『痛みのある過去』との向き合い方


こんにちは、たかれんです(*´`)

誰かを傷つけてしまった思い出。
誰かに傷つけられた思い出。
大切ななにかを失ってしまった思い出。

あなたは、そんな何かを思い出した時に、その時の痛みまで思い出すことはありますか?
痛みを思い出す自分を、「あの頃から進めてないなぁ」「割り切れない自分が悪いのか」なんて感じることはありますか?

わたしは、そういうことがよくあります。
何年も前の出来事を思い返して、「自分のここがダメだった」「これができなかった」「もっとこうしていれば」と、自分を責めてばかり。
しかもそこから芋づる式にいくつもの出来事を思い出して、苦しくてたまらなくて、誰にも助けを求められないまま、ひとり、声を殺して泣く……、なんてことも珍しくありません。

ちょうど昨晩、些細な出来事をきっかけにしてフラッシュバックが起きてしまって、小中学生の頃にいじめを受けた時のことを、まるで今いじめを受けているんじゃないかと思えるくらいまでリアルに想起してしまいました。
その時は友人に助けを求めることができて、ひとしきり話して、共感してもらって、肯定してもらって、なんとか落ち着けました。
すると、なんと友人も、過去の出来事を引きずっていることについて悩んでいる、とのこと。
それから深夜の3時まで、「過去と今の割り切り方」について語り合いました。

過去と今は、別物?

過去のわたしが苦しんでいたのはあくまで過去であって、今ではありません。
今のわたしはいじめを受けてはいないし、家庭以外に逃げ場はあるし、アルバイトではありますが自分で働いて人ひとりが生活できるくらいのお給料はいただいています。勉強も人並みにはできるようになったし、認めてくれる人たちに囲まれた、恵まれた環境にいます。

でも、過去と今は完全に切り離すことはできるのでしょうか。

過去いじめを受け、不登校になり、両親にも友達にも相談できなかったから、わたしは「過去のわたしのように苦しんでいる10代の子たちの居場所を作りたい」と思うようになりました。
その想いがあったから、わたしは10代向けコミュニティサイト「ティーンズプレイス」を立ち上げられました。
その前にココトモで活動していて、「たかれんさんのブログはいつも良いねぇ」と言ってもらえたから文章を書く自信がつき、サイトを立ち上げてからの約1年、毎日ブログを書けました。
毎日ブログを書いたから、その中で検索にかかる記事がうまれ、サイトは月間10万PVを達成しました。
それはわたしの自信になり、今では「文章執筆に関しては、すこしのスキルはある」と自負しています。

これらはすべて、つながっているんです。
いじめを受けていなかったら、家庭が順風満帆だったら、自分で探さなくても最初から居場所が用意されていたら、わたしは今、ここにはいなかったでしょう。

ココトモに来てくださる方は、メンバーも含め、なんらかの傷を負って生きています。
その傷は「なかったらよかった」ものなのかもしれません。傷なんて少ないほうがいいに決まってます。
でも、思うのです。

その傷を「なかったこと」にしたとしたら、その傷のおかげでうまれた出会いは、繋がりは、想いは、どうなってしまうのでしょう?

過去を「切り離す」のではなく「受け入れる」という考え方

昨晩話していた友人は、ある人から「過去のことは切り離して考えないと」と言われたのだそう。
友人は今、過去負った傷を抱えながら、それでも夢に向かって一生懸命あがいている最中です。うまくいかないこともたくさんあるみたいですが、それでも友人は「これをやりたいんだ」と、友人なりのペースで進み続けています。

そんな友人の夢のきっかけは、過去の傷でした。過去傷ついた経験が、夢に繋がっているのだと。

「過去のことは切り離して考えないと」と言われた時、友人は「過去をなかったことにする」というように言われてる気がしたのだそうです。

友人にとって、その過去は確かに「痛み」を伴っています。
痛いものなら、さっさと捨ててしまったほうがいいのかもしれません。
思い出してその時の痛みをまた抱えてしまうくらいなら、「過去は過去」と割り切ったほうが楽なのかもしれません。

でも友人にとって、その過去は、「痛み」を伴うものであると同時に、「かけがえのないもの」でもあるんです。
傷ついた過去があるから、夢を持てている。
傷ついた過去があるから、大切な人たちと出会えた。
傷ついた過去があるから、今こうしてわたしと話せている。
だから、その過去を「なかったこと」にはしたくないのだと、そう伝えてくれました。

わたしは、無理に今と過去を切り離して考える必要はないと思っています。
過去があるから、今がある。今があるから、未来に繋がっていく。
そういう一瞬一瞬の積み重ねが、わたしたちの「人生」になってゆきます。

もちろん、無理に抱え込む必要はありませんが、
苦しんだ経験を、痛みのある過去を、そのまま受け入れてあげる。
当時の自分を許してあげる。

痛みを痛みとして受け止め、一緒に生きていく。
そんな生き方も、ありなのではないでしょうか。

全部ひっくるめて「大切なあなた」です。

わたしたちは、それぞれ、違う荷物を持って生きています。
後生大事にとっておきたいものもあるでしょう。はやく捨ててしまいたいものもあるでしょう。

いつの間にか無くなっていることもあるでしょうし、
無くしたと思ったらあった、なんてこともあるでしょう。
捨てたいのにずっとあるものも、捨てたと思ったらまだ荷物の底に眠ってたものも、もはやあるかどうかさえ分からないようなものもあると思います。

どれでも、いいんです。
持っていたいなら、持ってればいい。
持っていたくないなら、持たなければいい。

痛みのある過去を抱えて生きていくのも、ひとつの人生。
痛みのある過去を割り切って置いていくのも、ひとつの人生。

どう生きようが、あなたの自由なんです。
どんな人生であろうと、あなたはあなたのままで「大切な存在」なんです。

もがいて、悩んで、自分で考えて、そうして選んだ人生なら、それがどんなものであろうとも、きっとあなたは美しい。

そのことだけは、忘れないでいてほしいな、と思います。

痛い記憶は、強く残るもの。

痛い経験って、できれば繰り返したくないですよね。

人は臆病だから、痛い経験をすると、繰り返さないように強く強く記憶に刻みこもうとするのだそうです。
そして、似たような状況になったり、似たような言葉を聞いたりすると、慌ててその記憶を引っ張り出してきて「このままでは危ない! 避けなければ!!」って、からだとこころを守ろうとするのだそうですよ。

でも、その思い出した記憶そのもので痛みを感じることもあるのだから、うまくいきませんよね。

いっそ「記憶喪失になりたい」なんて思うこともあるでしょう。わたしは、この人生で何度思ったことか……。

でも、大切な思い出もあるんですよね。

大切な人との出会い。
励まされた言葉。
誰かの役に立った経験。
誰かから褒めてもらえたこと。

それらは、声を荒らげることはなく、ひっそりとわたしの中に隠れているから、普段はなかなか気づけないけれど。
「痛み」の陰に、いつもいてくれるんです。

だから、しょうがない。痛みもひっくるめて、愛していくしかないじゃありませんか。

そういうあたたかい思い出を積み重ねていったら、いつかどこかで、痛みを伴う過去をまるっと包み込んで、大切な思い出のひとつにできてしまうかもしれませんよ。

「その痛みさえも少し愛おしいと思えたよ」

これは、昨晩、友人が言った言葉です。

痛みのある過去を持ってるのは、確かにしんどい。
そのせいで傷つくこともある。

でも、今ある出会いや夢は、その痛みがあるからこそのもの。
だから、痛みそのものも、大切にしてあげたい。

そんなメッセージを、わたしに伝えてくれました。
友人は、わたしに「聞いてくれてありがとう」と言うけれど、それはお互い様。わたしは、友人に話を聞いてもらえて、ものすごく楽になっているのです。
そういう、支え支えられの関係なんです(*´`)

苦しみの渦中にいる時には、痛みを「愛おしく思う」なんて、難しいと思います。少なくともわたしはできません。
痛いものは痛いし、苦しいものは苦しいです。痛いのは嫌だし、痛いのと痛くないのがあれば痛くないのを選びます。

それでも、何年後かには、今のこの痛みが、愛おしい存在になれているのかもしれません。
だとしたら、その時見える世界は、今よりちょっと優しいものになっているのかもしれません。

いつ来るのかは分かりませんが、そんな素敵な世界を待ちわびながら、これからも生きていこうと思います。おわり。

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コメント一覧

全1件
  1. schedule2017.10.31

    ぬい

    痛い経験
    もう取り返しの付かないこと
    そういう体験は
    いつか忘れているようで
    ふとしたことで戻ってきて
    心を締め付けたりする
    忘れたつもりでもその記憶から自分は逃げられないのかもしれません
    けれどそれはもしかしたら
    忘れてはいけないことなのかもしれません
    そしてその記憶がその役目を終えたとき
    自分のことを許してあげられるのかもしれませんね

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