私が休めなかった数十年。
edit2017.06.13 1,473
私は、今仕事をせずに休んでいる真っ最中。
本を読んだり、健康関係の本を読んで勉強したり、フランス語を勉強したり…
好きなことをしている。
仕事を辞めて、2週間経つなんて信じられない程、時間を長く感じている。
休んでいる時間を、長く感じているなんて、とてもありがたいことだと思っている。
私は、新卒から8年間、心が休んだことなんてなかった。
実家にいても落ち着かなかったし、恋人といても仕事がうまく行かなければ落ち着かない性格だからか、本当に『休む』気持ちになんてならなかった。
私は、自分が休まずに頑張り続けた期間は、新卒からの8年間だと、ずっと思っていた。
今日、あることをキッカケに、気付いたことがある。
『違う、私が休めなかった期間は多分もっとずっと長い。恐らく20年とか…かもしれない。』と。
私の学校生活は、小学校から大学まで、決して楽しいことばかりではなかった。
会社もそうだが、人間関係、友達関係、イジメ…思い出したくないことが、大学ではいささかマシになったものの、とても多い。
ココトモでは、不登校の話をよく耳にする。
その度に、不登校になりたかった自分を思い出す。
不登校。この言葉に「なりたかった」という言葉を繋げるなんて、不謹慎だと思っていて、今まで言わなかった。
でもゴメンなさい。この表現以外に、この気持ちの表し方が私にはありませんでした。
私は、不登校になりたかったんです。
それくらい、学校が嫌いだった。
特に中学高校は、嫌な記憶が多く、高校の時に朝、ダイニングテーブルの下にうずくまり、頭を抱えながら、頭痛を訴えながら、『学校に行きたくない』と思った記憶が今でも鮮明に残る。
そんな私を見ても、親は一度も、『学校に行かなくても良いんだよ。』『自分を大事に。』『やりたいように生きなさい。』なんて言うことは、当たり前かもしれないけど、なかった。
私は、中学を最後に、社会人含めて『休む』ことをほとんどしなかった。
なぜなら熱を出すことが少なかったから。でもやっぱり学校には行きたくなかった。
学生時代に、学校に行きたくなかった時、親がはっきりと言った訳ではなかったけど、『社会のレールから外れる』『世間体が…親戚になんて言ったら良いんだろう?』みたいなことを、子供ながらに考えていたし、親もそういう考え方だとなんとなく分かっていた。
でも本当は、それは『社会のレール』ではなく、『親や自分が思い込んで、良いと勘違いしていたレール』だった。
私は、休みたかった。学校に行きたくなかった。自分が孤立する学校に行きたくなかったし、1人でお弁当を食べるのだって誰にも見られたくなかったし、これは親にも言えなかった。
人と話す機会は少なかったし、顔の表情を作ることも少なかった。
そんな場所にはいたくなかった。
でも自分や、親の無言の空気感が、それを許さなかった。
あの時の自分には、自分は嘘をついていたと思う。
休みたいのに休まなかった。
表向きは『皆勤』だ。
仕事もそう。どれだけ息苦しくても耳がおかしくなっても、私は断固として休まなかった。
過去の積み重ねから、『休む』ことに恐怖を覚えていたんだ。
休んだら、もう会社に行けなくなる。
休んだら、学校には戻れなくなる。
休んだら、おばあちゃんや親戚に顔向け出来なくなる。
『休んだら』を『辞めたら』に変えても、私にとっては同じことになっていた。
だから、不登校にはならなかった。
だから、会社を辞めることはしなくなかった。
でも、学校は何とか3年、または4年で終わりが来ると知っているから行き続けてられても、会社は何年行けば良いという終わりはない。
終わりがないものには、さすがに心が持たなかった。
だから辞めたけど、それは私にとってとてつもない恐怖と罪悪感を生んだ。
勿論今はそこまで思うことはないし、何度も経験すれば自分の感じ方がわかるし、慣れる。
それでも、決断するまでも、上司に話すことも、私にとって恐怖には変わらない。
学校が嫌いでも逃げられなかった経験、行かないことへの恐怖は、よくよく考えてみれば会社に対しても同じことが言えたんだ。
休む、辞める、止まる、中断する、これらは私にとって、それをすることによって後悔するかもしれないという恐怖や、この先生きて行けないという恐怖を感じさせる。
他にも、私は様々な物事に対して、辞めたり止まったりすることが出来ない。
それは、体を壊しても、出来ない。
気絶したりしたことはないけど、多分それ位にならない限り、私は動き続ける気がする。
だって、そうじゃなきゃと、教えられたり、自分を脅迫していたのだから。
学生時代から、この『止まる恐怖』に、最高レベルまでの恐怖を抱いてきた代償が、今だ。
今、このような状況にいるのは、所々で、ちゃんと休んで来なかったから。
自分の本音や本心を、恐怖で縛って聞かなかったから。
私が、休まず走り続けてきた期間は、きっと20年近く。
そりゃあ、溜まるものも溜まる。
今もし、学生時代の自分に戻れるならば(戻りたくないけどね)、机の引き出しにずっと入れ続けていた、フリースクールの資料請求のハガキを出して良いよ、と伝えたい。
親の顔色伺わずに、朝になっても学校行かずに、布団にこもって良いよ、と伝えたい。
こんなにも長く、そのツケが続くなら、学生生活の数日、数ヶ月、数年間、自分が思うように選択して、生きていいと伝えたい。
それが出来たら、私はきちんと反抗期を迎えていたのかもな(笑)
それが出来ていたら、親との関係はどうなっていたんだろう?なんてところまで考えてしまう。
今はもう、後の祭り。過ぎ去った時は戻らない。
でも、人生は確かに繋がっている。巡り巡り、残るものは良いことも悪いこともある。
学校を休めなかった私が、会社を休めないのは当然だ。
学校で頑張って、会社で頑張っていたら、頑張らない人生に恐怖を覚えるのは当たり前かもしれない。
だから今、休んでいることに違和感を感じることもある。
そして、不安がない訳はない。
でも不安なのは、お金が云々とかではなくて、『休んで良い』時間が、初めての経験だからだ。
一人暮らしの私に、親の言葉は今はない。
自分がしたいことに耳を傾けて、それに従って時を過ごす。
ある時は、何も考えなくて良いなんて、そんなやったことない生活、不安にならない訳ないんだな苦笑
何も決まってないのに、休むことだけ決めて、この選択もそんなに沢山の人に話している訳ではない。
危なっかしい休日。でもやりたいことが舞いこんでいたら、すぐに飛びつける、フットワークの軽い状態、だとも言える。
お金がかけられないのが難点だけど…(^^;)
この自由な危なっかしい選択は、保守的な部分の私と、親は大批判や大反対をする選択。
私の中の一部分が、よく恐怖で煽りながら怒ってくるけど、その言葉に従って転職を繰り返して来た私は敢えてその声を聞いていない。
批判や不安に応えないで、自分の心に従って選んだ今回の選択はハイリスクなのに、そのハイリスクに時々優越感みたいな幸福感を覚える。
保守的なこれまでの自分に反抗した。
親が喜ぶような自分の姿とは、真逆の選択をした。
ハイリスクが良いわけじゃない。
でも、やったことない事ってワクワクする。
たまに、不安になるけど、たまにワクワクする。
自由、でも危険。でも、楽しい。でも不安。
その中でたまに、敢えて何も考えない。
適当に、何か思っても『まぁでも今まで頑張ってきたからいいや』をなるべく口癖に過ごしている。
でも出来ていないところも多いので、ある意味で毎日が戦いだとも言えるかもしれない。
20年近く無理をしてきたらこうなるけど、それはそれで得るものもあった。後悔はしてない。
でも欲を言えば、この事にもう少し早く気づいて、何かしら休みたかった。休むことを、せめて自分自身は許可してあげたかった。
それが出来たら、また違う世界が広がっていたかも。
広い視野を持って、今いる場所以外にも、驚く程沢山の場所や空気があることを、もっと可能性を信じていきたい。
それがあれば、少しは苦しまなくて済むかもしれない。
休んで良い。学校や会社に行かなくても良い。寝てても良い。やりたいことをやっても良い。好きなことをして良い。
そういうことを、自分にも他人にも言ってあげられるようにしたいな。
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