力で、「被害者になる」しかなくて、不甲斐なくて、どうしたら毅然と対応できたのかな。とその日だけの出来事で終わらなかったのですね。私の中で。
「被害者になる」って弱い自分を認めなきゃいけないんですよね。虐げられた自分。やり返せなかった無力感。それは認めたくない自分の姿。
この「不当な扱いをされていることに怒る自分を認めること」という言葉に出会ったとき、
=「被害者である自分を認めること」かもしれないと思って。
そしたら
あ、自分は怒っていいんだ。
と気づきました。
怒っていい場面もあるのか。
怒った方がいい場面もあるのか。
いじめも痴漢も不当な扱いだし、人権が侵害されている。当事者のときは頭が回らなかったけど犯罪に巻き込まれていた。
自分に甘すぎず、厳しすぎず、怒るという表現を通じて自分の人権を守るのも大事なのですね。きっと。誰かのために怒るのも。きっと。
そして、「被害者」で終わらせるのではなくて、より敏感に、同じ事象で傷つく人が減るように、生きていきたいと思う。
- ココトモInstagramはじめました♪
-
このたび、ココトモの取り組みや想いを発信するInstagramをはじめました。ココトモメンバーたちが試行錯誤しながら運用してくれているので、ぜひ応援&フォローいただけると嬉しいです(*´`)
Instagramはこちら