多数派からみた世界
edit2016.12.22 1,415
ぬいです
今回も最近考えてることについてツラツラ書いていこうかと思います
文章があまり上手ではありませんが目を通していただけると嬉しいです
価値観を共有できないとき
生きているといろんな人に出会います
ひとそれぞれいろんな価値観をもって生きているので
私達はさまざまな生き方をしている人に出会うことになります
けれどその中で
私たちは必ずしも出会った価値観を理解したり共有できるわけではない
という事実に直面する場面があるんじゃないかなと私は思います
もちろん“多様な価値観を認め合おう”と頭で考えていても
それでもどうしても相手の価値観が理解できない
そんなこともたまにあるんじゃないかなと私は思います
多数派であること
相手の価値観が理解できない
それは自分が今まで生きてきた社会において
その相手の価値観があまり存在しない価値観であった
ということが一つの原因として挙げられるのではないかと私は考えます
もちろんそれが全てではないと思います
今まで自分が生きてきた社会で共有されていた価値観が通用しない相手
その相手に出会った時
拭い切れない違和感を抱くことは誰しもが経験しうることなのではないか
私はそういうふうに考えます
少しづつ理解していく姿勢
今までと違う価値観にであったとき
自分の中に生じた拭い切れない違和感をどうするか
その違和感をそんなふうに思ってはいけないと理性で抑えこんでなかったことにする
それも一つの手段なのかもしれません
しかしながらそれでは本当に分かり合えることはできないような感じがします
時間はかかるかもしれませんが
じっくりお互いを理解できるようにその違和感と向き合っていく
そういう行動のほうが私はもしかしたら一番いい方法なんじゃないかなと思います
もし、自分が少数派であった場合でも
もし自分が少数派の価値観をもつ方だった場合
それは社会から理解されにくい存在になってしまうかもしれません
けれど実は多数派に属していようが、少数派に属していようが
拭い切れない違和感を相手に抱いてしまう
という点に置いては同じことなような気が私はします
少数派からすれば、多数派がなぜその価値観を持つのか理解できないわけで
たとえ少数派に属していたとしても多数派や他の少数派の価値観と向き合っていく姿勢はとても大切何じゃないかなと私は思います
相手の価値観を受け入れられなくてもいい
自分にとって一番大切なのは自分の価値観だと私は思います
どのような価値観をもつかは人の自由です
人と違うから自分の価値観が間違ってるなんてことはないと私は思います
けれど自分の価値観だけでは理解できないことはたくさん存在するんだと思います
それと出会ったときにどちらが正しい、間違ってると簡単に決めてしまう前に
じっくり、自分と相手の価値観についていろいろ考えてみる
その姿勢と余裕をもつことはひとつ生きていく上で大切なことなんじゃないかなと
最近思います
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