カテゴリー:雑記
他人の評価と自信の狭間
こんばんは。
おはようございます、の人もいるのかな?
オハナです。
みなさんは、周りが自分を評価しているか?
どう見られているのか?
ということが気になりますか?
私は気になります。
気にします。
仕事の前提として、もちろん会社から評価され、給与が上がることもあるし、比較も評価も、しなけりゃいいという訳ではないけど、それを踏まえた上で、でも…ということを、今回は言いたい。
私は会社では、自分が雑談している時、社員に見られているか、どう思われているのか気になって、ぶっちゃけストレス(じゃあ話すなって感じだけど、仕事の話から雑談に流れる事も多い)になります。
まぁ、元々雑談多めの職場ですが…。
フェイスブックのイイね、ミクシィのイイね、ツイッターのリプ、などなど、この世には評価がぎっしり。
社内の評価、SNSのランキング、新入社員の同期など、人と比べるものさしはキリがない。
結婚ですらそう。
世間から結婚できる人と認められたい、という願望。
旦那さんを作って、自分のことを愛して欲しい、受け入れて欲しい、安心が欲しい…
これらも、結局相手からの評価を求めていること。
そうそう、インスタもそう。
何人が評価してくれた?
何人見てくれた?
誰が自分の事を認めてくれた?
人は生きる限り、他人から承認されて、上位の評価を求めることから避けて生きてはいけない…のか?
本当にそうなのか?
自分勝手に振る舞えなんて言わない。
でも、『自分が好きでやってるんだから』でやってもいいものもあるはず。
SNSは特にそう。
誰かとつながる場所ではあるけど、承認欲求を満たして、ネット上の友達だけが多いのは悲しい。
イイねを100貰えなかったら価値がないなんて事があるわけがない。
インスタ、ブログ、ツイッター、つぶやき、これらは個人がやりたいように(但し、相手に不快を与える内容を投稿する人もいるけど…例えばあからさまな自慢とかね)したい時にしたい内容をするもの。
人目を気にしてもいいけど、それは苦しいんじゃないのかな?と思う。
どう見られてる?私、ちゃんといい評価もらえてる?
そんな風に気を遣いながらやっているSNSは、いつか限界がくる。
話は少し変わって、結婚もそう。
彼、私のこと愛してくれてる?
安心させて欲しいの。
〜して欲しいの。
好きになって欲しいの。
受け入れて欲しいの。
これは『認めて欲しい』という意味では、求めているものは両者とも変わらない。
『褒めて欲しい』という欲求が不足していると、こうなる気がする。
けなされてばかりじゃ、そりゃあ褒めてもらいたくなる。
けなされて伸びる子もいるが、私は褒められて伸びる子(笑)
褒めてもらうことは、自分を認めてもらうことにつながる。
認めて欲しい、ばかりで生きていると、相手がいなくなったと同時に、自分を失う。
ううん、元々、『自分』がないから、相手に承認や評価を求める。
じゃあ自分が自分を褒める評価者になったら、
それは永遠に自分の味方となる。
永遠に自分を認めてくれる。
自分が、自分のことを満たす。
これが自信というもの。
〜して欲しいではなく、〜してあげたい。
認めて欲しい、ではなく自分が自分を認めて周りを、相手を認める。
愛して欲しいではなく、まず自分が愛す。
周りに求めていると感じたら、その意識を逆にすると、自分の足できちんと立てるようになる。
自立出来る。
そうすると、他人の価値観にぶれなくなる。
周りをひたすら気にすることがなくなる。
自分を持つこと、それは、揺るがない自分を作って、自分を守るため。
そして、周りを認めていくため。
その為に必要となる。
求めるだけは、依存になる。
依存が良くないのは、相手によってブレるし、それによって自分がいずれ崩れるから。
相手が崩れれば同じく自分も崩れてしまうから。
相手がずーっと自分を守り依存させてくれればいいけれど、そんなうまい事はなくて…。
自分をしっかりさせることは難しいけれど、『周りの評価』ではなく、自分の評価に自信を持つことで、きっと生きやすくなることは沢山あるんだろうな。
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全4件のコメント
たかれん♡
割愛(笑)
コメントありがとう(^^)
最近また周囲の評価や見え方が気になってストレス感じてます(笑)私の場合は、気分の波によって、気にしたり気にしなかったりするかもしれないなぁ。
たかれんの場合は、昔の話を少し聞いてるけど、そうだと思う。
周りと自分の評価が一致するか気になるのかな?ある意味凄いと思います。私ら違った時に傷つくのが恐い。これは今も昔もそう、恐いから過小評価する。うぬぼれみたいなものを感じそうで恐いな。。。
いい評価はありがたいけど、どっちくるかわからないときは、私は聞けないんだよね〜。。。
まわりの評価、めっちゃ気にします。
不機嫌そうな顔をしている人や退屈そうな人がひとりでもいるとそわそわしてしかたありません。
幼少期からの経験とか諸々も関係ある気がするけど、そんなんコメント欄じゃ足りないので割愛。
昔は、「評価される」っていうのを一種の義務に感じていた気がします。それ以外で自分を守る(自分の価値を感じる?)術を知らなかったから・・・なのかねぇ。ううむ
今じゃ、評価されるのもなかなか好きよ。「評価される」って表現とは少し違うかもしれないけれど。まわりが見た自分と、自分から見た自分のズレが怖くなくなったのだと思う。自分は自分、みたいな。
・・・何を言いたいのかわからなくなってきたので、ここで筆(キーボード?)を置いておきます。
ぬいさん♡
コメントありがとうございます。
誰にも認められなくても、自分を貫くって人はそうそういません。でも、どれだけ周囲の評価を鵜呑みにしても、確かに完璧にはならないんですよね?
どんなに頑張っても、どこかで嫌われることもあれば、好かれることもある。
それで、自信をなくしたり、つけたりすることにも影響は少なからず出てくると思うんです。
自分の事を認めてくれる人、そうですね、認めてくれる人がいたら、尚且つ複数人いたらいいなと私は思います。
人の心は時間とともに変わることがあるから、1人だけとかだと、私は今年頭の事件があるから、怖くなってしまうんですよね…。
自分に自信がなくなればなくなるほど
周囲の評価がきになって仕方なくなります
周囲の評価を全く気にしない人は
社会でやっていくことは難しいんだと思います
なので周囲の評価に耳を傾け、自分を変えていくことはとても大切なことだと思います
けれどどれだけ周囲の評価を受け入れても完璧な自分をつくることはできないんだと思います
ではどうすればいいのか
それはとても難しいことなのかもしれません
けれどダメな自分でも受け入れてくれる存在がいる
それを感じることができればいいんじゃないかなと私は思ってます
なかなか自分一人で自信をもつって難しいなって感じている私です