私が『セクマイ』であることでの苦悩

 

『セクマイ』とうつ病のコンビ技

 

前回、「私が『セクマイ』になった理由」について、①②に分けて書かせていただきました。自分が他の人とは違う「セクシャリティ(性認識)」を持つことに抵抗がなかったわけではありませんが、私は『セクマイ』になった理由を知れて、自分を認めることができたことが、今では思います。

いまでは、とつけたのには理由があります。

私は、自分が女の子が好きだと思うことは間違ってないと言い切れていたつもりでいました。

 

ですが、現実はもっと残酷で、好きな人に拒否されたり、周りから理解が得られなかったり…

 

うつ病を患っていたこともあり、大学時代、私は周りに馴染めず、浮いていました。

「誰も自分をわかってくれはしない」と悲劇のヒロインを気取っていたのだと思います。

ヒロインじゃなくて、ヒーローになりたかった自分にとって、何だか複雑な思いもありますが、『セクマイ』とうつ病のダブルパンチにもがいていたことも少なくありません。

 

母の涙

私の誕生日は8月なので、学生時代は休みであることがほとんどでした。

小学校の頃は退屈で仕方がなかったけれど、人との関わりを避け、うつ病の症状を和らげるには最適の時間でした。

 

夏が大好きな私にとっては、本当に夏休みが終わってほしくないくらい、暑さも心地よい、素敵な日々でした。

そのときに、詳しく心理やジェンダーについて勉強する時間がとれたことも私にとっては重要で、今でもその時間は無駄ではなかったと思います。

 

しかし、良いときにもあれば、悪いときもあるもの。

大学三年生の夏は、私にとって最悪な日々でした。当時、私は勉強くらいしか取り柄がなかったこともあり、大学のゼミの長を任されていました。

夏休み中、先生が海外出張だったこともあり、秋の文化祭に向けて、研究発表をちゃくちゃくと進めていました。

勉強は好き、でも人との関わりは得意じゃない私にとっては地獄な日々でした。

 

また、ゼミの中に意中の彼女がいたこともあり、私は彼女を独占したい気持ちと発表をうまく進めたい一心で、ゼミの仲間たちを厳しく指導しながら、夏休みもゼミ活動を進めていました。

私の大学は世間で言う中流大学。

大切な夏休みに、勉強はおろか、ゼミ活動なんてしたくない人がほとんどでした。

そのときの私は思慮が足りず、自分の考えや価値観を優先して、ゼミ生全員から総スカンをくらうことになりました。

好きな女の子からも、「気持ち悪い」と言われ、ゼミをやめようと決心したその日。

 

私の誕生日でした。

 

なかば、やけくそでした。

副ゼミ長に私が持っている情報、資料をすべて引き継ぎ、帰宅しようと思った19時のこと。

 

なんだかすべてがどうでもよくて。

自分を認めてくれる人が欲しくて。

女の子である自分が嫌で。

 

全てがいやになり、家へと帰ろうとしたその足で、美容院に行きました。

そこで私は、一ミリほどの坊主となりました。

私はやりきった感とこれまでのしがらみがなくなり軽くなった心で清々しい気持ちでした。

これで全てが解放されたような、新しい世界が生まれたような、そんな気持ちがしたのです。

でも、現実はそう甘くありませんでした。

「ただいま」と帰り、リビングに向かうなり、泣き出した母。

母のフォローにはいる姉。

父はその後帰宅、お母さんの気持ちをもうちょっと考えてあげて?と言われました。

一番理解して欲しかった母は、ショックすぎて言葉ができない、あなたが何がしたいのか理解ができないと床に伏せてしまいました。

私は泣きながら自室に戻り、お風呂も入らず薬も飲まずなき続け、いつのまにか朝が来ていました。

 

朝、枕元には、姉がおいてくれたであろう手紙と本。

 

本のタイトルは、『今あなたが必要としている言葉』。

手紙には、こう書かれていました。

 

「いろいろ苦しんだんだね。それはすごくわかるけど、もっと悩んでいるところを見せてほしかった。

葉音が家に帰ってきたとき、すごくすっきりした顔をしていて、そんなに悩んで考えてやってきたようには見えなかった。

だからこそ、お母さんのショックも大きかったし、もちろん私もショックだった。

とりあえずこの本を読んで元気出してからでいいから、ちゃんとお母さんに話しな?」

 

私は涙が止まらなかった。

 

いつもは私に対して厳しくもある姉。

本当は私のこと大好きだってわかってたけど、素直に表現できないツンデレな姉。

 

その姉のストレートな言葉とともに、私は知った。

 

『セクマイ』は自分ひとりの問題じゃなくて、家族や周りとの関係において大事な認識だということ。

 

そのとき、昨日お母さんがおもったことを考えていた20過ぎて、また歳をとった末っ子の娘。

本当に大事に育ててきてくれたことはわかっていたはず。

 

 

なのに、なぜ?向き合えないのだろう?

なぜ、苦しむ人がいるのだろう?

 

私は悔しくて悲しくて、疑問でいっぱいだった。

 

『セクマイ』でなければ、お母さんをきずつけないで済んだかもしれない。

でも、私はやっぱり一人で悩んでいたのかもしれない。

 

私が『セクマイ』だったから、母や姉は傷ついた。

周りも傷つけた。

 

でも、今の自分になれなかった。

誰かの助けになりたいと心から思い、こうやってココトモで活動している私じゃない未来になっていたのかもしれない。

 

 

そう考えると、怖いような、恐ろしいような気がする。

 

私は自分が『セクマイ』であることで、家族を傷つけた分、自分を認めてもらえたし、ココトモや周りにも理解者や友人ができるようになった。

 

『セクマイ』でなければ。

『セクマイ』だからこそ。

 

どちらを選べば正しかったなんて言えないし、誰にも分らない。

 

ただ一つ、言えること、それは、『セクマイ』だからこそ、今の自分がいて、素敵な仲間に会えた」。

 

だから、私のセクシャリティを本当に感謝しているし、家族にも周りにも感謝している。

 

一つも失敗しないでいるなんて無理なこと、なんだから、自分なりの答えを見つけ出せればそれで十分だと思う、

 

私は、ココトモで出会えた方、読んでくださっている方が、私に興味を持ってくれているのも、『セクマイ』という「アイデンティティ」があったからこそだと思うし、本当に誇りに思っています。

 

 

今悩んでいる人へ。

正しい道なんてないのだから、後悔しない道を選ぼう?

きっと、自分がもっと輝けるし、楽になるからね。

 

 

ちなみに…

☆後日談☆

母に、坊主のままじゃアルバイト行かせないといわれたので、髪の毛がちゃんと生えるまで、ウィッグでの生活を余儀なくされた。

 

葉音

 

 

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