「できてない」ことを手放したら「もうとっくにできてた」ことに目が向いたのよ。

「見栄張るための理想」を手放して

こんにちは、なおです。雪積もってます。さみぃ((((  ̄▽ ̄))))

さて。引き続き身の回りにあるいろんなものを動かしたり手放したりしています。そこで、長いこと「動かそう」とも思ってなかったけど、ふいに「手放そう」という気になったものがありました。言わば宿便みたいなもんです(めしくってるひとごめん)。

それは楽譜。楽譜の中でも、「いつか弾こう」「弾けたら聴き映えして見栄張れるぞ」とばかり思って買って、そのまま弾かれずにずっと放置されてる、実は大して興味の無かった曲たち、の楽譜。

やっぱり「いつか弾けるし……」ってしがみつく思いはあったのですが、「そのいつかはいつ来るんや。今のお前はこれを弾きたいんか!?ああん!!??」と己に問うた結果、「いややっぱ今はちがうす。まあまたご縁があれば出会うでしょう」と思い、グッバイしました。

だいたいわたし、まぁ楽譜読むのも好きではあるけど、楽譜見ないで弾くのが割と好きだった。そして好きな曲って、たとえ楽譜やCDを手放そうと、頭や体に染み込んで覚えている。だから本当に大切なものは無くなるわけじゃないんです。忘れることや形を無くすことは怖いことではない。

そもそも私の場合、音楽の何が好きかって言うと、演奏そのもの自体は場所を取らないしかさばらないし形に残らず動いて流れていくところが好きなのです。いちおう技術で残すことはできるけど、その時の演奏はその時限りで、本当の形で留めることはできないからね。だから二度目の大学進学の時も、美術にしようかと少し考えもしたけれど、結局決め手はそこだったと思います。美術も好きだけど、作品は形に残るし道具いっぱいいるしかさばるやん!!いや好きだけど!(  ̄▽ ̄)笑

理想を高く持つのは悪いことじゃないんです。目標があれば練習に励みが出る。それはほんとのこと。

でもね、ほんとに好きな曲なら、もう弾いてみたくて聴いた瞬間楽譜買った瞬間からウズウズして弾かずにいられないんだ、ってことも、自分自身の体感としてわかっているんですよ。そういうことがあるから。

だから、「本当に本当に好き」だけを手元に残してそれを本当に大切にするために、「実は好きじゃなかったかもしれない、けど、これから好きになれるかもわからんし……」とか「好き……かもしれない?」みたいな霧のかかったままのものとお別れしていくことにしたんですな。そういうもの抱え込んでくといくら余白があっても足りなくなっちゃって、本当に大切なことに手をかける時間が分散するからね(もちろん分散さすのが好きな人は別に良いと思うけど)。

で、そうして「弾けてなかった」を手放した。そしたら、過去に「弾けてた」ものが手元に残った。それを、また引っ張り出して弾いてみた。

そしたら……

昔に弾いた時よりも、たやすく、楽しみながら、弾けるようになってて、驚いたんです。え、これが成長ってことなのか!?って、知りました。もちろん、背伸びに背伸びを重ねて無理矢理弾いてたものは、今じゃもう弾けなくなったりもしてたけど、それはもともと無理してたんだからしゃーないな(  ̄▽ ̄)

そう、「弾けてない弾けてない進歩してないダメだダメだクソだカスだミジンコだ(ミジンコに失礼やぞ)」とばかり思っていましたが、高い理想に目がくらんで足元が見えなくなってた(というか見なくなってた)だけで、わたしはちゃーんと、たとえ亀の歩みでも、「弾けてたし進歩してたし成長してた」んです。実はね。ほんとはね。自覚してなかった、いくら人に言われようと認めようともしなかった、だけで。

「先生」だってできないわからないことがあっていいのさ

……で、思った。結局のところ無理矢理伸ばさなくても人はその人なりに進歩はするし、基本的には好きなように弾けば良いのなら、楽器の先生は何のためにいるのか、と。特に、いわゆる初心者の域を脱してからその後の人間に何を教えるのか。音大受験対策とかを除いてね。

それは、生徒が、人と比べて落ち込んだり自分の力量を過小または過大評価しすぎたりしてつまづきかけた時に、楽しくその人の力に合った曲や指導で支えて励ましわずかな成長もじっくり見守ること、なのかなぁ、と思いました。人によって成長のテンポも度合いもベクトルも何もかも異なるし、どれもそれはそれで良いんだよ、って傍で伝えられるのが先生なのかな、って。

わたしは昔、音楽教室で事務の仕事やってた時、楽器の先生に憧れていました(学校の音楽の先生ではにゃいのだ)。学校の先生と違って楽器の先生には免許や資格等は基本的に必要ない(ヤマハの先生はヤマハのグレードがいるとかそういう特有のものはあったりするけど)。じゃどういう人がなるのか。人柄を含めた実力、経験、あとクラシックの場合は学歴に目が行きがちですね。それが全てではないけどね。

その時のわたしは、先生は有名な曲ならなんでも弾けて、いろんなことの正解や正しい弾き方ってものが出来て、生徒を正しく導けるすんごいものなんだと思っていた。

だからわたしは、大学で音楽を学んだ時、大学の先生の一挙一動一言一句を気にしては漏らすまいとメモを取ってそれを遵守して必死にやり遂げなければいけないと思ってた。注意されればビクビクして落ち込み、他の子が褒められるとはらわたがねじちぎれるほどに嫉妬した。

ヘラヘラやってて好成績を取っちゃう子と、キリキリやって(たからこそ)二番手三番手四番手止まりの自分とを比べて、妬ましくてしょうがなく思った。「なんでも好きにならなきゃ、弾けるようにならなきゃ」って一生懸命イイ子ぶりっこしてる自分の横で、「あの曲キラーイ、あの作曲家キラーイ、地味だもーん、あれしか弾きたくなーい!」ってハッキリ主張してる子にモヤモヤ感じたりしていた。

そんなこんなしてたら当然疲れたし、どこまで行けば終わりがあるのかもわからなかったし、先生が変わればまた評価も指摘もガラッと変わって混乱したりして、ついにわたしはわたしなりの弾き方らしきものがわからなくなり弾く気が失せたりもした。まぁ、一度誰かのを模倣したり、自分の変なクセやいらんこだわりを捨てることも通り道のひとつとは思うけどさ……。

でそういうのを繰り返してわかったんですが、先生であろうと誰であろうと、100%誰にでも通ずる正解を知ってる人ってこの世のどこにもいないなって。カウンセラーや医者でさえもそう。誰でも、自分にここちよくフィットする事柄を自分なりの真実として信じて運用しているんだなぁって。だから人によって合う合わないもあるし、押し付けが争いを生んだりもするんだなぁって。

今これを書きながらあらためてそれがわかったから、なんだか今のわたしでも先生できそうな気がしてきたわ((((  ̄▽ ̄))))

くそまじめバリ技巧非の打ち所もない隙無しエリート音大生(んな人間はマジで実在するのか????)じゃ到底ないけれど、ふぬけヘタレ雑食ヌルヌル育ちの演奏家として、ヌルヌルなまあたたかく見守ったり、好きな曲で遊んだり、自分の知ってるおもしろエピソードをおすそわけすることならできそうだもの((((* ̄∇ ̄*))))

そして人の数だけ「先生」のあり方の形も変わっていいんですね。きっと。だって「先生」だって他ならぬ人間だからさ。超人じゃなくてさ。これは「先生」だけでなく「親」とか「上司」とか「家族」とか「恋人」「友達」「メール相談員」とか、全ての肩書きに対して言えることでさ。

「成長」は結局するんや、急ごうと急ぐまいと。

輪ゴムパッチンを想像してもらうときっとわかりやすいんですけど、無理矢理引っ張って伸ばしたら、どっかで切れるか、反動で縮んでそのショックで余計短くなったりするじゃないですか(カートゥーンアニメによくありそうな)。結局はおなじ。

あせってもあせらなくても着実に伸びるし、葉が伸びてなくても根に栄養がいってる。だから気長に見守る覚悟を持つ、そして希望を捨てないこと、なんだと思います。

いつまで経っても生えてこなくて根腐れが発覚したとしたら、またそん時新しい種を植えたって良いしな!!!笑

チビわたしの大人ぶり行動回想

わたしは小さい頃からそうでしたね。今に注視するよりも、先走ってやたらと背伸びするクセがありました。小学校低学年の時とか、図書館で、ろくに意味もわからん上級生向けの本を開いちゃー読んでるフリして。そのことが通信簿に書かれて褒められてたりすると、ほくそ笑んだりしていた笑(  ̄▽ ̄)ほほえましい背伸びだな!(  ̄▽ ̄)

はやく賢くなって強くなって、早く大人になって、そして誰にも自分に文句言わせないようになりたかったんでしょうね。きっと。

でも今から振り返ってみれば、わたしの行動に文句つける人はいてもわたしの存在自体に文句をつけた人はたぶんいなかったし(いたとしてもそれを気にする必要はまったくないし)。なにより、大人になったってどんなに偉そうになったって、誰かに文句言われたり逆に自分が誰かに文句言ったり、ヨユーでやってるんですよね(笑)ちょうこっけい、でもそのこっけいさもイイじゃないですか(  ̄▽ ̄)ってことでね(  ̄▽ ̄)

そんなわけで、早く大人になりたくて背伸びに背伸びしたワリには、というかその反動でか、こうしてズルズルユルユルのりっぱなガキ成人に成りましたね笑(  ̄▽ ̄)♪ずっと~探してた~理想の自分って~もうちょっと~カッコよかったけ~ど~♪ってヤツですまさに(ほんと名曲だよなぁスガシカオ)。

でも、確実に言えることがあって。それは、あの時背伸びしても読めなかった本が、今のわたしならたやすく読める。どころか、あの時手に取ることさえもしなかったようなもっとややこしかったり字が多かったりする本だって、ドスドス読んでる。もちろん絵本もまんがもたくさん読んでる。笑

それはまぎれもない進歩、進化なんですよ。理想と違う、寄り道アリの亀の歩みだったとしても、ぜったいにかならず勝手に無意識に成長はしてるし、したくなくてもしちゃうんです。

だからあせらずこのままでいいよね。そんな風に思いますね、さいきんは(ちょっと前なら到底思えなかったことなのす)。

本日の結論

〇これでいいのだ Byバカボンのパパ

以上(* ̄∇ ̄*)ではまた((((* ̄∇ ̄*))))

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コメント一覧

全4件
  1. schedule2016.11.29

    なお

    背伸びや変に縮こまることをせず、いつでも肩の力を抜いてラクに生きてたいですね((((  ̄▽ ̄))))

  2. schedule2016.11.29

    ねむ

    ねむです。こんばんはー。
    この記事に書いてあることは自分も賛同します。
    背伸びせずに自然体で行くのが一番です(*´▽`*)

  3. schedule2016.11.26

    なお

    ぬいさん、ふたつもコメントありがとうございます(* ̄∇ ̄*)うれしい(* ̄∇ ̄*)
    たぶん、俗に言われるナンバーワンにあたる人達で、見掛けだけじゃなく心が本当に満たされている人は
    ぬいさんの言う「オンリーワンを極めた」、そしてそれを隠すことなく周りに堂々と出して開いた、そういう人なんじゃないかなぁ、って今思いました。
    わたしもそうなりたいですよ(* ̄∇ ̄*)

  4. schedule2016.11.26

    ぬい

    ナンバーワンにならなくていいよ
    もともと特別なオンリーワン

    とある歌にそんな歌詞があります

    私はこの歌詞がどうもよくわからなかった時期があります

    もともと特別なオンリーワン

    それならナンバーワンを目指してる人
    その人たちを否定しているようなかんじがして
    よくわからなかったです

    けれど今は

    オンリーワンを極めること

    それはナンバーワンになることより何倍も難しいことなのかな

    なんて思います

    自分らしく

    今そこに自分はあるのだけど
    果てしなく大きな目標なのかもしれませんね

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