お金を追い求められない私は、ダメだと思ってた。

お金ってないと生きていけないですよね。

やっぱり、稼がなきゃいけないじゃないですか。

そんなこと、常識ですよね?

私は、そうだと思ってました。

先日、坂爪さんのツイキャスで2時間弱の、これまでの人生の振り返り?みたいなものがあって、夜に一気に聞いてしまったんですよ。

そこで、気づいたんです。

坂爪さんが『人と同じことしたくない。周りがやってるなら、「自分はやらなくて良いや」と思った』と。

なんか、凄く共感してしまった。

普通、みんなやってたら、従わなきゃいけない気がするし、みんな稼いでるなら自分も稼ごうとか、そうなりたいとか、稼がなきゃ…とか色々思う訳で…。

例え『みんなと同じじゃ嫌だ』と思ったとしても、稼げるなら同じようにしたくもなるし、そうしないと生活出来ないとか思う…。

恐がりの私が、ここで『あぁ!!!!共感!!!!』と思うこと自体もおかしいのだけれど、共感と同時に、『あぁ、だからか…』とこれまでうまくいかなかったことにも納得した。

何かを見てその通りにしたいとか、場合によるけど、思わない。

ちょっと、自分らしさとか加えたくなる。

ちょっと、違う風にして見る。

流行よりも、流行よりちょっと違う風にしたい。

目立つほうが好き、、、なところもある…。

これは、唯一無二とか、個性を出して…とか、誰とも重ならないキャラ、自分にしか出来ないこと、これに興味があるんだろうなぁ、だからそうするんだろうなぁと思う。

今あるフリーランスの働き方、同じように出来ないこと、追い求められないこと、今ある個人の働き方のように自分を打ち出して稼げないこと、数字を追えないこと。

ここ何年か、何ヶ月か、自分にとって、弱さやトラウマ、お金への執着、諸々、全て『悪いこと』だと心のどこかでずっと思って、引っかかっていた。

稼げる人に、任せよう!!!!なんて思えても、やっぱり稼がなきゃいけないのに、そんな方向に行けない自分を責めていた。

でも、追えないのは当たり前だ。

『もうそのやり方も、価値観も、お金を稼ぐという行動も何もかも、当たり前のように浸透していて、みんなやっていて、常識なんだから』

みんなやっているならば、私が興味ないのは当たり前で、やる気がどうしたって起こらないのも、自然だ。

お金による豊かさやそれによる価値観は、何なら世界中の人が当たり前のように信じていて、常識だ。

冒頭に書いた価値観も然り。

そりゃあ、仕事にも生活にも結婚にも子供にも、お金は必要で、お金で簡単に人間関係も壊れるかもしれない。

でも、ビックリするくらい、坂爪さん含めて、『稼いでないのに生きてる人』がいる。

それが、『あの人だから出来る』とか、『偶然』だとか言うのは自由だけど、『もしお金がこの世からなくなったら?』という問いが、私は大好きで、『もしお金を稼がなくて良くなったら、何をする?』という問いかけも大好きだ。

間違いなく私は、人と喋る為に行動して生きるだろう。

しかも、初めて話す人とかを探すんだろう。

そう、対面相談のように。

お金があってもなくてもどちらでも何でも、私はそれが好きだから。

対面相談ってより、人と話すことや、人とのご縁で色々生まれる出来事や奇跡が好き。

この言い方のほうが正しいのかもしれない。

人と話していて、お金ではない、違う、新しい『豊かさ』を稼ぎたい。

お金と同等であり、それで生きていけるような、価値観や富を得たい。

それがなんなのかよく分からなかったけれど、坂爪さんが同じように『まだなんなのか分からないけど、そういいう価値観』という、お金と違う概念の話をしていた時に、とてもワクワクしていた。

お金がある人が生きていける、幸せだと言う。これはまぁ「そりゃそうだ」と思う。

お金がない人が「不幸だ」と言う。「あぁ、そうだなぁ。私も去年、追い詰められたなぁ」と思う。

でもこれは正論でも、イコールでもない。

お金の有る無しが、幸せと直結してないのもまた真実で、私は友人との間に起きた出来事で、まるで『お金はあなたを幸せにしてくれる訳じゃない』と教えられるような経験をした。

お金を稼いでないのに、生きていられる。

こんな驚きの境地が、私はとてもワクワクする。

お金じゃない豊かさって何だろう?とワクワクする。

だって、その生き方は、常識じゃないから。

一般的じゃないから。

みんなやっている訳じゃなくて、その生き方は唯一無二でキャラが際立っているからこそ、成り立っている生き方である場合が多いから。

だから、惹かれる。

面白いと、思ってしまう。

周りと同じように、1つの会社で働き、いつか結婚する。

そんな幸せをいつまでだったか思い描いていた。

でも、今でもそんな幸せは私には来なくて、でもそれよりも面白い人生がやって来た。

色んな人に出会い、自分が出来ることで自分が面白いとか楽しいと思うものに出会い、お金がなきゃいけないという価値観も揺さぶられて、その「数字を追わなくて良い価値観」に興味が出てしまったのと同時に、数字を追いかけることがストレスになる自分に薄々気付いてしまった。

ストイックに一定以上のお金を稼ぎ続けるのは、考えただけで私はストレスだ。

これを、私は『生きる弱さ』だと思った。

でも今はこれを『向いてない、不得意なだけ』だと思ってる。

稼ぐのが楽しい、お金を追うのが好き。

そんな人に、任せれば良い。

お金って、向いてる人が握りしめているだけのものだとは限らない。

色んな価値観があって、誰かに支えてもらうことも、奢ってもらうことも、悪じゃない。許されないことではない。

そんな新しい価値観や、『自分が求める幸せ』みたいなものを、まだまだ私は、今までの自分が持っていた常識と違い過ぎて、無理そうで、難しそうで、批判受けたら嫌だなぁという恐怖が勝って、受け容れきれないでいる。

でも、『自分が求める幸せ』は、自分が1番大事にして後押ししなければいけない。

それが、ただ自分が想像するだけではなくて、既にそれを行なっていたり、発信している人がいるってことは、馬鹿馬鹿しいことでもなんでもない。

もし、自分1人だけが思い描いている幻想のようなものだとしても、馬鹿馬鹿しいことはきっと1つもないんだと思う。

私は、少数派?かどうか分からないけれど、当たり前じゃない価値観であればあるほど、今は面白いと思う。

同じようになる勇気がそんなにないにも関わらず、やっぱりそれに惹かれてしまい、周りからの意見で何度もめげそうになったり、自分を責めたりするけど、やっぱりお金ではない基準が好きだ。

そうした基準で、生きて生きたい。

だから、死ぬまで、たとえ死ぬまでにそんな生活出来なかったとしても、今自分の心にある価値観や考え方が、実際の人生や生活に結びつくような現実を多分時に泣きながら、ひたすら追い求める。

多分、形のないものを追い求めるような人生になるんだろう。

それでも、そんな人生を自分だけでも『幸せ』だと思えたら、私は死ぬ時にきっと自分の人生を悔やまない。

それが、本当はきっと全てだ。

自分が、後悔しないかどうか。

まだまだこの先、きっと揺さぶられることが多いだろうけど、言葉に出来ない、目に見えないものを、私は周囲からひたすら脱線し続けて、追いかけ続けようと思う。

それが、私だけの幸せだから。

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コメント一覧

全2件
  1. schedule2018.06.03

    ohana

    ぬいさん☆
    最後の漱石だけがなんか記憶に残りました苦笑
    そうなんですよね、私も自分が望む生き方が何となく見えてきて、それが『お金』というものからどんどん遠ざかる事だなと何となく最近見えてきたけど、『じゃあさ、それで、で?どーすんの?どーやるの?』とか聞かれたら、もうアウトですw
    やり方も何もかもよく分からない。
    流れに身を任せるしかないなぁと思っています。

    お金が出来るまで…なんどか聞いたことがありますが、なんか根本的にこの『お金』の為に生きていく世の中が滑稽に思えました。
    人の方がもっと長く生きているのに、『お金』というまだ出来上がってそんな経ってないものに左右されたり、これがあるないで自殺したりするのも当然のようになりつつあるような気がして。

    早くベーシックインカムとか、『お金が関係なかったら…』という視点で物事を創造出来る世の中になったらいいなぁと思います。

    生きる目的。そんなのきっとなくてもいい。ある程度のお金があり、苦痛じゃないことや夢中になれることが出来れば、きっと人ってそれなりに幸せになれるもので、それで良いんだと思います。
    数字が得意な人、稼ぐのが好きな人、アイディア出る人、そういった人が『やりたくて稼ぐ』方向に行けば良いと思っています。

    向いてなければ、別にやらなくていい。
    『やりたくない』を悪いものとして捉えられることが多いけれど、当たり前のように『やりたくねぇ!』と外れることが出来る気軽さがある世界、良いと思いますけどねぇ…笑

  2. schedule2018.05.30

    ぬい

    歴史を紐解いてみると人類が貨幣経済に突入するまではいろいろあったりしますよね
    生きていくためにはお金は必要
    それは火を見るより明らかです(こと現代日本においては)
    けれどそれは必要条件なのであって
    お金を稼ぐために生きてるわけでもないのです
    自分の生きる目的なんて一生かかっても見つからないかもしれません
    そして目的が見えたところでその目的に向かってすすめるとも限らない
    だから誰しも目的を持って生きているわけでもないのですが
    誰しも生きるために必要なお金を稼いでいるわけで
    このあたりが結構ややこしいんだと思います
    なにかひとつ自分のこれだと思えるものを見つけた瞬間
    その瞬間にお金というものの立ち位置が人生において変わってくるのかななんて思います
    そういう何かをみつけることが大切だって
    そういえば漱石も講談してたような

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