咲き誇るパンジー 自己の追求 やっさん、のんちゃんに続く三部作
edit2016.07.30 1,507
あー、のんちゃんに先越された!笑
僕もちょくちょくココトモハウスに出没させてもらっています。
僕もブログを投稿しようと思ってはずっと先延ばし(ネタを温めていました)してたんだけど、やっさんとのんちゃんのブログが繋がっていて面白かったから勝手に三部作にしました。
ところでこの寓話知ってますか?
昔ある王様が庭に樫の木とブドウの木とバラとパンジーを植えて旅行に行って帰ってきたら、パンジー以外はみんな枯れていました。
まず王様は樫の木に尋ねました。
「樫の木さん、どうして枯れてしまったの?」
樫の木が答えました。
「自分はブドウの木のように美味しい実を実らせることができないから生きていても仕方ないんだ」
今度は王様はブドウの木のところに行き尋ねました。
「ブドウさん、どうしてあなたは美味しい実を実らせることができるのに枯れてしまったの?」
ブドウの木は答えます。
「わたしはバラのようにきれいな花を咲かせることができないから、美しくないわたしは生きている価値はないの」
王様はバラに尋ねます。
「あなたはきれいな花を咲かすことができるのにどうして枯れてしまったの?」
バラは答えます。
「わたしは樫の木のように家を作ることも出来なければ、ブドウのように食べることも出来ないからわたしには何の意味もないの」
そして王様はいきいきと咲くパンジーのところへ行きました。
「他の木たちは枯れているのにどうしてあなただけはそんなにきれいに咲いているの?」
パンジーは答えました。
「だって王様はここに私が咲いて欲しかったからここに私を植えたんでしょう?だから私は精一杯きれいな花を咲かせようと思ったんです」
この話はこれでおしまいです。
やっさんの自分は自分のままでいいと思えるようになりたいという話と、のんちゃんの自分を変えたいという話はまったく逆のことを言ってるようにも見えるけど、実は同じことを言ってるんじゃないかと思う。
ありのままでいるということは決して努力しなくていいというわけじゃない。
他の誰かになろうとして嘆くのではなく自分は自分としてより綺麗な花を咲かせようとしたパンジーのように、まずは自分が自分であろうとすることが大切なんだと思う。
そして自分を追求していくこと。
やっさんの話ものんちゃんの話も結局はそういうことなんじゃないかと思います。
ぼくたちはこの寓話のように自分がどんな花を咲かせることができるのか分からないけれど、他人を羨んで自分に無いものを嘆いていても仕方が無い。
ないものはない。
アイデンティティーというのは探すものではなく自分で積み上げて作っていくものだから、自分らしくあるためには自分にあるものに目を向け育てていくことだと思う。
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