自分を守りたいから、相手のせいにする。

以前、ブログで、いじられる時に、

『私は愛があるから!』と言われて疑問を感じた。

その後、ハウスで看板スタッフをしている時に、同い年男性の看板スタッフである、りんさんと話す機会があってこの話をしたら、

『それって自己防衛だからね〜』と言われた。

なるほど、と思った。確かに。

『私には愛があるから、許されるのよ。その愛を受け取れないなんて、あなたは傲慢なのよ。』

言いすぎると、こんなことを言われていると思ってもおかしくない。

『あなたの為だよ』という言葉もそう。

これは、『あなたの為を思って自分は言ってあげてるんだ。その愛情を受け取れないなんて、馬鹿だな。』なんて解釈することだって出来る。

ちょっと被害妄想?に近いくらいの言い方をしてしまったけれど、結局、攻撃的なサインを受け取っている事に代わりはないし、こう言われてもその愛を受け取れなければ自分を責める事になる。

言葉はやっぱり怖いと思う。

『あなたへの愛だよ。』こんな一見嬉しく思うような言葉には、裏に自己防衛が含まれていて、実は攻撃する言葉だったりする。

『よく〜してるよね〜』という言葉も、攻撃に聞こえることがある。

例えば、職場で上司から冷たい態度を取られている人がいるとして。

『よくあんな態度取られながら、仕事続けてるよね〜』

『よく辞めないよね〜』

なんて言葉は、本人が聞いていたら辛いと思う。

人にもよるけど、私としてはこの言い方が上から目線の気持ちや、自分は関係なくて他人事のような、突き放した言い方に聞こえてしまう。

上司も冷たいけど、この言葉を発する人も冷たいと思ってしまう。

心配したり、愛を伝えようとしている言葉なのに、その裏の『私は悪いことしてないから。悪くないから。』そんな気持ちが聞こえる言葉があるのは、悲しいけど本当で。

もちろん私が発する言葉だって、そう聞こえてしまうことがあるのさ確かだから、人のことは言えない。

前にブログでも話をしたことだけど、具合が悪くてうずくまってる人を素通りした人。

その人は『本当に凄く体調悪い時に、声かけて欲しくなくない?』

と言っていた。

理解出来なくはなかったけど、あれも、

『自分心配してたよ?でも、相手のことを考えて敢えて声をかけなかったんだ。思いやりだよ。自分は別に悪くない。』なんて言ってるようなもので。

相手の性格がそうだと知っていたり、昔心配して怒られたことがあったりしたならまだしも。

相手のことをよく知らなかったり、自分がそうだから、という理由で、心配しないって、それもそれで…と思ってしまった。

人が明らかにおかしかったら、とりあえずは一声かけたり心配したりするんじゃないか?

だってらそのまま倒れたりして、放置されたりしたら、どうするの?と思う。

心配して、もしかしたらその人の言う通り、『マジ具合悪いんだから話しかけないでよ!』と思われるかもしれない。

でもその人がそう言うタイプかどうかなんて、分からないなら、とりあえず声をかけないと意識失ったりしたら、それこそ命に関わったら…。

何がベストかを選択した時に、その人の取った『素通り』という対応が、私は良いとはどうも思えなかった。

これは、感覚は別れるかもしれない。

でも、あらゆる可能性とか、リスクを考えると、その人は自分のその判断をさも『間違ってない。気を遣ってそうした。』と自信有り気に語っていて、私はその言い方や認識にとても違和感を抱いた。

前にブログを書いた時には分からなかった。

今は、その時のことも、嫌ないじりに対して嫌だと伝えた時の『愛だよ』と片付けられた時の違和感などを感じた理由が分かる。

きっと、みんな自己防衛で言っていたんだ、と。

自分を正当化したくて、さも『良いことをした』『考えて行動したんだ』という風のセリフで逃げているんだって。

『相手の認識は自分の認識と違ったんだ。申し訳ない。』そんな気持ちがある人が、何だか周りに少なくて、自分がやっぱり変わっているのかなぁ?と疑問に思う。

相手の正当化のセリフを、逆に受け容れられない自分が悪いのかな?と思ったりもした。

でも今は、きっと相手の自己防衛だったんだと思える。

私のこの捉え方が良いか悪いかはよく分からないけど、自分の認識と相手の認識は当たり前だけど違う。

食い違った時、『だって自分は〜だと思ってやったんだ。だから悪くない。』ではなくて、

『〜だと思ってやったんだけど、傷つけたんだね。申し訳ない。』その気持ちだけは持てるようにしておこうと思った。

自分を、そーゆーところで貫き通しても意味はない。

相手がどう思って、お互いの食い違いを理解して伝え合えたら、それで良いと思う。

それにしても、自信満々に言われると、まるで自分が悪いと思うけど、よくよく考えるとそうじゃないこともあるから、力のある人程こういう言葉遣いや自分を正当化しようとする傾向はあると思うから恐いと思う。

職場の上司だったり、先生、親、権力?のある人の言葉は、そのまま全てを鵜呑みにするのは恐いなと思った。

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コメント一覧

全2件
  1. schedule2017.03.29

    ohana

    ぬいさん☆

    そうなのですね。防衛機制…。
    確かにそうかもしれません。愛があるから〜とか言われても、悪気がある感じではなかったから、もちろん本心なんて言えないし…。

    そう考えると、無意識って怖いなぁと思います。割と、この『愛が根底にあるからさ♡』みたいなコメントを社内だと賛同してる人が多くて、私の感受性の問題かなぁ?と疑問に思うこともしばしば…。

    でも、無意識なら気づかない人が多いかもしれませんね。そんなものなのかも。。。

    なんか、色々考えさせられました。仕事上でも感じること少し変わるかもしれません。勉強になりました。私も気をつけないとなぁ…。ありがとうございましたm(_ _)m

  2. schedule2017.03.28

    ぬい

    心理学用語で“防衛機制”という言葉があります
    これは自分に不都合なことがあったときに“無意識”で自分を守るために体が行う反応なのですが
    この場合では“相手を傷つけてしまった”という不都合な事実に対して
    “これは愛のあるいじりだから許される”と勝手に合理化してしまっているパターンなんじゃないかなと私は思います
    この防衛機制の怖い所は“無意識”にそうしてしまっているところだったりします
    自分を守ることは自分の精神健康上必要なことなんだと私は思ってます
    そのための人間誰しもがもつ機能としてそういう部分があるんじゃないかなと私は思ってます
    けれどそれによって傷ついている人がいることは事実なので
    その“人を傷つけてしまう無意識”に気付ける人が増えるといいなと私は思います
    なかなか人を傷つけたという事実を受け止めることは勇気が必要かもですが

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