あなたが本当に知りたいのは、死ぬ方法じゃない。

『楽に死ぬ方法』

『死ぬ方法』

これは、どんなに親しい人にも聞けない質問ではないでしょうか?

私は、ごく親しい友人に、昔、半分本気、半分冗談で聞いたことあります。

実際追い詰められた時は、聞けませんでした。

ガチだったので。

だから、ネットで聞いてみました。

所謂、『ググる』みたいな。

『楽に死ぬ方法』って。

懐かしい過去です。今でも覚えています。

懐かしいけれど、今こうして生きていて、もう完全に乗り越えた吹っ切れた人間ではない私ですが、この検索をすることについての意味や、考えたことを少し書こうと思います。

死ぬことなんか後押ししません。

『生きていれば良いことあるよ』なんて言いません。

でも、『あなたの人生、生きてて悪いことしかないよ』なんてことも言いません。

だって、そんなの誰が言えますか?

一人一人の人生を、良いか悪いか、この先良いことがあるかないかなんて、誰も言えない。

自分が少しでも良いことがある可能性を信じられるなら、生きてみれば良いけれど、良いことばかりも悪いことばかりも、要は誰1人決めつけられないって事です。

では、本題に戻ります。

『楽に死ぬ方法』って検索することの本質って、個人的にこうだと思います。

つまりは、『楽になりたい、苦しいとか辛いとかもう嫌だ、もう生きていたくない。』こんな感じだと思います。

当時検索した私もそうでした。

一見、死にたくて死ぬ方法を探している事にもちろん間違いはないのだけど、これを少し言い換えると、

『楽になれる方法、辛くない方法、苦しさを感じない方法を探している』ということ。

つまり、『死』に直結する必要ないパターンは実際かなり多いのではないかということです。

楽になれれば良いだけの話なら、逃げることも何かに没頭することも、どこかに相談したり吐き出すことでも楽になれるかもしれません。

仕事が辛いなら、死ぬことが大事なのではなくて仕事を辞めることが出来たら良いだけの話。

何かしらの方法で、今の感情を手放すことが出来れば、それも1つの方法になるかもしれません。

寝るのだって、今の感情手放します。

テレビやゲームに集中するのだって、ある意味感情や感覚を一瞬麻痺させたり手放したり出来る。

自殺の名所で、自殺寸前の人に声をかけて問題を根本的に解決している方がいるそうで、いつだったかブログを読んだことがあります。

仕事の人間関係が原因なら、一緒に職場に行って働きかけたりまでするそうです。

そこまでしてもらえれば、死ぬ必要ってないんですよね、死にたかった理由がもうないんですから。

死にたいと思った時、そこまで苦しんだのだから、苦しくない方法を探すのは当然で、それは苦しまずに生きる方法を探すのと同じことだと思うんです。

視野が狭くなってたり辛くなっていると、何かあった時に思考は『死』に直結してしまいます。

そんな時に、自分の死にたい理由が本当に『死』に直結しているのか、ふと一瞬、考えてみてほしい。

楽に死ぬ方法があるなら、楽に生きる方法がある。

楽に死ぬ方法を探すことは、楽に生きる方法を探すのと同じこと。

『死にたい』って気持ちは、一般的にはタブーで持ってはいけないとされている感情。

人にも話しにくいし、だからこそ、人の心に長くずっとあり続けることもある感情です。

でもね、持っていることを否定しないで欲しい。

その人にとって、ある意味の拠り所かもしらない。

持つことによって、楽になることもあるだと。

『生きなきゃ』『生きる為に頑張らなきゃ』そう思うことが負担でストレスで苦しくなることもある。

『あ、死ぬっていつでも出来るんだ』そんな風に逃げ道を用意しておくことは、ある意味安心につながると思うんです。

そして、死ぬことは定義が色々。

自分の名前を捨てて、例えば私なら『オハナ』という鎧を捨てて、仮面を捨てて、世界のどこかを放浪することかもしれません。

昔、友人に言われたことがあります。

『オハナは、この地球上のどこかで楽しそうに生きてたら良いよ』って。

名前を捨てても、仕事を捨てても、『私』を残すことは出来ますから。

この地球上のどこかで、誰かと関わったり、笑って泣いて、命があれば、私の大切な人たちは満足みたいです。

不思議な言葉ですよね。

何度も言います。

死ぬ方法は、生きる方法。

死にたいという思いは、持っていても良いもの。

切り札ではあるけど、実行するなら逃げて欲しい。

ちゃんと、本当は、冷静に考えてみれば、実は逃げることも『仮面』を捨てることも出来るはず。

どこかで生きていれば、それだけで『いいんじゃない?そんな生き方でも。』と認めてくれる人は必ずいる。

どこかで生きる限り、自覚がなくても必ず誰かに影響を与えて、変えることが出来る。

その変化には、必ず『良い影響』は含まれるはず。

その力が、どんな人にもあるはず。

もし、『死ぬ方法』『楽に死ねる方法』そう検索したい自分が出てきたら、『あ、生きる方法を本当は探したいんじゃないのかな?自分は。』と一旦考えてみて欲しい。

あなたが本当に知りたいのは、死ぬ方法じゃない。

自分が楽に生きる方法が、本当は欲しいはず。

探せばあります、いや、気付いてないだけかもしれない。

もしこれが、今死ぬ方法を探している誰かの何か気づきとか、新しい考え方の1つとして、取り入れて貰えたら、嬉しいと思います。

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