世界宗教を生み出した人たちが、本当に伝えたかったこと

久しぶりにブログ書きます。

悟りの境地ってなんでしょう?
そもそも、悟りに境地なんてあるのでしょうか?

宗教とは、哲学の体系の一つだと思います。
哲学には、正解はありません。
無限の問答が、哲学です。

ならば、大事なのは、「何故にその考えに至ったのか」。
仏教もキリスト教も、その考えに至る過程があります。
過程には、時代背景や社会環境、自身の身分や境遇も含まれます。
それらも含めて理解しなければ、悟りに至った理由が理解できないと思います。

イエス・キリストや釈迦の言葉を読むと、悟りの境地に至ったとはとても思えません。
考えがまとまったに過ぎず、それが真理とは決められないとすら感じられます。
※”真理”としたのは、周りの”解釈”です

イエスや釈迦が、真に伝えたかったことは、
「問い続けろ」
ということだと思います。

まさに、哲学そのものですね。

「境地」がないことが、悟りであり、真理である…
それは、答え=正解がないということであり、自由であるということです。

問い続けること…哲学を通して人は、たくさんのことを見つけました。
それは、文化であり、芸術であり、教育であり、政治(社会システム)であり、そして科学であります。

自由に問い続けた結果、私たちの生活は豊かになりました。
物質的に豊かにできるということは、精神的にも豊かにできるということです。

問い続けること…それが幸せの道かもしれませんね。

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コメント一覧

全2件
  1. schedule2017.06.05

    おっくん

    ぬいさん、コメントありがとうございます。
    その通りです。
    でも、救いがないのは、なぜか?
    そもそも、救いとは何か?
    更に問い続けるのも、また哲学です。
    宗教が提示する”教え”とは、問う際の道標なのかもしれません。

  2. schedule2017.06.05

    ぬい

    問い続けろ
    宗教者はなぜ問い続けるのか
    それは問い続ける先に救いがあると信じているからなのかもしれないかなと私は思います
    哲学において“救い”があるのかないのかその存在自体についても問い続けます
    その中で“この世に救いなんか存在しない”という結論に至ったとしても哲学としては正しいわけです
    そのあたりが宗教と哲学の違いかななんて思います

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