憎むこと、ゆるすこと。
edit2015.01.19 1,530
こんにちは、ぽちころです。最近体調がすぐれなかったりして、なかなかメール相談に乗れていませんが、なるべく掲示板にはお答えできたらなって思っている今日この頃です。
今回は皆さんにお伝えしたいなと思うメッセージのような、体験談のようなことを書かせていただこうかと思います。
私の母は、精神的な病気を持っています。それもかなり珍しい、人格が分かれてしまうという病気です。わかりやすく言うと、多重人格、というものですね。
母の、お母さん、私の祖母は、母が12歳の時に、自ら命を絶ちました。それがショックになり、大人になっていく人格と、まだ頼りたい子供の12歳の人格が出来てしまったようです。
普段の母は本当に優しくて、ユーモアのある人です。私が幼稚園の頃は、妹と一緒にお散歩に来て、妹が「お姉ちゃん!」とよく外から呼んでいたのを思い出します。
妹が幼稚園に入ったころ、病状が悪化しました。今までずっと誰かがいたのが、母一人になってしまう。もう発狂しそうになるくらい、心配で心細いようで、それから病院に通うようになりました。
その頃、精神的な病気というものはほとんど認知されていなくて、精神科に通っているなんていうことが分かってしまったら、村八分になってしまう、ということで、わざわざ1時間半かかる大きな病院に行きました。
夏休みなどは私と妹も一緒に行って、まぁ、大きな病院というのは、混むんですね・・・4時間くらい妹を待たせるのが大変で、病院の中をうろうろさせてみたり、お絵かきをさせてみたり・・・帰りに銀座に寄って、絵本屋さんを見に行くのが楽しみでした。
母の症状というのは、二極化していて、周りの私達をとにかく手放したくないという人格と、周りの全てがいらなくなるという人格とに分かれていました。
変わるときは、急に変わります。食事のとき、お箸を床に落としてしまった、それだけでコロッと変わってしまって、もう、殴るは蹴るは、いつも最終的には家の外に出されて、食事をまともに食べたという記憶があまりありません。
私は家の前にいても仕方がないので、いつも歩いて10分くらいの公園でブランコに乗っていました。父は仕事が忙しかったので、大体10時くらいになると、帰ってきて、毎回その公園に迎えに来てくれました。母はその時にはもう元に戻っていて、何があったの?なんで外にいるの?と心配していました。
そんなわけで、私の学生時代というものは、ちびでやせっぽちで、あとストレスで声が出ず、一年中マスクをしていて、アザを隠すために年中長そでのシャツを着ていて、学校が終わると、今日も叩かれるのかな・・・なんて思いながら電車に揺られていました。
高校3年生の秋だったと思いますが、もう耐えられなくなってしまって、こんなままなら、いなくなってしまいたい、と思って、学校へ行く電車を待つ間に、みんなへの感謝の手紙を書きました。そしてそれをベンチに置いて、何か重しを置こうと思った時に、母の作ってくれたお弁当が目に入りました。
母は中学高校と6年間、一日も欠かさずお弁当を作ってくれていたんです。とても小さいお弁当箱でしたけれど、私はこのお弁当は、この世に残したいなって思いました。
結局ずっとホームで考え続けていたら、なぜか息が止まってしまって、駅員さんが見つけて家と父の会社に連絡をして、救急車で運ばれていきました。それから何があったのかは記憶にありません。
たぶん、父は手紙を読んだのだと思います。父は本当は牧師さんになりたかった、というほど本当に温和で、母の病気にも理解のある人です。
父が私に言った言葉、それを皆さんにも伝えたいと思います。
「人のことを、いくら嫌いになってもいい。絶縁したっていい。一生会わないでいてもいい。でも、憎むことだけはやめてほしい。憎しみという、気持ちを持って欲しくない。」
- ココトモInstagramはじめました♪
-
このたび、ココトモの取り組みや想いを発信するInstagramをはじめました。ココトモメンバーたちが試行錯誤しながら運用してくれているので、ぜひ応援&フォローいただけると嬉しいです(*´`)
Instagramはこちら