アダルトチルドレンと生きづらさ
edit2016.02.23 1,684
こんばんは、やっさんです。
先週、久しぶりに「アダルトチルドレン」に関する本を読みました。
「やっぱり俺はアダルトチルドレンなんだ」、「今まで自分の本当のつらさや問題に向き合うことを避けてきたんだ」と思いながら、読みました。
アダルトチルドレンとは、「機能不全家庭で育ったことにより、成人してからも心に傷を抱えている人」を指します。
アダルトチルドレンの本を読んでいたら、自分に当てはまると思うことがたくさんありました。
情け容赦なく自分に批判を下す、楽しむことがなかなかできない、他人からの肯定や受け入れを常に求める、真面目すぎるなど…。
アダルトチルドレンの生きづらさは、人によって違いますが、アダルトチルドレンに共通して言えるのは、「成人してからも生きづらさを引きずっている」ということだと思います。
僕はココトモのブログで亡くなった両親のことを書いてきました。
僕の両親はアルコール依存症だったのですが、僕はその影響をかなり受けていると感じています。
両親と暮らしていたときは、自分の感情を抑圧しておとなしくしているのが最も無難だったということもあり、今も自分の気持ちや言いたいことを主張することは苦手です。
昔からどんな場所にいても、心を楽にできない感じがしています。
最近はお酒を飲んでいると「俺もアルコール依存症なのかな…」と思うことがあります。
どんな人でも、生きづらさや心の隙間、心の傷のようなものを抱えながら生きています。
心が健康な人は、「生きづらさや心の隙間は、誰にでもあるものだから仕方ない。割り切ればいい」、「このくらいの失敗なら大丈夫」と思えます。
しかし、僕は生きづらさや心の隙間をなくそうとして何かに依存してしまったり、大した失敗ではないのに、極端な自己否定に走って、その後余計に辛くなることが多いです。
それと、僕はアダルトチルドレンという言葉に自分を当てはめることに、大きな違和感を感じてきました。
「自分がどうしようもないのは、アダルトチルドレンのせいだから」という言い訳にすることが、ものすごく嫌でした。
でも、アダルトチルドレンに関する本を読んでいて、アダルトチルドレンという言葉が、自分にきちんと向き合う大きなきっかけを与えてくれるのではないかと思えるようになりました。
僕は今、生きることがつらいです。
特に昨年末から鬱々とした気分になることが増えましたが、気持ちが沈んでいるときに、自分の本当のつらさや問題に「気づく」ことが、大きな飛躍をもたらすのだと思っています。
気づくことは、それだけでつらさをともないます。
また、気づくことには、実が熟すような時間が必要です。
そこで、「他人や世の中を変えることはできないけれど、自分の問題であるならば、変えることができる」ということに気づけると、今までの傷や嘆き、問題などのすべてが、回復とともに自分の財産となるのでしょう。
いつも駄目だと思ってしまう自分を茶化しながら、馬鹿は馬鹿なりに生きればいいと思えるようになると、楽しいと思えることが増えてきそうです。
また、悩みをなくそうするのではなく、「安心して悩みながら生きていくためには、どうしたらいいのか?」ということを意識できるようになると、「白か黒か」という極端な行動パターンから解放できそうです。
自分の弱さをカミングアウトできるようになると、生き生きとした自分を取り戻せるようになると思ったので、この度ブログを書くことにしました。
道程は平坦ではありませんが、生き生きとした自分を取り戻していくことで、新たな自分を構築できるようになると思っています。
- ココトモ「交換日記」を書いて繋がろう♪
-
今日の出来事、気持ち、頑張ったことをみんなでシェアする『交換日記』ができました。 自分の日記を書いたり、他の人の日記にコメント&フォローしたりすることで交流を深めることができます♪
交換日記はこちら